Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

小泉復活するか?

2008年02月23日 13時26分30秒 | Weblog
政局というものが、政策と関係なく動くことが多いので、おれは政局なぞというものに興味があまりないのだが、Observing Japanさんの描く小泉氏を主人公とするありうべきシナリオは面白い。
 小泉氏が新党結成して、民主党と都市層を中心に競い合い、後に自民党と連帯する、というものだ。あり得ない話ではないな。策士小泉氏がどうでるか?

日系企業の落ち度

2008年02月23日 08時22分21秒 | Weblog
ニラ肉まんの殺虫剤、中国検査当局「日系企業に落ち度」.....
同総局は「2社は日本側が単独出資した企業。日本側の基準に従って管理・生産が行われ、日本側の職員が駐在し、監督と管理を行っている」として、「日本側」の責任を強調した。

魚拓

やっぱり、この国の子供じみたいいがかりはまずい。
日本企業はこの点承知の上での出資か?

バカ化する若者?

2008年02月23日 03時44分32秒 | Weblog
太田氏のブログの記事。
まあ、おれらのわかいときもさんざんいわれたわりになんとかやっている。最近の若者は、という言葉、江戸時代の文献にもでてくるそうな。
 記事があげる特質もことさら悪い特質でもない。心優しい若者が増えているのかもしれない。それはいいことだ。子どもは大人の鏡のように、オヤジが手本をみせなければ若者がよくなっていくわけがない。どうしようもないやつはどうしようもないだけに目立ってしまうが、目立たないなかに明日の日本を堂々と背負っていく若者がいるものだ。
 若者には、自分の納得いく人生を歩んでほしい。

カリスママン

2008年02月23日 03時37分47秒 | Weblog
My So-Called Japanese Life
当該女性ブロガーによると、日本におけるカリスママンというのは祖国で社交性のない男が、日本では外国人の外国性ということで大目にみられているような男性ということだそうだ。まあ、アンポンタンさんのところで、日本女性を褒めたら西洋女性から非常にやっかみのコメントがあったように、これも多少やきもちが入った分析じゃないかな、という印象。
面白いのは、コメント欄で、イギリス人女性がイギリス人ボーイフレンドが日本に来て日本人女性のエロ写真がパソコンに大量にあったのを怒り、処分させた、というもの。日本人女性でもいるが、案外寛容なんじゃないかね、こういうことに関しては。
ま、カリスママンでもなんでもお互い必要なものをもっていればいいじゃん。

本 逝きし世の面影

2008年02月23日 03時29分15秒 | Weblog
以前にに紹介した痴呆のについての本で名著として紹介されていた本。逝きし世の面影 図書館にたのんでおいた。
確かに名著である。日本人外国人ともに必読である。
はじめの方でサイードがどうの、方法論的にどうこういうのであるが、ようするに、真の姿などありはしないのだから、当時の外国人がみた日本の姿である、ということだけ留意しておけばよい。また、ちょっと、でたらめに拾っていこう。

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バードは言う。「ヨーロッパの国の多くのや、ところによっては確かにわが国でも、女性が外国の衣装でひとり旅をすれば現実の危険はないとしても、無礼や侮辱にあったり、金をぼられたりするものだが、私は一度たりと無礼な目に遭わなかったし、法外な料金をふっかけられたこともない」

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「かきざきは小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりとして、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつもつきものになっている不潔さというものが少しも見られない」

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オールコットは書く。「封建藩主の圧倒的な支配や全労働者の階級が苦労して呻吟させられている抑圧についてはかねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく耕筰された谷間を横切って非常な豊かなのなかで書体を営んでいる幸福で満ちた知多暮らし向きのよさそうな住民を見ている・・・・・ヨーロッパでこんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいないし・・・

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チェンバレンのいう、「この国のあらゆる社会階級はは社会的には比較的平等である」・・「一般医日本人や極東の人々は大西洋の両側のアングロサクソンよりも根底において民主的である。」・・・・「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない・・・ほんものの平等精神、われわれはみなお名人人間だと心底から信じる心が社会の隅々まで浸透している。」

