KENSEI みえの会

会員間の連絡用ブログ

「生ごみ堆肥づくりが生きがいづくりなのよね」

2012-04-05 10:15:26 | わたしの活動レポート

 4月3日、台風並みの低気圧が暴風雨とともに北に向かって駆け抜けて
行った。
 翌日午前中、ここ伊勢地方は晴天といえど、冷たい西風が勢いをよく
吹いていた。
 松坂の櫛田川の河口近くにある「生ごみリサイクル亀さんの家」を
訪ねた。

 松名瀬橋東詰で車のなかでキョロキョロしていたら、”亀さん”らしき
笑顔のご婦人がこちらに歩いてきた。
 到着が遅れていたので、外に出てくれていたみたい。
 
 一見、畜舎の廃屋のようなところに案内していただく。
 そこが、「亀さんの家」の生ごみ堆肥化、野菜づくりの基地ともいうべき
ところ。

 
 

 正直、一見、廃屋にいろいろなものが置いてあるとしか見えなかった。
(ごめんなさいね)
 ”亀さん”こと、亀井静子さん(66歳)に案内してもらい、堆肥化の
プロセスを実際に見て、よくここまでしてこられたなと感動した。

 まず、家庭の生ごみを一次発酵するための衣装ケースとそのなかに
いれる床材を見せていただく。

 

 これからは、衣装ケースではなく、リンゴの木箱が有効とわかり、
容器はそれに切り替えるという。
 秋、初出荷のときだけ、リンゴは木箱で市場に届く。
 それを金をかけて焼却していることを知って、タダでもらってきた
という。

 

 生ごみを堆肥化する基材には、モミガラ・米ぬか・落ち葉・壁土を
使っている。
 すべて身近にあるもので賄っている。

 

 

 家庭で生ごみを堆肥化(コンポスト)にする試みは、ぼくらも
ダンボールにオガコと米ヌカを入れて、1年余、やってきた。
 はじめ3人からはじまって、いまは14人になっている。
 できれば、100人ぐらいまで、広がったらいいなあと目指している。

 亀さんの地域では、80人ほど、家庭で生ごみの堆肥化の会員がいる。
 生ごみを”燃えるごみ”に入れない人たちだ。

 亀さんは、生ごみ堆肥化を環境のテーマではじめたわけではない。
 私設の託老所を開いて、地域のお年寄りが寄り合っているなかで、
じぶんの生きがいはもちろん、地域のお年寄りの生きがいが一人ひとり
見いだせないか、そんなこと模索しているとき、たまたま託老所に
寄ってくる人から生ごみの堆肥化の話を聞いた。
 
 こんなこと、一人ではできない。
 お年寄り自身のやりがいも、地域の人たちとのつながりも欠かせない。

 亀さんは、看護師だった。
 農業は素人だ。勉強もしたし、失敗もした。
 8年前、NPO「生ごみリサイクル亀さんの家」を立ち上げた。

 生ごみコンポスト基地は、放置されていた畜舎跡を借りている。

 家庭で出来た一次発酵の堆肥をまづこの容器に受け入れる。

 


 それぞれの段階の未完熟生ごみ堆肥が、一間四方の型枠のなかに
積まれて、カーペットがかけてある。

 


 一つひとつ説明を聞き、生ごみが完熟堆肥になっていく過程を
見たり、手にとったり、温度を測り、においを嗅いだ。

 それぞれの段階で、一週間に一回、切り返しがある。
 ローダーとかは使わない。
 会員のお年寄りが、身体を使って切り返す。
 そういうことが、暮らしの一部になっているようだ。

 

 

 完熟堆肥になるのは、3~4か月後。
 完熟堆肥を触る。
 さらさらして、においも林のなかの腐葉土にちかい。

 

 

 この堆肥で8人の農家会員が野菜づくりをしている。

 

 その野菜を亀さんが、販売・営業している。
 時には、デイサービス施設の前で野菜の店を開設する。
 それも、「楽しいのよ」と亀さん。
 「いろいろな人との出会いがあるのよ」

 亀さんは、資金がないので、老人ホームのような施設は
つくれない。
「そっちは、行政にやってもらって、わたしは老人ホームに
入らなくてもいい、病身であっても生き生きしている人を
つくりたい」

 「これから、綿花づくりをしていきたいと夢をもっているの。
綿を堆肥で育て、服をつくる。手間も時間もかかるし、大量に
できるものではないけど、人間の健康や地域の暮らしが
豊かになる」と抱負を聞かせてくれた。

  「鈴鹿は近いんだから、いつでも見に行きますよ」と軽く
言ってもらった。
 そうです、いまから亀さんがつくってきたような生ごみ堆肥化の
システムを一歩づつ、やっていきたい。
 そのことから、地域の人と人とが、いろいろな面で、こころの面も
含めて、親しい交流がしていきたい。
 亀さん、よろしくお願いします。

                                         (宮地)