ちびっこ大好きアンパンマン。
おもちゃ、ぬいぐるみ、お菓子、レトルトカレー、ふりかけ、ウインナー
かまぼこ、ノート、鉛筆、コップ、タオル、水着、Tシャツ、靴、かばん、
絵本、DVD・・・まだまだでてくるアンパンマンマン。
なんでもかんでもアンパンマン。泣く子はおらんかー、アンパンマンで
泣きやまそう。困った時はアンパンマン。とにもかくにもアンパンマン。
・・・で、私はアンパンマンが嫌いなのかといえば、そんなことはない。
素晴らしい作品だと思う。(でも、本当のおすすめは“やさしいライオン”という
絵本だよ。ぜひ一度手にとってみて下さい)
じゃあ何が言いたいのかというと、
保育士がアンパンマンで勝負したらあかんのではないか、ということ。
子どもは飛びつくに決まってる。子どもの心にまっすぐ突きささるに決まってる。
「なら、それでいいやん」と思う保育士にそれ以上の進歩はないと思う。
私の感性で言わせてもらうと、それはプロの料理人が「おいしいからいいやん」と
レトルトを出すようなもの。プロの建築家が「かっこいいからいいやん」と
誰がどうみてもわかるコンクリートうちっぱなしの家を安藤忠雄の家の横に
建てるようなもの。「売れるからいいやん」と自分で考えてもいないデザインの
Tシャツに自分の名前をつけて売るようなもの。
なんか例えがおかしいけど、それぐらい私にとっては恥ずかしいことなのだ。
「ギャー」って顔をおおってしゃがみこみたくなるくらい恥ずかしいことなのだ。
保育の現場に持ち込むのはもうやめませんか?とあっちむいてホイ体質の
私はうんざりしている。
プロならキャラクターに頼らず、楽しい空間をつくろうよ。美しい歌をうたおうよ。
ここにある現実世界の素晴らしさを自分の目と手と心を使って心をこめて
子どもたちに伝えようよ。それが保育士の仕事であり、私たちのやりがいであるはず。
ただ例外はある。
もし、私が児相(児童相談所)で子どもを預かる担当だったとしたら、アンパンマンの
ぬいぐるみは絶対に置くし、なんならアンパンマンのエプロンをして子どもを迎えに
いくかも知れない。アンパンマン体操のCDを軽やかに流して、率先して踊るだろうし
上手く描いてあげられる自信はないけれど、クレパスを使って一緒に顔を描くだろう。
もし、私が混乱の中にある避難所の託児室に配属されたとしたら、やっぱり間違いなく
アンパンマンのおもちゃやぬいぐるみや音楽は用意するはずだ。絶対に必要なものだから。
なんなら私が着ぐるみに入る。顔をかじってもらって構わない。
東日本大震災のボランティアに行った時に、これは学んだこと。
だけど、日常の保育でアンパンマンをとりこむことを私はしない。
今、ここにあるもの。40年の人生で私が手にした宝物をすべて差し出すつもりで
目の前にいる一人ひとりの子どもに向き合っていきたい。笑う時も、叱るときも、
食事をする時も、着替えを見守る時も、ケンカを仲裁する時も、一瞬一瞬が
全てそうでありたい。
そしてアンパンマンはさ・・・子育てしているお母さんのためにとっておいてあげてよ。
ありますよ。我が家にも“アンパンマンふりかけ”が。お出かけの時はカバンに
しのばせていますよ。“あんぱんまんせんべい”が。
プロの仕事をしているなら、やっぱり勝負には勝ちたい。
家では勝負なんてしないから、なんでもいい。どうでもいい。
矛盾しているように思えるけれど、これを両立させている今の生活にも学びはある。
おもちゃ、ぬいぐるみ、お菓子、レトルトカレー、ふりかけ、ウインナー
かまぼこ、ノート、鉛筆、コップ、タオル、水着、Tシャツ、靴、かばん、
絵本、DVD・・・まだまだでてくるアンパンマンマン。
なんでもかんでもアンパンマン。泣く子はおらんかー、アンパンマンで
泣きやまそう。困った時はアンパンマン。とにもかくにもアンパンマン。
・・・で、私はアンパンマンが嫌いなのかといえば、そんなことはない。
素晴らしい作品だと思う。(でも、本当のおすすめは“やさしいライオン”という
絵本だよ。ぜひ一度手にとってみて下さい)
じゃあ何が言いたいのかというと、
保育士がアンパンマンで勝負したらあかんのではないか、ということ。
子どもは飛びつくに決まってる。子どもの心にまっすぐ突きささるに決まってる。
「なら、それでいいやん」と思う保育士にそれ以上の進歩はないと思う。
私の感性で言わせてもらうと、それはプロの料理人が「おいしいからいいやん」と
レトルトを出すようなもの。プロの建築家が「かっこいいからいいやん」と
誰がどうみてもわかるコンクリートうちっぱなしの家を安藤忠雄の家の横に
建てるようなもの。「売れるからいいやん」と自分で考えてもいないデザインの
Tシャツに自分の名前をつけて売るようなもの。
なんか例えがおかしいけど、それぐらい私にとっては恥ずかしいことなのだ。
「ギャー」って顔をおおってしゃがみこみたくなるくらい恥ずかしいことなのだ。
保育の現場に持ち込むのはもうやめませんか?とあっちむいてホイ体質の
私はうんざりしている。
プロならキャラクターに頼らず、楽しい空間をつくろうよ。美しい歌をうたおうよ。
ここにある現実世界の素晴らしさを自分の目と手と心を使って心をこめて
子どもたちに伝えようよ。それが保育士の仕事であり、私たちのやりがいであるはず。
ただ例外はある。
もし、私が児相(児童相談所)で子どもを預かる担当だったとしたら、アンパンマンの
ぬいぐるみは絶対に置くし、なんならアンパンマンのエプロンをして子どもを迎えに
いくかも知れない。アンパンマン体操のCDを軽やかに流して、率先して踊るだろうし
上手く描いてあげられる自信はないけれど、クレパスを使って一緒に顔を描くだろう。
もし、私が混乱の中にある避難所の託児室に配属されたとしたら、やっぱり間違いなく
アンパンマンのおもちゃやぬいぐるみや音楽は用意するはずだ。絶対に必要なものだから。
なんなら私が着ぐるみに入る。顔をかじってもらって構わない。
東日本大震災のボランティアに行った時に、これは学んだこと。
だけど、日常の保育でアンパンマンをとりこむことを私はしない。
今、ここにあるもの。40年の人生で私が手にした宝物をすべて差し出すつもりで
目の前にいる一人ひとりの子どもに向き合っていきたい。笑う時も、叱るときも、
食事をする時も、着替えを見守る時も、ケンカを仲裁する時も、一瞬一瞬が
全てそうでありたい。
そしてアンパンマンはさ・・・子育てしているお母さんのためにとっておいてあげてよ。
ありますよ。我が家にも“アンパンマンふりかけ”が。お出かけの時はカバンに
しのばせていますよ。“あんぱんまんせんべい”が。
プロの仕事をしているなら、やっぱり勝負には勝ちたい。
家では勝負なんてしないから、なんでもいい。どうでもいい。
矛盾しているように思えるけれど、これを両立させている今の生活にも学びはある。