こうした慣習は失われているかのようにみえて美徳としてはいまだ、残っているのではないか?
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イタリア海軍中佐ヴィクトリア・アルミニヨンも「仮装の人々が日本ほど満足そうにしている国は他にない」・・・「人々は親切で、進んで人を助けるから飢えに苦しむのはどんあに階層にも属さず、世間の同情に値しないような人間だけである。

ま、同情に値しない人間はいない,とも思うが。
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パーマーは・・・「日本の庶民はなんと楽天的で心優しいのだろうか、なんと満足げに身ぎれいにこの人たちはみえることだろう」・・・モースががたびたび述べている・・・行き交う船で大混雑しているにんもかかわらず、「荒々しい言葉や叱責は一向に聞こえず、ただ耳にするのは「アリガトウ」と「ゴメンナサイ」の声だけだった・・・・「かくのごとき優雅と温厚の教訓。しかも船頭たちから!なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来たったかが、だんだんわかってくる」

やっぱ教育の基本は「ありがとう」「ごめんなさい」これだな。
171
ボーヴォワルは・・「庶民の一夫人の優雅さ」からすれば「われわれを野蛮人扱いする権利」をたしかに日本人にみとめないわけにはいかない」

182
エドヴァン・アーノルド・・・「日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、「やかましい」人、すなわち騒々しく不作法だったり、しきりに何か要求するような人物は男でも女でも嫌われる、すぐかっとなるひと、いつもせかせかしている人、ドアをばんととたたきつけたり、罵言を吐いたり、ふんぞりかえって歩くひとは最も下層な車夫でさえ、・・・・赤ん坊の頃から古風な礼儀を身につけているこの国では居場所を見つけることができない」「この国以外世界のどこに気持ちよく過ごすためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなも広汎なごうい、洗練された振る舞いを万人に定着させ受け入れさせるみごとな訓令、言葉と行いの粗野な唱道のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、美しい工芸品へのこのような喜び、楽しいことを楽しむことへのかくのごとき素直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、・・・ーーーーこの国以外のどこにそのようなものが存在するというのか?・・・・できる限り快いものたらしめようとす合意は、心に悲嘆を抱いているのを決して見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも含意している。」

 保守や右翼で伝統云々を言う輩には耳が痛いのではないか?

混浴は西洋人を仰天させたらしい。
296
ペリー艦隊に通訳として同行したウィリアムズは、・・・「私が見聞した異教徒諸国の中ではこの国が一番みだらかと思われた。・・・婦人たちは胸を隠そうとしないし、歩くたびに太腿まで除かせる。男は男で前をほんの半端なぼろで隠しただけで歩き・・・・

304
リンダウがいうように日本の女羞恥心が薄いのは彼女らが恥知らずということではなかった。そのことをよく理解したのは・・・・ギメである。「・・・・無作法を意識せず、ショッキングであることを知らない、罪以前のイヴたちが相手にされていたのだ。そこで紳士たちの好奇心にかられたまなざしと、レディたちのおびえた叫び声が今まで知られていなかった罪を明らかにしている。」

306
チェンバレン・・・・The nude is seen in Japan but is not looked at

315
さらにまた幕末の外国人観察者をおどろかせたのでゃ、春画・春本のはばかりない横行である。

これはいまでも変わらなかったりして
317
鎌倉鶴岡八幡宮の境内にあって子授の効験で有名・・・「・・・この異様な偶像は帝国全土でたいそう敬われており、「おまんこ様」という名前がつけられている・あらゆる地方からここに巡礼にやってくる・・・」

鎌倉鶴岡八幡宮をぐぐっていもでてこないぞ。日本の伝統を抹殺したのか!けしからんなあ!
319
徳川期の日本人は一般に性を笑いのとらえていたのである。

性に関して非常に素朴で、おおらか、アダムとイブ以前の感覚で、また、それを笑い
の対象にしていた、というのは面白い。もっとも禁じられた後のエロティシズムも捨てがたいものがあるのおお。
320
当時の日本人は男女間の性的牽引を精神的な愛に昇華させる、キリスト教的な観念は知られていなかった。・・・・・当時の日本人にとって、男女とは相互に惚れ合うものだった。つまり、両者の関係を規定するのは性的結合だった。むろん性的結合は相互の情愛を産み、家庭的義務を生じさせた。・・・・「言葉の高貴な意味における愛」などという、いつまでも永続可能かわからぬような観念にそのほしょうを求めるわけにはいかなかった。・・・夫婦の絆を保つのは人情にもとづく妥協と許し合いだったが、情愛を保障するものがこそ性生活だったのである。

