goo blog サービス終了のお知らせ 

気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

木曽御嶽山登山の思い出(2007年8月) その③

2008-03-08 21:12:56 | 
 登山道は緩やかに上り、真っ直ぐで広い道を進むと大江権現へ出る、そこからは樹林帯に入って「あかっぱげ」を過ぎる辺りから、登山道も段々急坂に変わってきていた。
 下山する方も多く見える。この時間に下山する人は昨日登って、頂上の山小屋で一泊して帰る人達だ。関東方面から来た人が多いようである。
 お互いに挨拶を交わした後「まだ、だいぶあるから 頑張って」と励ましてくれる。
さらに進むと七合目の金剛童子にでる。この辺りが森林限界で視界がぱっと開けてくる。
 眼下には登り口の田の原近辺が小さく見える。ずいぶんと高い所まで登って来たことを実感する。左側の斜面はガスでおおわれ何も見えない。正面の中央アルプスも見えなかった。
 登山道は溶岩のごつごつした急坂が続いている。かなり急坂になってきた。
 やっとのことで八合目の石室避難小屋に到着した。しばらく休憩する。
 隣におじいさんが一人で休憩している。話しをしてみると、御嶽山には毎年登っている様で、奥さんと友達の三人で来て、奥さんは友達と二人で麓のホテルに泊まり、自分は山小屋で一泊して、明日に麓で合流するとのこと、78歳で登るスピードも私達よりもかなり早く、元気な姿に驚く。
 登山道は多くの登山者で賑わっている、登っている方も、高齢の方から小学校低学年の子供まで幅広く、登山する人達も単独の人、ペアーの人、7~8人程度のファミリーなど様々なグル-プに分かれている。
 やはり山岳信仰のメッカであるのだろうか! たくさんの人たちが次から次へと登って行くのに驚く。
 休憩を終えた私達も登リはじめた。年配の方や子供達に負けてはいけない。気持ちを引き締める。
 登山道は相変わらずごつごつした急坂の岩場が続く。
一口水でのどを潤し、九合目石室に着く。
 ここからは王滝頂上山荘の建物がはっきりと見えてくる。きつい急坂であったが、真っ直ぐに登ると程なく王滝頂上(標高=2936m)に到着した。
 
  思えば今日こうして御嶽山登山を計画して登ってくるまでは様々なことがあった。4年~5年前までは山らしい山にはほとんど登ったことがなかった。小さな階段でもさけていた。それが、夫婦二人で8kmのウオーキングを毎日のように繰り返している間に、階段はおろか小さな山登りも苦にならなくなった。
 その結果、御嶽山のような3000m級の山へ挑戦したくなり、今回の登山となった。
 登山前には不安な気持ちもあったが、ここまで登れたことで、私達には強いエネル-ギーを与えてくれているようで、非常に感慨深いものがあった。

 王滝頂上山荘前の石段を登るとそこには立派な神社があった。神社の奥には最高峰の剣が峰が見える。 早速、御参りして休憩した後、剣が峰を目指してまた登り始めた。
  ここは緩やかなのぼりが続く八丁ダルミである。
 左方向の地獄谷方面から轟音と共に噴煙があがっている。硫黄の臭いもきつい。
山岳信仰を感じさしてくれるような、真っ黒なモニメントが目に入ってくる。
 ここからは最高峰の剣が峰(標高=3067m)も目と鼻の先である。 

                
           登りはじめてからの通過地点「あかっぱげ」
        
      
              眼下は田の原駐車場

            
            眼下に見る田の原駐車場近辺(7合目付近)

                
          ごつごつした岩場が続く金剛童子付近(八合目)

               
          9合目の王滝頂上山荘の山小屋が見える 

        
               王滝頂上神社 後方は剣が峰頂上
     
      
          御岳教御神大火祭場 他にもモニメントが幾つかある

      
     轟音と硫黄の臭いがきつい八丁ダルミ後方は最高峰の剣が峰

木曽御岳登山の思い出(2007年8月)  その②

2008-03-08 14:18:07 | 
 今回は登山の開始前に御嶽山の山に関して少し触れておきたい。
 まず最初に「御嶽山」の山名の由来である。
 古くは「みやま・みたけ」などと呼ばれ、山の中でも王と尊称された。御嶽信仰が普及するにつれ御嶽と呼ばれだし、親しみを込めて「木曽の御嶽山」となった。

