kimekime25

敬称は省略させていただきます。
引用が不可能になり、ブログの時間もとれない。時間があるときUPします。

このエントリィのタイトルは、あなたがつけてください。

2011-05-15 15:00:00 | 平和

アクセスに

深く感謝いたしております。

 

さてこの話題のみのエントリィです。

**************「時事通信」*********************
 「基地ない沖縄」求め行進=復帰39年、普天間で

 1972年に沖縄が本土に復帰してから39年となる15日、沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の周囲で同飛行場の県外・国外への移設などを訴える平和行進が行われた。主催する沖縄平和運動センターは約1500人の参加者を見込んでいる。
 平和行進は、復帰後も米軍基地が多く残る現状に対し、「基地のない平和な沖縄」をスローガンに78年開始。今回で34回目となる。
 今年は東日本大震災を受けて県外からの参加者が減るとみられ、例年は3コースに分かれ、「ひめゆりの塔」(糸満市)や同飛行場の移設先として日米政府が合意した名護市辺野古地域などを巡っていたが、今年は同飛行場の周囲のみに規模を縮小した
。(2011/05/15-09:36)
**************************************

という情報。

 

そしてその情報に

感情が入った記事。

*************「琉球新報」*********************
 金口木舌
 2011年5月15日
 風刺が効いた短文は時に人をうならせ、時ににやりとさせるものがある。オピニオン面の「うそっぱち」欄は読者目線で世相を映し出す
▼1972年5月20日付は5・15を「雨の復帰記念日 雨降って基地固まる」と表現した。2003年7月15日付は七夕にかけ「願いは早期返還 北方4島―北海道民 米軍基地―沖縄県民 織姫、彦星殿」。菅直人首相の「最小不幸社会」には「『最小』は0・6%で『不幸』は75%です」(10年6月13日付)。米軍基地の負担が大きい小さな島の矛盾を突いた
▼沖縄が日本に復帰して今日で39年。基地なき島を願う県民の思いは、どの時代の作品にも共通する。だがいまだそれは実現しない。固まった不幸を取り除けない政治の無策がずっと続いたせいだ
▼さらに普天間の嘉手納統合だ、オスプレイ配備だ、と沖縄にさらなる不幸を押し付けつつある。沖縄の行く末はどうなるのだろうか
▼辺戸岬の祖国復帰闘争碑の碑文に現在にも連なる部分がある。「祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶(かな)えられず、日米国家権力の恣意(しい)のまま軍事強化に逆用された」
▼碑文にはこうもある。「打ち寄せる波濤(はとう)の響きを聞け 戦争を拒(こば)み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫(おたけ)びだ」。県民の願いはまさに大きなうねりとなった。いつか願いがかなう日が来ると信じる。諦めるわけにはいかない。
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一人一人の

思いの中心は

様々だ。

しかし

色々な問題の中で

生きている私たちに

忘れてはいけないことがあることを

原発の問題は再提起してくれた。

 



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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
脱原発と沖縄復帰 (YAMACHAN)
2011-05-15 20:27:38
とこのエントリーにタイトルをつけました。(^^)
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