旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

不安

2016年10月02日 21時52分28秒 | 日々のこと
なんだろう、ここ何週間かの天気のせいか気圧のせいか
気分がどんより落ち込みっぱなしだ。
一週間ダンナ氏が出張だったこともあるのかな。

両手からあふれたこの子どもたちを、私は本当に育てることが
できるのかな。そもそもこの子たちは今のこの世界に生まれてきて
よかったのかな。この先80年の、80年の80年・・・
こうやって命のバトンタッチをすることは正しいのかな。
そんなことをエンドレスで考えていた。暗い。暗すぎる。

正直私個人は「逃げ切れる」という気がする。もう40歳近いし。
やりたいことはやってきたし(やっているし)悔いは何一つない。
あるとしたらこの子たちの成長を見届けることだけだ。
だけどこの子たちはその後何年も何十年も生きていかなければならないし
その中で次の世代に命をつなぐことを選択するかもしれない。
その時不安よりも希望が勝ちますように、と思わずにはいられない。
私は今、不安に負けている。

髪の毛がごっそり抜ける時期に入ったからか(産後ホルモンの影響)
体形が全然元に戻らないからか(ただ単に食べ過ぎ)
乳がん検診を控えているからか(秋には受けることにしている)

抜け出したいけれど、不安で仕方ない。
毎日はこんなにも穏やかだというのに。子どもたちの弾けるエネルギーが怖い。

こまったものだ。

話は変わるが、私は三宮の国際会館入り口にあるウッドデッキの階段がすごく好きだ。
震災の後、この街はうんと優しくなったと思う。その成功例のひとつがあの場所だと
思うのだけど、この間そこにぼんやりと座っていて「でも、もしあの震災で私が
自分の子どもを失っていたとしたら、こんな空間ができたところで何の救いにも
ならないだろうな。今の神戸の住みやすさは震災があったからこそ。多くの人が
犠牲になったことによって、今のこの住みやすさがあるのだとしたら・・・」
そんなことを初めて思った。今まではそんな考えはしたことがなかったからびっくりした。
この街を、この暮らしを灰色の気持ちでしかみることができない人がたくさんいるんだ。
今も、これからも。

そして私の暮らしもそんな危ういバランスの上に成り立っているのだな、と思うと
手に入れたものの大きさに目眩がした。
好きな人と、好きな人との子どもと私はいつまで一緒にいられるんだろう。
お願いだからある日突然いなくなるとか、理不尽な別れがやってくるとか、
そういうのだけはやめてほしい、と祈るように思う。
きっと世界中の誰もがそう祈っているのだろうけど。

手に入れるだけ手に入れて、失うことに怯えて毎日を暗く過ごすだなんて
間違っている。そうわかっていても、立ちすくむ時がある。どうしても。