KENSEI みえの会

会員間の連絡用ブログ

あらたまの年行き返り春立ちて・・・

2012-12-30 16:49:59 | 毎日の事

 ときどき、健生みえのブログをのぞく。

 いつまでも、病室から、ふだんの日の出では、なにか

 年があらたまらない感じで、落ち着かない。

 28日に退院、いまは世間の暮らしにカラダのなかの

すべての細胞が汗だくになって、細胞同士がお互いに

対応してくれてる感じがしている。

 

 ここ1ヶ月、死というものが、意外と身近に寄り添っていて、

だからというか、死を特別のものとするより、どんだけ暮らしの

なかで親しくしていけるか、そこから今を生きる、ということを

かんがえたら、今がどれほど豊かになるか、ちょっと、かんがえ

ました。

 ”ピンピン、コロリ”のかんがえかたと、外れてしまうかもしれま

せんが・・・

 

 徳永進さんの「死の文化を豊かに」という本を、この間読み

ました。鳥取で、ホスピスケアのある 「野の花診療所」の

内科医。

 「二つの言葉」というエッセイを書いている。

 

 「一の言葉」は、近代語で、抽象的な言葉で、机上の言葉で主に

脳から出て、マスコミ語で標準語・・・

 「二の言葉」は、原始語で具体的な言葉で、生活の言葉で主に

身体から出て、現場用語で方言・・・

 

 「尊厳死を、先生、尊厳死をよろしく頼みます」と徳永さんに

言っていた76歳の肺がんのNさん。

 死の間際、孫娘が「好きだよ」と声をかけたら、おじいちゃんは

「おう、由香、お帰り。勉強しょうるか?」と応えたという。

 

 徳永さんは、「一の言葉」しかないとおもっていたNさんに、

「二の言葉」が発せられたことをうれしくおもった。

 

 徳永さんに届いた手紙から。

  ーー肺癌の夫を三年前に亡くしたときのこと。

     後悔ばかりが今も残ります。

     「もう死んでしまうと」と亡くなる一週間前に言ったこと、

     「ありがとう」と言ったこと、そして意識が無くなる前に

     「隣に寝てくれ」と言ったのに、「ここは病院やから」と

     素直に勇気が出せなかった自分。

     どんなに勉強しても、患者にかかわっても、無念な気持が

     消えません。 32歳、看護婦。

 

 夫は、「二の言葉」だったのに、妻である看護婦は「一の言葉」で

返した。

 

 健生みえの会の、この二年間のゆっくりとしたあゆみを

ふりかえると、だんだん「二の言葉」でお互いが響き合って

いけるようになってきてるんではないか、これはもしかしたら、

”健康生きがい”にとって、なくてはならないものじゃないかなと・・・

 

 良いお年を・・・・       

                   ( みやち )

 

 

 

     

 

 

 

 

 


病室から伊勢湾の日の出を望む

2012-12-19 17:19:59 | 毎日の事
 
 三重大病院新病棟10Fに起居しています。
 今月10日に入院、13日除細動器の埋め込み手術、
きょう、抜糸まできました。
 あと何日か除細動器や薬の調整をするようです。
...  こんご、どんな暮らしができるのか、医師と
おつきあいしながらということに、一面ではなるの
でしょうか。
 
 頭のほうは、ふつう?・・ふつうかどうかは、簡単
にはわからないでしょうが、じぶんでは違和感があ
りません。(それが、こわいんだよね。)


                            (みやち)

 

「二回目の師走だね」・・・健生みえ12月例会

2012-12-02 11:40:41 | 月例会レポート

 バッチリ冷え込んできている、12月1日。

 鈴鹿カルチャーステーションに三々五々寄ってくる。

 折しも、鈴鹿カルチャーステーションは、明日の文化祭にむけて、

子どもたちが、バイオリンのリハーサルなどやっていた。活気あり。

 