ある意味合理的であるが、現代ではセックスレスが多くなって、情愛を保障するものが情愛以外なくなっちまったってことかな?
324
カッティンディケー・・・・遊女屋は「公認され公開されたものでるから」、彼女は社会の軽蔑の対象にならない。「日本人は夫婦以外のルーズな性行為を悪事とは思っていない」上に、彼女らは貧しい親を救うために子どもの頃売られたのである。「子どもは両親の家をあとにして喜んで出て行く」おいしいものが食べられ美しい着物がきられ、楽しい生活ができる寮制の学校にでもはいるような気持ちで遊女屋にいく」・・・・・両親は遊女屋に自分の子を訪問し、逆に娘たちは外出日に両親のいる住居に行くのを最上の楽しみにしている。娘が病気にかかると、母親はすぐに看護にきて彼女を慰める」

325
バンベリー・・・「婦女子の貞操観念が他のどの国より高く、西欧のいくつかの国々より高い水準にあることはかなり確かである」のに「自分たちの娘を公娼宿に売る親たちを見かける・・・・犠牲者はいつも下層階級出身で貧困のために売られるのだが・・・彼女たちは幼少時に年期に限って売られ、宿の主人たちは家庭教育の万般を教えるように義務づけられいるため、彼女たちはしばしば自分たちの出身階級に嫁入りするのである。」・・・・ボンベも遊女は25歳になると「尊敬すべき婦人としてもとの社会に復帰する」と言っている。・・・・」

332
・・・西洋人にとってきわめつきと感じられたのは、幕府の遊郭に対する保護と監督だった。・・ウィルス「・・・・役人はしばしば遊女屋を訪れ不法がおこなわれていないかどうか、遊女から訴えを聴くと述べている・・・」

334
巡礼地が女郎屋で囲まれているのは、無論精進落としが慣習になっているからである。買春はうしろ暗くも薄汚いものでもなかった。それと連動して売春もまた明るかったのである。性は生命のよみがえりと豊穣の儀式であった。

こうした遊女に対する態度というのは後の慰安婦問題についてなど、西洋人の理解が難しい問題でもある。

364
ベーコンは女たちを訪れる老後の平和について・・女の一生は日本では服従の連続といわれるが、後半生は名目にすぎない・・・自分が隠居するとなると女には自由で幸福な老年が訪れる。嫁に家政の実務を譲りながら実権はほゆうしている・・・」

390
ネトーによれば、・・・・「日本ほど子どもが下層社会の子どもさえ注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた小髭をつけた子どもたちが結構家庭全体の暴君になっている。・・・・モースはいう「私は日本が子どもの天国であることを繰り返さざる得ない。世界中で日本ほど子どもが親切に取り扱われそして子どものために深い注意が払われてる国はない。」

544
八八カ所大師さん参りの楽しみを語った老女・・・・これは単なる物見遊山であはい。・・・その信心とは・・・無事に嫁をむかえらることのできたことへの報謝であり、今後の浄福を願う心であろう。しかし、それは日常を超える聖なるものおおいなるもので存在を感知する心もあった。

559
オールコット「死者に関わるあらゆる点で日本人はキリスト教諸国以外では期待できない洗練をみせる

548
迎え火・・・・・・待ちわびていた父の魂が身に迫るのを覚え、遙か彼方から蹄の音がきこえて、白馬が近づいてくるのがわかるようでございました。迎え火がが消えると仏前に戻り「懐かしい客を迎えた喜び」に包まれ・・・精進料理を頂いて楽しみ合うことをご先祖様も喜んで下さると思うからでございます。・・精霊が家を去る日・・・・「さようなら、お精霊さま、また来年もおいでなさいませ、お待ちもうしております。」


質素で、素朴で素直で明るい日本人がそこにいた。

 伝統云々などというものは自分が古に感動したものを引き継いでいけばよい。これからの日本、貧乏になってもおれらにはこうした伝統があるやないか。著者のように逝きし日とばかり片付けなくてもよいと思う。