kimekime25

敬称は省略させていただきます。
引用が不可能になり、ブログの時間もとれない。時間があるときUPします。

ごめんなさい

2012-01-30 13:32:15 | 平和

毎日

アクセスに深く感謝申し上げます。

ここは虚像のブログです。

より自分に近い新しいところで

再開してます。

最近

匿名によるブログが疑問で仕方がありません。

現在も匿名でブログは別の所で再開していますが

どうしても違和感があります。

本当は実名を出して

言論に責任を持ったやり方の方が

社会的責任を持つのでしょうか。

 

悩みはつきません。

遠い春ですが

皆様のご健康を

心からお祈りしています。

 

また

それぞれのご活躍を

心より願っております。

 

皆さん

このkimekime25から

新しい世界に旅だたれて

それぞれの道でご健闘下さい。

 

黄昏に背中を丸め

トボトボ独りで歩いて行きます・・・・。

負け犬にはふさわしい姿でしょう。

 

どこか

別の所で

より実名に近く

生活からの発信をしています。

 

皆さんありがとう!

 

 


ヒバク・・・平和という布を織りたい・・・

2011-08-09 23:55:29 | 平和

アクセスに

深く感謝いたしております。

 

1945,08,06

1945,08,09

2011,03,11

この先

いつまでこの国の

ヒバクは続くのでしょうか。

鎮魂と祈りと抗議を!

 

私は

平和という布を織りたい・・・・

 

 

 

 

 

 

 

遠い空の下で

誰もが平等に

平安な生活を送りたい。

菅という”ささくれ”を直し

いつも笑顔のある生活をおくりたい。

私の願いはこの一つだけ。


同じ過ちを平和利用という名で繰り返す被爆し続ける日本!

2011-08-09 01:07:41 | 平和

アクセスに

深く 深く感謝いたしております。

世界の平和希求の8月6日

人類の平和希求の8月9日

軍国国家が民主国家になったはずの8月25日

虐殺の実験は1945年におこなわれた

この後も実験による被爆はあっちこっちで行われた。

この不幸とは異なるが

この爆発力を平和利用と無理に考え他のが

原子力発電

核分裂を利用した

電源作成の特ダネ的平和利用方法だと

過疎地は喜んだ。

政府所垂れ流し保証金+雇用

財政は潤い

箱物が作られていった。

箱物は利用者がないから

維持が難しくなる。

そうしているところに

事故が起こった。

命を取るか

金を取るか

もう極限での選択になっている。

 

貧乏人は

我慢しても命!

金持ちは金!

それで高飛びして新しい生活だって!

早く俺の義援金分けてあげてくれよ!

大人に渡るが

子ども一人一人でわってくれ!

ガキは社会育てるんだ!

馬鹿親のパチンコ代与えているにじゃあない

給食費・教材費に払え!

 

9月にアメリカに行くって?

アメリカが来なくて良いといっている。

国連は首脳級を要求している。

菅だけはいくな!

 

時々事故はあったが

何とか政府が

マスコミを接待などで従順にさせ

毎晩”銀座””六本木”のキャバクラで遊んでは

新宿にでて、いつの間二か

千駄ヶ谷でデートをするか

公園で!

でもそこから消えていくのです、

年齢に比そぐわないカップルを

東京体育館前でよく見かけましたし

銀座や六本木から消える悪阻越しをもにていましたし

旧防衛地跡地から

赤坂の料亭に消えていく姿もおおくみられます。

最近は深川あたりが週のようですが。。。

京都同様にハモを食い

国内希少価値の前沢牛をとろけるよな肉を口にする。

うらやまなしい・・・・

汚染競れている豚肉や鶏肉しか食べることでききないkimera

野菜を多く取っているがせいさん地が不安です。

スーパーも同様です。牛肉はメインはアメリカやOG

合い挽きの牛肉はオージーのみ。

挽肉になった段階で

もう 牛肉の問い合わせはできなくなる。

首相のことばをきこう

 