 次に御嶽山の山に関して述べると、
 御嶽山の標高は3067mで、わが国第14位の高峰である。東西の根張りは30数kmもあり、ひとつと山としては日本最大の山塊である。北アルプスから一歩離れた独立峰としてそびえ、四季を通じた移ろいの美しさは、訪れる人々を魅了してやまない。
 まだ記憶に新しいのは1979年(昭和54年)の噴火と、1984年(昭和59年)の長野県西部地震での崩壊である。
 また、御嶽山を知る上で大切なことは、古い歴史を持つ山岳信仰の山であることで、いたるところにある御嶽教のモニュメントがそのことを如実に物語っている。
 御嶽山の広い山頂部には最高峰の剣が峰(3067m)を初め、麻利支天山(2959m)、継母岳(2867m)、継子岳(2859m)の四つの峰と、五つの火山湖、一つの火口原が存在する。
 火口湖のうち、ニに池は2900mの日本最高所の湖と言われている。

 駐車場から広くて明るい、田の原の自然公園の鳥居を抜けて、私達は登山を開始した。
 ここ田の原の正式名は「木曽御嶽自然休養林田の原公園」で標高は2180mである。
 まず最初に湿原となっているこの公園を散策した。公園内は木道の遊歩道が縦横に設けられ、散策できるようになっている。
 湿原の代表的なコバイケソーなどの高山植物の花はシーズンを終え、残念ながら見ることは出来なかった。
 ほどなくして湿原の散策を終えた私達は、近くの遥拝所で登山の無事を祈って御参りした後、登山道に入り、ゆっくりと登って行った。
 
           
       おんたけスキ-場からの雲海と後方の中央アルプスの山峰

              
           田の原への道路そばの遥拝所と後方の御嶽山

             
         長野県西部地震で発生した御嶽崩れ(昭和59年)

       
            御嶽山登山田の原入口の鳥居と御嶽山

      
             田の原自然公園にある遥拝所
     
         
                田の原自然公園(標高=2180m)
            

木曽御嶽山登山の思い出 (2007年8月) その①

2008-03-07 20:16:02 | 
2007年(平成19年)8月26日(日)今回は3000m級の山、御嶽山登山を目指して、私達は大阪を出発した。
 当初の計画では昼過ぎに出る予定であったが、仕事の関係で4時ごろの出発となった。
 大阪から西名阪→名阪国道→東名阪→名古屋西IC→楠木JC→小牧IC→中央道→中津川ICのルートを走行してきた、渋滞もなく極めて順調なドライブであった。
 中津川市内で給油とスーパーでの買い物を済まし、国道19号(中仙道)を木曽福島方面へ向かった。時間も8時近くになっている。
 木曽は山また山である・・島崎藤村の言葉を思い出しながら愛車エステイマを走らせた。
 国道19号線(中仙道)はほとんどが真っ暗な道で、所々の街並みの灯りが妙に恋しさを感じる。
 愛車エステイマは、木曽福島の街並みに入る手前の信号を、左方向に変え、木曽川に架かる橋を渡って、王滝方面へ向かって行った。
 15分ほど走ると道の駅が見えてきた。
 時間も9時を回っている。
 今日はこの道の駅で宿泊して、明朝に御嶽山登山口「田の原」に向かうことに決めた。
 この道の駅「三岳」からは、田の原までは40分ほどで行けそうだ。
 遅い夕食が始まった。
 大阪からの長旅で少し疲れているのか、缶ビールを少し飲んだだけで、酔いが回ってくる。
 食事も軽めに済ました後、車中での就寝に入った。

 8月27日(月)午前6時半に起きてみると快晴の天気であった。
 絶好の登山日和である。
 気温も高度が高いせいか意外と涼しい。
 早速、朝食と出発の準備に取り掛かった。
 朝食もほどなく終えて7時30分頃には出発して行った。
 牧尾ダム湖を左に見ながら王滝まで行き、そこから御岳高原や、おんたけスキー場を通って行くルートである。
 途中に御嶽山独特の風景である遥拝所(遠く離れたところから拝む所)や霊碑がたくさんある。
 御嶽山が信仰の山であることを実感する。

