万葉集を分かりやすく解説~片思いの恋~
舎人皇子(とねりのみこ) (巻2の117番歌)
大夫(ますらを)や 片恋ひせむと 嘆けども 醜(しこ)の大夫 なほ恋ひにけり
(訳:りっぱな男子たるものが片恋などしようかと思い、わが身を嘆くのだが、やはりふがいない男子は恋に苦しんでしまうのでしょうね。)
舎人皇子(親王)は天武天皇の子で、「日本書紀」の最終的な編纂(へんさん)責任者と目されている人物なのです。
今から1300年前の養老4年(720年)5月21日、舎人親王が「日本紀」を修(あ)んだという記述が「続日本紀」にあり、これが「日本書紀」が完成し奏上されたことを意味しているとされています。
今回のこの歌は、その舎人皇子が、立派な男子たる「ますらを」が片恋に悩んだりするものかと嘆きながら、それでもやはり「醜のますらを」は恋に苦しんでしまう、と歌ったものです。
この歌には、舎人娘子(とねりのをとめ)が応じた歌もあります。それが巻2の118番歌です。
ここでは、立派な「ますらを」が恋してくれるからこそ、私の髪も濡れほどけてしまうのだと、皇子の少しおどけた嘆きを肯定的に捉え直し、機知に富んだ返しをしているのです。
髪が濡れほどけることについては、恋されると髪がほどけるという俗言があったともいわれており、相手の恋の嘆きが霧となって髪を濡らしほどけさせるという考え方あったともいわれています。
皇子と娘子が詠んだ「ますらを」、つまり古代の立派な男性像については、「日本書紀」にも見ることができます。
神武天皇の兄である五瀬命(いつせのみこと)は、傷を負って亡くなる前に、「大丈夫(ますらお)」であるのに傷の報復もせずに死んでしまうとは、と発言しています。
男とはこうあるものだ、といった男性像があったようです。