首相あいさつ全文=広島原爆忌

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 6日午前の広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式での首相のあいさつ全文は次の通り。
 広島市原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠をささげます。
 そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
 66年前、ここ広島を襲った核兵器の惨禍を、人類は決して忘れてはならず、二度と繰り返してはなりません。私は、日本国政府を代表し、唯一の戦争被爆国として、究極的な核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を順守し、非核三原則を堅持することを誓います。
 わが国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、国際社会の先頭に立って取り組むと強く決意し、それを実践してきました。昨年、わが国が国連総会に提出した「核兵器の全面的廃絶に向けた共同行動」と題する決議案は、米国を含む過去最多の90カ国が共同提案国に加わり、圧倒的な多数で採択されました。また、昨年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議で得た合意を着実に実施するため、核兵器を持たない国々の地域横断的なグループである「核軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)」を立ち上げました。こうした志を共有する国々との活動などを通じて、核軍縮・不拡散分野における国際的な議論を主導しています。
 核兵器の悲惨な実態を将来の世代に語り継いでいくことは、わが国が世界に果たすべき歴史的な役割です。昨年、この式典で、私は「非核特使」の派遣を提唱しました。本日までに、広島で被爆された延べ17人の方々が、地球一周証言の航海に参加されるなど、世界各地で、核兵器の悲惨さや平和の大切さを発信していただきました。非核特使の皆さまの献身的なご協力に感謝申し上げます。また、被爆者の方々の協力を得て、被爆証言を外国語に翻訳し、世界各国に紹介する取り組みも始めました。核軍縮の機運を高めていく上で、市民の皆さまの熱意と関心は欠かすことができません。皆さまとともに、核軍縮・不拡散教育に関する活動を世界に広げてまいります。
 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々がおられます。政府は、これまで保健、医療および福祉にわたる総合的な援護策を講じてきました。
 原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。認定制度の在り方については、昨年12月から有識者や被爆者団体などの関係者にご参加いただき、検討会を開催しています。今後とも、高齢化の進む被爆者の方々の声にしっかりと耳を傾けながら、被爆者の方々の援護に誠心誠意、取り組んでまいります。
 本年3月11日に発生した東日本大震災は、東京電力福島原子力発電所に極めて深刻な打撃を与えました。これにより発生した大規模かつ長期にわたる原発事故は、放射性物質の放出を引き起こし、わが国はもとより世界各国に大きな不安を与えました。
 政府は、この未曽有の事態を重く受け止め、事故の早期収束と健康被害の防止に向け、あらゆる方策を講じてまいりました。ここ広島からも、広島県や広島市、広島大学の関係者による放射線の測定や被ばく医療チームの派遣などの支援をいただきました。そうした結果、事態は着実に安定してきています。しかし、今なお多くの課題が残されており、今後とも全力を挙げて取り組んでまいります。
 そして、わが国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。私は、原子力については、これまでの「安全神話」を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます

 今回の事故を、人類にとっての新たな教訓と受け止め、そこから学んだことを世界の人々や将来の世代に伝えていくこと、それがわれわれの責務であると考えています。
 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々ならびにご遺族の皆さまの今後のご多幸を心からお祈りし、併せて参列者ならびに広島市民の皆さまのご健勝を祈念申し上げます。核兵器による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に、全力で取り組んでいくことを改めてお誓い申し上げ、私のあいさつといたします。(2011/08/06-08:57)

*************<強調kimera>******************

強調部分を読んでいると

何か白々しく感じ

悲しい気分になってくる。

9日は長崎で

「広島」を「長崎」に置き換えただけの

内容になるのだろうか・・・・。

 

 

 

 


このエントリィのタイトルは、あなたがつけてください。

2011-05-15 15:00:00 | 平和

アクセスに

深く感謝いたしております。

 

さてこの話題のみのエントリィです。

**************「時事通信」*********************
 「基地ない沖縄」求め行進=復帰39年、普天間で

 1972年に沖縄が本土に復帰してから39年となる15日、沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の周囲で同飛行場の県外・国外への移設などを訴える平和行進が行われた。主催する沖縄平和運動センターは約1500人の参加者を見込んでいる。
 平和行進は、復帰後も米軍基地が多く残る現状に対し、「基地のない平和な沖縄」をスローガンに78年開始。今回で34回目となる。
 今年は東日本大震災を受けて県外からの参加者が減るとみられ、例年は3コースに分かれ、「ひめゆりの塔」(糸満市)や同飛行場の移設先として日米政府が合意した名護市辺野古地域などを巡っていたが、今年は同飛行場の周囲のみに規模を縮小した
。(2011/05/15-09:36)
**************************************

という情報。

 

そしてその情報に

感情が入った記事。

*************「琉球新報」*********************
 金口木舌
 2011年5月15日
 風刺が効いた短文は時に人をうならせ、時ににやりとさせるものがある。オピニオン面の「うそっぱち」欄は読者目線で世相を映し出す
▼1972年5月20日付は5・15を「雨の復帰記念日 雨降って基地固まる」と表現した。2003年7月15日付は七夕にかけ「願いは早期返還 北方4島―北海道民 米軍基地―沖縄県民 織姫、彦星殿」。菅直人首相の「最小不幸社会」には「『最小』は0・6%で『不幸』は75%です」(10年6月13日付)。米軍基地の負担が大きい小さな島の矛盾を突いた
▼沖縄が日本に復帰して今日で39年。基地なき島を願う県民の思いは、どの時代の作品にも共通する。だがいまだそれは実現しない。固まった不幸を取り除けない政治の無策がずっと続いたせいだ
▼さらに普天間の嘉手納統合だ、オスプレイ配備だ、と沖縄にさらなる不幸を押し付けつつある。沖縄の行く末はどうなるのだろうか
▼辺戸岬の祖国復帰闘争碑の碑文に現在にも連なる部分がある。「祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶(かな)えられず、日米国家権力の恣意(しい)のまま軍事強化に逆用された」
▼碑文にはこうもある。「打ち寄せる波濤(はとう)の響きを聞け 戦争を拒(こば)み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫(おたけ)びだ」。県民の願いはまさに大きなうねりとなった。いつか願いがかなう日が来ると信じる。諦めるわけにはいかない。
*************************************

一人一人の

思いの中心は

様々だ。

しかし

色々な問題の中で

生きている私たちに

忘れてはいけないことがあることを

原発の問題は再提起してくれた。