 信仰の山では富士山、白山、立山などが有名であるが、御嶽山も1300年前の7世紀初頭に開山され、全国に数百万人の信者がいると言われている。
 特に702年や925年には、山頂の奥社や神殿を創建、天皇の勅使が登山して、参拝したと伝えられている。
 修験者による御岳登拝が、盛んに行なわれるようになったのは、室町時代(1338~1573)の中期頃からだと言われている。
 
 愛車エステイマは曲がりくねった道を、どんどん高度を上げて走ってい
く。
         
             御岳スキー場からの御嶽山
        
 スキー場近くからは御嶽山の頂上がよく見え出した。
 また、眼下には少し霞んではいるが、雲海がかかり、中央アルプスの山峰が見渡される。
 すばらしい景観である。何もかも忘れさしてくれそうな幻想的な風景だ。
 エステイマはさらに高度を上げて走っていく、御嶽山が目の前に見える。
 この場所の麓から頂上まで見渡せる御嶽山だ、すごく大きく感じる。
 御嶽山の南東斜面が大きく崩れている個所が目に入ってくる。
 昭和59年(1984年)の長野県西部地震(M6.8)のつめ痕の御嶽崩れである。
 この御嶽崩れは地震により、千本松軽石層をすべり面として大崩壊を誘発したらしい。
 崩壊した土塊は大量の地下水と共に、巨大な土石流となり、時速70kmで谷を下り
大きな被害をもたらした。
 
 田の原の駐車場はすぐそこにあった。
 御嶽山の上空には雲が少し掛かっているが、登山には申し分のない天気である。
 ここからは登山ルートも一望できる。
 麓には緑豊かな田の原自然公園が横たわっている。正面には鳥居があって、そこからが登山のスタート地点である。
 午前8時30分、私達も登山の準備が整い、リュックを背負い、杖とデジカメをもって登山を開始した。



雨山城跡(南北朝時代に築城)を訪ねて

2008-03-04 22:09:15 | 
 3月1日(土)今日は大阪府関西空港近くの熊取町南部に位置する、南北朝時代の古城跡 雨山に妻と二人で出かけて行った。
 雨山は標高314mで、浪商学園(大阪体育大学)の前の道を行くと、10分ほどで登山道入り口に到達する。
 現在の雨山は「奥山雨山自然公園」として整備され、東方向には永楽ダムがある。ダム湖周辺には桜が1000本以上植えられ、「永楽ダムと桜の道」として「大阪みどり100選」にも選ばれている。
  雨山城は南北朝時代の1346年に、南朝方拠点の山城として築城された。

 南北朝時代とはご存知のとおり、1336年、後醍醐天皇が、京都から大和国吉野に逃れた1392年から、後亀山天皇が京都に帰るまで、朝廷が南北に分かれて、互いに争った時代のことである。 
 
 雨山城は紀州と泉州を結ぶ粉河街道を、抑える為の交通の要所であったことから、南北朝の動乱期には、和泉地方における南朝方の一大拠点であった。また、この道は、西国三十三箇所第三所の粉河寺や、修験道霊場として、人気の高い犬鳴七宝龍寺への、参拝道として利用されている。

 雨山への登山入り口は、阪和自動車道の高架下にある。
 よく整備された登山道である。最初は緩やかに上っていく、頂上までの距離を表す、石の標識が目につく、八町(874m)と刻んである。途中から急斜面になってきた。
 30分ほどで馬場跡に到着する。
 馬場跡にはあずまやがあり、ここからの景観も実にすばらしい。
 りんくうタウンの高層ホテルや、大阪湾に浮かぶ関西空港などが良く見える。
 馬場跡から石の鳥居の道を、通り抜けると頂上はすぐそこだ。
 頂上の下には、千畳敷の広い広場があり、周囲には桜の木が植えられ、ベンチも所々に設置されている。
 頂上は千畳敷広場の上にあり、周辺の生茂る森林の間から建物が見えてくる。
 この建物は無料の休憩所になっておリ、休憩用のテーブルや椅子が置かれている。向かい側には、大きな山桃の古木があり、その左奥に石組の段があって、その上に石柱に囲まれた石祠があった。
 闇寵神(くらおかみ)を祭神とした雨山神社跡である。
 ※この神様は明治41年に、同じ熊取町内の大森神社に合祀合併されている。
 
