座禅を組んで静かに考えるのも良いのでは
禅の開祖である達磨大使は修行のために壁に向かって座禅を組んだそうです。
それ以来、風雨に曝されても、膝にクモが登ってこうようが、わき目もふらず壁に向かって9年経ったそうです。
そして悟りを得た達磨は、足を解いて立ち上がった際に、こう言ったのです。
「なるほど、ただ睨んでいるだけでは、壁に穴を穿つことはできぬ」
この言葉、当たり前の事実を言うこの言葉ですが、これをたわいないことと笑っていいのだろうか。
仕事や学習において、日常、成すべきことに囲まれているのが私たちなのです。けれども、そのすべてを遂行できているかと言えば、甚だ心元ないですよね。
理念に基づく尊い仕事すら、気を許せば、理想を追求するより、出来る現実に照準を合わせているのではと思います。
実力向上を望んで準備する試験も、結果が伴わなければいつも別の理由を探していると思いませんか。
それはやれなかったのではなく、結局睨むばかりでやらなかったことと同じではないでしょうか。
穴を穿つには、断固たる覚悟がまず求められるよう。睨んでいるだけでは何も成しえないのではないでしょうか。