 われらお年寄りの面々は、バイオリンの演奏を聞きながら、

月例会の会場へ。

 まだ、来る人もいるようだったけど、進行役の大平さん、

「じゃあ、いる人ではじめてますか」とゆるゆるとはじまった。

 

 東海ウオークのテスト歩きについて。

 「最初に立てた内部~関の間の二行程を三行程に増やして、

12月のテストはそのうちの内部~庄野までとかんがえている

んですが・・・」と大平さんから提案。

 いろいろ意見がでる。

 敏正さんから、「神奈川・静岡・愛知の人にすでに知らせて

いるし、回数が増えるのは遠方からの人にとって、どうか。

一行程15キロはこれまでもやってきているし・・」

 それから、もっと活発な意見が出て、最後は「来年の春、まだ

テスト歩きしていない、井田川~関間をやるかなあ」となって

いった。

 途中、「それぞれ、そういう意見になるには、なるだけの

おもいがあるはずだから、そこを聞いていきたいなあ」と、

たしか余川さん。

 なにか、こころに響いた。

 話あって、なにかを決めるというところに焦点が当たると

いうより、話し合って、お互いをよく理解していきたいみたい

なもの・・・

 

 「12月の定例会なんで、メインテーマ、1年をふりかえって

というのはどうでしょうね」と大平さん。

 「振り返ると言われると、どうも反省調になっちゃうんだ

なあ・・」とかいいながら、「この会やってきて、おもうのは、

気楽になんでも話せるというのがいいなあ」と余川さん。

 

 「句会をやったり、東海道ウオークもついに本番二回

やってきて、お互いが溶け合ってきているよね」

 「句会でも、他の人が作った句を選んで、それについての

感想を言うというのがいい。じぶんの句については、言わ

ない。言ってもいいけど、控えめに。」

 「これって、人と人、会の雰囲気に品のよさがかもしだされ

るよね」

 「お正月の会から、伊藤敏子さんが加わったのがおおき

かった。句会もそれがきっかけだもんね」

 

 「けっこう、怪我もしてきたよね」

 八重子さんの左手骨折からはじまって、余川さんも、左手

骨折。大平さん、胃の手術。鈴木英二さん、骨髄にボルト。

辻屋さん、ヘルニア。森原さんも、入院。宮地も、心室頻拍で

一命をとりとめた。

 こうして書いてみると、「とっても大変な一年だった」となりそう

なんだけど、ところがどっこい、この、なんというか明るくて、

楽しげな空気はどういうことなんだ?

 よく、年寄りが合って話を始めると、カラダの故障のことや、

病気についてかこち合って、希望のない感じになると聞いた

ことあるけど、どうもそんな雰囲気がない。

 

 いままで、一人ひとりの会員がやっている活動をもっと知り

たいとか、応援したいとか、支えていきたいとおもってやって

きたけど、みんなで出し合っていて、はっとするものがあった。

 「活動を応援するっていうけど、なにか”やること”を応援する

とか、その趣旨に賛同して、賛同するから支えるとかおもって

きたけど、それ以前に、その人がそのようにしたいとおもう

その気持ち、ここを知っていくことが大事で、それを支えるとか

応援するというのは、それぞれ自由なんじゃないかな。

 一緒になにかしたから、一緒にしているというのではなくて

・・」

 

 伊藤敏正さんが、東海ウオークの変更について、「じぶんは

こうおもうんだけど」と出してくれた。

 それについて、意見が正しい正しくないとか、良い悪いとか

好き嫌いというところとちがって、なにか違う聞き方をしている

じぶんを感じた。

 大平さんの意見についても、大平さんがいろいろ考えて言って

くれている、”大平さん”が感じられた。

 

 そうそう、それでおもいだすのは、伊藤敏正さん、奥さんの

敏子さんが参加するようになって、ずいぶん変わってきたと

感じる。

 「正論を言おうとする伊藤さんから、”伊藤さん”がおもっている

ことを言っている、そんな感じになってきている」

 