この他に、頂上などの本丸周辺には 1346年に、この城を築いたとされる楠木一族の橋本正高(この城は日根野盛冶によって築かれた説もある)や、雨山城の説明板、月見の亭、射場、そして、今でも満々と水を湛える井戸などがあって、往時を偲ばせている。
 休憩所の北側には、和泉山脈を初め、大阪湾や関西空港・淡路島などが眼下に一望できる。いつまでたってもあきない景観である。

                     
            雨山城跡がある雨山(標高=314m・奥山雨山自然公園)
           
           <
           雨山(雨山城跡)登山道入口  頂上まで八町の標識
           
           
           馬場跡のあづまやからの景観・関西空港や大阪湾が望める

                    
                       山頂近くの鳥居

          
                掘り切りされて作られた千畳敷跡

          
                    頂上にある雨山神社跡

                     
              雨山頂上にある市民憩いの休憩所

          
             頂上から関西空港・大阪湾・大阪体育大学を望む

          
                頂上から関西空港・阪和自動車道を望む
         
           
                頂上にある井戸 今でも満々と水を湛える

          
              眼望がすばらしくロマンスを感じさせる月見亭

                              
           雨山頂上からの登山道でここを過ぎると美しい展望が続く

          
               月見亭から見る南側犬鳴山方面の展望

 雨山城跡の見学を終えた私達は、登ってきたコースとは違って、東側の尾根伝いに歩き、永楽池に出るコースを選んだ。
 頂上からは、今でも満々と湛える井戸を見学して、月見の亭に出る。
月見の亭からは、大阪湾とは逆方向の展望で、街並みを走る粉河街道や、蛇行しながら流れる川、和泉山脈の山々などの景観を楽しむことが出来た。
 尾根伝いの登山道をさらに進む、眼下の景観や、和泉山脈などの美しい景観を楽しめるルートである。
 ほどなくして登山道も東向きから北向きに変わる。大きな鉄塔が東方向に見えてくる。登山道も北向きから東向き方向に変わった。
 眼下には永楽ダム湖と熊取町南部や貝塚方面の街並みが見え、さらに遠くに大阪湾の景観が見えてくる。 
 永楽ダム湖の景観ではここからが一番美しく見える。ダム湖から東方向にそびえ立つ山頂には展望台が見え、独特のコントラストをかもし出している。
 ここを訪れる登山者のみに与えられた、この景観は、私の脳裏にしっかりと焼きついていくように感じた。
 さらに登山道を進むと程なくして永楽池に到着した。
 永楽池からは車道を2kmで永楽ダム湖の側ににある公園に到着し家路についた。

          
        永楽ダム湖と右側西展望台 熊取南部や大阪湾の展望がすばらしい
         
          
                住民の総力をあげて造られた永楽池
 永楽池にまつわるお話し
 泉州地方は昔から雨が少なく、大きな河川もないことから、農業を行なう上で、「ため池」 はなくてはならないものでした。
 その大部分は江戸時代に造成されたもので、熊取町には、約130個のため池が残っています。
 この永楽池は、明和8年(1771年)に工事が始まり、翌年には完成しています。
高田(こうだ)奥の谷に流れてくる川を、堤防で堰き止め、池としたもので、地元の有力庄屋(降井家、中家)や熊取周辺の人々が総力をあげて行ないました。
 工事の指導は、広島出身の儒学者斎静斎(いっきせいさい)により行なわれました。
 静斎は水の利用について、上流・下流・小百姓まで不公平がないように四か条を定めました。
 ①水の流れを妨げてはならない。
 ②人の水まで奪って自分の田地に引き入れてはいけない。
 ③村役人はえこひいきしてはならない
 ④村役人も百性も皆自分よりも他の人を優先するように心掛けなければならない。


