旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

今ならわかる

2020年06月29日 23時07分36秒 | 日々のこと
ひょんなことから畑と庭を所有する生活を始めて3年。
前に住んでいたご夫婦が大切にされていた木も全部残しているので
畑と庭をぐるりとひとまわりすると、自然といろんなことを考えるようになった。

昔、父と母が大喧嘩をしたあげく、母が怒り狂って私が学校に行っている間に出て行ったことがあった。
(そんなことを言っても、覚えていないと言い張るに違いないし、私の勘違いなのかも知れないけれど
あの時、まだ小さかった私がそう認識した事実は変えられないことなので、真相は今更どっちでも構わない)
私は学校に行っている間、不安で不安で仕方なく、帰る時には友達がわざわざ家までついてきてくれた。
母が帰っていたのか、夜になって帰ってきたのかは覚えてない。覚えているのは二人が怒鳴り合っていたことと
母がヒステリックに「いかに父親がダメなのか」を私に向かってしゃべり続けている姿だけだ。

その大喧嘩の理由は、母が庭に木を植えたら、父が勝手に引っこ抜いた。という子どもにとっては全く
意味不明の理由だった。父の言い分は「木は根っこを張る。こんな狭いところに木を植えたら根っこを張れない。
もう二度と木を植えるな」というものだった。母は植物の世話に関しては本当にセンスのある人で、
いつもきれいな花を庭中に咲かせていたし、楽しそうに手入れをしている姿は幸せそうだった。私も一緒に
よく苗屋さんに連れて行ってもらっていた。(そのわりに私に栽培のセンスが一切、そう一切!ないのはなぜだー)

その時は母からの一方的な話しか聞いていなかったので父が悪いと私は思い込んでいた。思い込むだけでなく
憎んですらいたと思う。大好きなお母さんを苦しめる悪いお父さん、と子どもが思うのは仕方ない。
でも今なら父が植えたばかりの木を引っこ抜いた理由がわかる気がする。
夫婦のことは夫婦にしかわからないのだろうけど、子どもの前でお互いをののしりあうのだけは
やめて欲しかった。説明してくれたら子どもの私にも分かったのに、あの時私と対等に話してくれる人は
どこにもいなかった。
夫婦の溝にすっぽり落ちてしまうのは当人だけじゃない。子どもも突き落とされる。
大人は這い上がり方を知っているのかも知れないけれど、子どもはまだそれを知らない。落とされても
落とした親が拾い上げてくれるのを待つしかない。

父が大好きで夏に咲き誇っていたノウゼンカズラが、今の家のシンボルツリーになっているのは
なにかの因縁なのか・・・咲いても咲いてもまだ咲くこの花の勢いに目眩がする。