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万葉集をわかりやすく解説

2019-04-08 07:58:58 | 地域と文化

今回の歌 天武天皇 (巻1 二七番歌)

 よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見

訳:かつてよい人が、よしとよく見てよしと言った、この吉野をよく見なさいよ、今のよい人もよく見なさいよ

 

解説

 この歌が作られたのは五月五日であるが、明けて六日には、いわゆる「六皇子の盟約」が行われている。六皇子の盟約とは、天武天皇ゆかりの六人の皇子が、天皇と皇后に忠誠を誓ったもので、重要な政治的役割をもっていた。その盟約を吉野で行ったのは、壬申の乱と関わりがあることはいうまでもありません。「吉野をよく見よ」という言葉の裏には、あの戦乱のことを忘れるな、との天武天皇の思いが込められているはずである。

 

                   

           上千本                         花矢倉より

 はじめて吉野を訪れた多くの人が、口にするのが「奈良県という県の南は、山國なのですね。そして、奈良にもこんな大きな川が流れているのは、びっくりしましたよ。」たしかに吉野は、いわゆるクンナカ(奈良平野)から見れば別天地です。

 日本の古代国家の歴史は、「壬申の乱」という内乱によって、大きく展開することになります。天智天皇の崩御後、皇位継承争いに打ち勝って即位をした天武天皇は、一時期吉野に隠棲(いんせい)していたのです。そのために、吉野は天武天皇にとって重要な場所になったのです。特に、西暦672年のことなのです。その天武天皇が、天武天皇八年(679年)五月の行幸の折に作った歌です。

 

                       

          壬申の乱の舞台になった飛鳥村(甘樫丘)     壬申の乱で討たれた蘇我入鹿の墓と言われる石舞台古墳