厳島神社の背後にそびえる弥山(世界文化遺産)登山

2008-02-04 22:25:13 | 
 厳島神社やもみじ谷の紅葉の観光を終えた私達は、当初の計画した通り、神社の背後にそびえ原生林に包まれた弥山(みせん標高=530m)へ登山を開始した。
登山ルートはロープウエー乗り場の近くにある、もみじ谷登山コースである。
 緩やかな登山道から原生林の中を、くぐりぬけていく急坂の登山道である。
 高さの割りにきつい感じがするが、登山道はよく整備されている。
ロープウェーから来る道との分岐点まで急坂が続く、分岐点からは急に視界が広がり、瀬戸内海の展望がすばらしい。
少し曇っていて霞んで見えるのが残念である。
 程なく歩くと弥山本堂と霊火堂の広場に着く。
ここで小休止しながら、姫路から来たという人と会話を楽しんだ後、再び登山を開始した。
目の前の石の階段を上ると頂上は近い。途中に巨岩や怪石の続く道を通り抜けるとそこは弥山頂上であった。1時間30分を要した。 
正面には大きな展望台がある。観光客も多く、360度広がる瀬戸内海に浮かぶ島々や広島市内方向の景観を、弁当を広げたりして、思い思い楽しんでいる。
 私達も頂上での景観を楽しみながら、弁当と持参したコーヒーでくつろいだ。
 復路は大元谷コースで下山したが、往路より険しい登山道であった。

                   
                      頂上近くの巨岩

          
               弥山本堂の広場 階段を上ると頂上は近い

          
                   弥山山頂(標高=530m)

           
            弥山山頂より行き交うフェリー(宮島口ー宮島桟橋)

          
                  弥山山頂と瀬戸内海

          
            弥山山頂からのロープウエー終点の獅子岩駅と瀬戸内海

          
                弥山山頂より下山する登山道

            
                  下山後の潮の引いた厳島神社

剣山(四国)登山と観光 その7

2008-01-29 23:28:49 | 
二重かずら橋の観光を終えた私達は、国道439号線を西に走行して行った。
交通量の多い割には、 対面通行の出来ない狭い道路が多く、カーブなどで、猛スピードで運転して来る車には閉口する。
 その度に急ブレーキを踏む場面が何度か有った。
 一時間以上も、こうした対面通行が出来ない道路で、運転するのは始めてであった。
 ほんとに疲れるコースである。
 そんな山岳道路を走っている時に、写真のような東祖谷山村落合集落の展望がすばらしい個所に来た。
 平家伝説の里で、時代の流れを忘れさしてくれるような景観である。      
 集落の展望を終えた後は、全国的に日本秘境の里と温泉で有名な「祖谷(いや)のかずら橋」にやって来た。 
 山里であるが道路や駐車場もよく整備されており、近くには近代的な建築物の温泉街がある。
 かずら橋も先に観光した二重かずら橋よりも規模が大きく、大勢の観光客でごった返していた。
 昼食を済ました後は、高知と高松、徳島を結ぶ幹線道路国道32号線へ走行して行った。
 大歩危峡(おおぼけきょう)は近いところにあった、
 四国三郎と言われる吉野川。
 切り立った山肌の両側に鉄道と道路、白い奇岩の渓谷を、真っ白な泡を立てながら流れる吉野川。
 大歩危小歩危峡(おおぼけこぼけきょう)の美しい景観である。

 明日の予定もあり、観光もそこそこにして、一路、徳島港フェリー乗り場へ向かった。
 徳島港からのフェリーも満車で込み合っていたが、中程でご覧のような夕陽に出会えた。
 すばらしい夕陽で、旅の疲れも忘れさしてくれ、明日への勇気を与えてくれているようだ。 
 フェりーも程なく和歌山港に着岸した。
 私たちの車も、和歌山から阪和自動車道を走行して、大阪の家路に着いた。

          

                    
                  平家伝説の里 東祖谷山村落合集落
 
                     
                全国的にも知られる 祖谷のつり橋

           
            秘境の里 祖谷のつり橋 多くの観光客で賑わっている

           
            吉野川の大歩危峡渓谷・遊覧船の乗り場もある  

            
                フェリーからの夕陽(徳島港→和歌山港)

 

剣山(四国)登山と観光 その6

2008-01-29 22:01:58 | 
 剣山登山後の一夜明けた朝も上天気であったが、気温が相当下がっている。
車に行って出発の準備を始めようとしたところ、車前面にご覧のような霜が降りていた。まるで初冬のようだ。
 宿泊した 「ラ・フォーレつるぎ山」 は設備も整っており、食事やサービスもよく、それに、何よりも経済的であった。
 温泉や観光の名所も数箇所あったが、私達は二重かずら橋に行くことにした。
国道439号線をしばらく行くと道沿いに行くと、全国的にも極めて珍しい二重かずら橋はあった。  (祖谷=いや)
 奥祖谷二重かずら橋は奥祖谷川に架かる2本の橋で、下流に男橋(おばし)、上流に女橋(めばし)がある。
 特に男橋は全長42m、高さが12mもあり、渡るのにはスリル満点であった。
 また 女橋の上流側には川を挟んで手動のゴンドラが架けられていた。 

