花恋人

山野草や蝶・トンボなどの昆虫、冬は野鳥です。

前橋探訪 その43 最終回

2007-02-25 | Weblog
その43は昔を語る 国分寺跡です。

国分寺跡は前橋市元総社地区と高崎市(旧群馬町東国分)の境にあります。

国分寺は奈良時代の中頃、聖武天皇の命により全国に建てられました。僧寺と尼寺があり国分二寺ともいいます。
群馬では関越自動車道をはさんで東に尼寺、西に僧寺の跡があります。
僧寺は昭和55年から発掘調査が行われ、現在、その成果にもとづいて南面の築垣=ついがき=土をつき固めた塀や
塔・金堂の基壇が復元されて、史跡公園とする工事が進んでいます。
尼寺は畑になっていて、地表面からその跡を知ることはできません。

当時、上野国分僧寺には高さ60mもある七重塔がそびえ、金堂、講堂、中門、南大門など、
多くの建物が、方約200mの築垣に囲まれる範囲に建ち並んでいました。
さらにその周囲には寺院活動を支える諸施設が作られましたので、国分寺の範囲はかなり広大なものでした。
遺跡からは県内各地で作られた瓦が大量に出土しています。その建設工事は上野国の国をあげての事業であり、
その維持・修理にも多大の労力が費やされていたことが分かります。
僧寺は文献資料や発掘調査の結果、平安時代の後期には衰退・廃絶してしまったことが判明しています。
寺として続いていたのは、わずか300年間程度でした。
しかし、今でもこの国分寺跡に立つと当時の壮大な光景が目に浮かび、私は思わず身震いしてしまいました。
一名でも、快くご案内して下さるガイドの方がおられます。お近くでしたら是非一度お出掛け下さい。

前橋市は平成16年12月5日、大胡町・宮城村・粕川村と平成の大合併をし、
平成19年1月31日現在、総人口 324,644人となり、さらなる飛躍を続けています。
多分、近い将来富士見村とも合併することになるでしょう。

広域前橋をもっとご紹介したいと思いますが、この前橋探訪は、「その43」をもって終了とします。
ご協力いただいた方々、有難うございました。
また、長らくアクセスしていただきまして、有難うございました。
季節も変わり、これからは花・蝶・鳥・風・月を中心にお届けします。
腰痛も治らず、本当のところ少しくたびれました。
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

1、上野国分僧寺、鳥瞰図


2、高さ60.5mもあった七重塔模型


3、上野国分寺趾石柱と後方は七重塔基壇


4、手前金堂基壇、遠方築垣(ついがき)


5、復元された築垣(ついがき)=版築という、柱と柱の間に堰(せき)板を渡し、
  その中に土を15cmの厚さに敷き詰め、それが半分になるまで棒で突き固める工法で造られました。
  この土の層を35段積み上げて造られました。


6、上野国各地で作られた瓦が大量に出土しています。この写真では分かりませんが、瓦には文字瓦があります。
  当時各郡単位の負担によって国分寺の建立が進められたことを表しています。
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白菜のサラダ風、梅しそ和え(瞬間漬物)

2007-02-24 | Weblog
今日はおじさんの酒の肴の作り方をご披露します。
名前は「白菜のサラダ風、梅しそ和え(瞬間漬物)」と題します。

材料は3人前くらいです。
1、白菜・・・2枚(白い部分が肉厚のもの)
2、ニンジン・・・100gくらい
3、水菜・・・100gくらい
4、梅干2個と一緒に漬けたしそ(無ければしそ漬の素、少々)
5、いりこだし・・・スティック1本(8g)
6、黒(白でもよい)ゴマ・・・煎ったもの、少々

作り方
1、白菜は白い部分と緑の部分を切り分ける
  白い部分は5cm幅くらいに切って、千切りにする。
  緑の部分は1cm幅くらいに切る。
2、ニンジンは4cm幅くらいに切って薄く千切りにする。万能おろし器で、薄く千切りするとよい。
3、水菜は5cm幅くらいに切る。
4、梅干は種を除き、しそと一緒に包丁で微塵切り、ペースト状にする。
5、以上をボールに入れ、いりこだしを加えてよく和えれば出来上がりです。
  お皿に分けて、最後に黒ゴマをパラパラとかけましょう。
6、好みで、一味唐辛子を振りかけてもよいです。
  梅干を3個使ってもよいが、あまり塩辛くしない方が美味しいです。
注)使用材料と量は目安で厳密なものではありません。
  適当にアレンジして下さい。

●作品の撮影は難しいですね。美味しいのですが、美味しくみえますか。
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前橋探訪 その42

2007-02-24 | Weblog
その42は雷雲ひきつれ 夏が来るです。

上毛カルタに「雷と空風 義理人情」とあるように、前橋はその真っ直中にあって、有難くない名物です。
冬から春にかけて北関東を吹きまくる空ッ風と、夏の雷は「熱し易く、冷め易い」県民性、風土を醸しているようです。
義理人情はどうですかね~。社会のためには自分を忘れ、
公共のためには利益をかえりみない美風こそは真の上州名物であろう、なんて言われてみたいです。
群馬県産米で「ゴロピカリ」という銘柄があります。なんでも稲妻(稲光)を受けた米は美味しいそうです。

データで調べたところ、年間雷日数は日本海側の新潟県などの方が多く、
上越の山に仕切られた太平洋側(群馬、栃木など)は夏の季節に集中しています。

●一天にわかにかき曇り、雲間から射す光はあたかも天孫降臨の瞬間のようでありました。
 この後、バケツをおんまけるような土砂降りとなりました。




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メジロです。

2007-02-23 | Weblog
撒き餌で誘き寄せたものでなく、天然自然?の状態で撮りました。
大変満足しています。ま、自己陶酔ですね。
なにしろ、この一枚を撮るためにジッと待って、何枚も失敗しているのです。
他にヤマガラ、シジュウカラ、コガラなどいました。
すみませんが場所は秘密にさせていただきます。

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前橋探訪 その41

2007-02-23 | Weblog
その41は細谷而楽(ほそや じらく) とびの像です。


前橋出身の彫刻家・乾漆工芸家、明治11年(1878年)栄町(当時は一毛町)に生まれ、高村光雲に彫刻を学ぶ。
法隆寺や唐招提寺、新薬師寺などの仏像をはじめ、数多くの古美術品の研究や修理にあたりました。
特に新薬師寺の塑造十二神将のうち、欠けていた波夷羅大将を復元したことは、特筆されます。

前橋東照宮の裏手に立つ彰忠碑の塔上で翼を広げる「とび」(明治39年作)は而楽の作品として有名です。
塔身が銅製だったため戦争で供出されるとき、「とび」だけは供出を免れ、戦後昭和37年に再建されました。
昭和15年(1940年)没、三河町正幸寺に眠る。

1、前橋東照宮裏の彰忠碑=護国の花と散った英霊の偉業を永久に伝えるため建てた記念碑のことです。


2、細谷而楽の作品、左は聖徳太子座像(県庁保存)、右は釈尊坐像(正幸寺保存)、ご住職から特別に撮影を許可されました。


3、左は細谷而楽の生家跡、右は正幸寺にある墓所
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