 おもいだすんだなあ。

 伊藤さんが「傾聴ボランテイアが、いかにおもしろい体験だっ

たか」を発表されたとき、奥さまがじつに絶妙なタイミングで

「家ではやれてませんけどね」と合いの手をいれて、大爆笑に

なったことあったなあ。

 

 「美里の地大豆、大平さん、いつ収穫する?はたけ公園より、

ぼくのほうは三日後に播いたんで」と伊藤さん。

 それぞれの大豆がどんな状態か出し合ううち、奥さまが合い

の手。

 「主人は三日後に撒いたんだからというところをキッチっと

かんがえるのよね。じっさいは、主人の考えたようにはいかない

んだけど・・」

 聞いていると楽しい。

 その人らしさというものがあり、そこからでてくる考えがあり、

それをそのまま、受けとめ合ったうえで、じっさいはどうだろう、

なにをしたらいいかと、先ずこんなとこでやっておこうか、

そんなぐらいで・・・

 

 中井さんが、「会がはじまったころ、伊藤敏正さんとどうつき

あっていったらいいか、じつは分からなかった」と。

 ここでも大笑い。

 

 中井さんが「あの、気になっていることがある」と言い出した。

 彼は、その場の雰囲気とかに流されない唐突さが持ち味。

 「ちょっと、なにごとなの?」

 それで、出てきたのが、会長と呼ばれることについての違和感。

 くわしくは、中井さんのブログをご覧あれ。

 

 ここんとこも、これからというのでは、こころに留めておきたいと

おもった。

 こういうことが、そのまま出せて、みんなで考えていける、いくら

その場の雰囲気になじまないからといって、出さないのではなく。

 ぎゃくに、雰囲気の良さを良さとして、だからイケてる、ってのも、

ときどき立ち止まってかんがえたいかな。

 余川さんが言っていた、「他の人が加わりにくくならないように・・」

というところにつながるかな・・・

 

 

 どっちにしても、その会にいたら、飾らないでいい、そのままのじぶんで

いい、これはいいなあ。

 

 これから、どんどん寒くなる。カラダは縮こまり気味。

 

 伊藤敏子さんが、新年会のこと考えているとき、「冬の句会も

いいわよ。わたしの仲間の句会で、その人のその一句に点が

集まったのがあるの。言いましょうか?」


 一同、耳を澄ます。


   溶けるまで抱きしめてほしい雪女郎


 ああ、なんという艶ぽっさ、情の熱さ。

 こんなんで、さあ師走の寒さのなか、年越しですかね・・・

 


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


定例会に参加して

2012-12-01 21:11:15 | 毎日の事

 

毎回の定例会は会の変化がよくわかる。一人ひとりがその人らしさが月を重ねる度に表面に出てくるように見える。それはその人が変わったというより、その人しかないものが見え易くなってきたのかも知れない。一足飛びになったものでなく、さんかしている人で創られてきた気風がそうさせているのかもしれない。だからか、最近僕は会長と呼ばれる時に何かぎこちなさを感じるようになってきた。僕は小さい頃はマーボーと呼ばれていた。正信のマーである。マーボーと呼ばれなくても、せめて中井さんと言って付き合って欲しいと思うようになってきたのである。もっと言えば本心は中井さんでなく僕という人間と僕の前にいる一応、、、とよんでいるあなた自身と接したいと思う。そのように接することが出来るお互いで人生を送りたいとおもう。

11月の句会の時、敏子さんが「良い句は選ばれないものよ。」と言った言葉が何故か心に残っていた。聞いたときは俳句の素人の我々に対するやさしさと捉えていた。帰ってから母が参加していた句集をみていても自分の感性にピッタリこないものには関心を示さない自分があった。振り返ってみたら、今までの二回の句会で自分の感性に反応する句をいい句として選んでいる自分の姿が浮かんできた。なんと高慢な自分であったかと。このように気づかせてもらえる会はとても楽しい

中井正信