            
         「ラフォーレつるぎ山」駐車場で翌朝フロントガラスに霜が降りている

           
             下流側にある男橋    怖がらず楽しみながら渡る少女
              
           
                 奥祖谷二重かずら橋 男橋を渡る人々 

          
              男橋は高さ12mあり女性にはスリル満点

          
              奥祖谷二重かずら橋 上流側にある女橋

            
                   川に架かった手動のゴンドラ

剣山(四国)登山と観光 その5

2008-01-29 21:13:11 | 
 剣山からの下山は登りとは別の尾根道コースを通った。途中では刀掛の松や原生林の大木が生い茂っていた。

          
                     剣山山頂付近の紅葉
           
          
                     刀掛(かたなかけ)の松

          
                      刀掛の松で全員集合

            
                        岩場の紅葉

          
                    登山道からの眺望
         
          
                  大木の生い茂る原生林の中を下って行く 


剣山(四国)登山と観光 その4

2008-01-29 18:22:59 | 
          
                途中の剣神社 サー出発

          
                  剣神社近辺から四国山脈の景観  

            
                剣山頂上付近にある美しい森林  

                      
                  頂上にある山小屋 もうすぐだ                

 登山リフト西島駅から登山を開始、マイペースでゆっくりと剣山山頂の頂きまで登ってきた。
登頂まで約一時間30分程の時間であった。お昼時間も大分周り、1時頃になっている。
 頂上は風が強く気温も下がっている。少し体が冷えそうだ。
 そのために、日当たりが良く風の当たらない場所で昼食をとることにした。
 ラ・フォーレつるぎ山のお弁当である。内容も豊富でボリュームがあり、おいしかった。これで800円とは大満足。
 頂上一帯は剣山の名前とは違って笹原が一面に広がり丘陵地になっている。
食事後の私達は、丘陵地の中に敷設された木道を通って、頂上の三角点を目指して行った。
 
 三角点は大勢の登山客で賑わっている。
  我々も全員、西日本第2の高峰、剣山山頂に立つことが出来た。
 登山してきたメンバーも満足げな表情であった。
 頂上からの展望は太平洋を初め360度の大パノラマが楽しめた。
 しばらく頂上で過ごした後、ヒュッテに立ち寄り下山して行った。

          
                 大勢の人でにぎ合う頂上のヒュッテ

           
                     丘陵とした剣山の山頂

          
              ついに剣山頂上(標高=1955m)に立つ

          
                  大勢の登山客で賑やう剣山山頂三角点

          
                     山頂からの南方向の展望
       
           
                      山頂から西方向の展望


剣山(四国)登山と観光 その3

2008-01-29 17:12:06 | 
 登山リフト終点の西島駅(標高=1710m),私達は左の尾根道を通らず、右の大剣(おおつるぎ)道のコースを選び、登山を開始した。
 今回の参加メンバーはほとんどの方が山登りの経験はなかった。
それに道中のくねくね道走行で車酔いをしていた。登山開始してすぐには、山道での歩行スピードがわからずに戸惑ったりしたが、マイペースで一歩一歩、登って行った。
 登山道から見る、四国の山々の景観がすばらしい。急斜面で男性的的でもある。
ほどなくして巨岩が現れた、正面には大剣神社である。ここからは頂上へは潅木の中の急登だが、笹原に変わると、そこは、もう頂上の一角である。
           
              登山リフト終点の西島駅(標高=1710m)で

          
                登山道から上空の紅葉した剣山山頂を望む 

           
                登山道を登り始めた直後のメンバー

          
                  登山道で見かけた老大木の根

          
                 登山道からの四国山脈の山嶺を望む

          
                     剣神社に到着

          
                  剣神社に到着し元気な昔の3人娘 

          
                 大剣(おおつるぎ)神社上空からの展望