KENSEI みえの会

会員間の連絡用ブログ

何歳まで生きる?

2016-07-18 11:00:18 | わたしの活動レポート

 

雨が降るかな、降らないかな?蒸し暑い7月3週目
の日曜日。
理想の暮らしを語る会の定例会の日です。

この日の午前中は、まちのはたけ公園で「はたけで
食べよう」企画がありました。
100人が集まりました。


毎月なので、来られる家族の中には畑が暮らしの一部に
なっています。
盛りだくさんだったよ。
先ず、「大豆の種まき」
この大豆は三重県の地大豆で、播種はちょうどこの
時期。


トウモロコシを手で採ったよ。種まきしたら、こんなに
なったんだ。


スイカも出来た!スイカ割り、子どもたち大いに楽しんだ。


ジジババも畑で、会場準備に、薪のごはん炊き、カレー
づくり。
雨の心配どこへやら、子どもたちはスイカを堪能して
いました。ジジババも、なにやら楽しそう。

 

いや、脱線。
今回の定例会は、亜子さんの提案で「いつまで生きるか」
各自予想して、ということは「いつ死ぬか?」とも
いえるけど、そこから各自の来し方を振り返り、これから
描いてみよう、それを文字にしてみようという趣向でした。
来し方は、「自分の人生で転機になったこと」を書きました。

誰からとも無く、発表がありました。
あらためて、その人が人生の転機としているところが
聞けて、親しい気持ちが湧いてきました。
来し方に熱が入る人もいて、「じゃあ、いつ死ぬって
おもってるんだい?」と問うことがおおくなりました。
そんなこと、予想するのは無意味みたいだけど、やって
みると、いまからどんなふうに生きていくか、暮らして
いくか、焦点が当たってくる感じがしました。
金治さんは、「人工透析してるし、糖尿の症状があるし、
あと5年ぐらいかな?」とつぶやいた。
他人がいつまで生きると思っているか、聞くのはおもしろい。
「そうだったら、あと20年あるよね。すごいことだなあ」
40代半ばの女性、「わあ、あと40年もある」
70歳のぼくは、「85歳まで」と発表したら、「そんなに
きられるかあ」と声がかかった。願望はあるけど、実際は
あと5年ぐらいかなあ。さびしい気持ちも出てきた。
こんなこと、語り合える日々が自分の周りにあるのは、
それが幸せかなとも思った。

夕方、三重テレビで「未来の里山プロジェクト」の
レポートがあった。理想の暮らしを語る会でやっている
連中も出ていた。

 
 

逝く人。送る人、ともども心の世界が

2016-07-11 08:23:41 | わたしの活動レポート
7月公開講座”死んだ時、どうしてほしい”が、7/9(土)
合同墓地”ニルヴァーナの森”をつくった鈴鹿宣隆寺住職
ゆはずさん、海洋散骨で送り人を任じる柳川真一郎さん
のお二人にきていただき、具体的な説明やそこでの体験談
など語ってもらった。会場は鈴鹿カルチャーステーション。
”死”の話題にもかかわらず、30人を越える参加者があった。

宣隆寺住職はお寺が檀家だけのものでなく、ひろく地域
の人たちと身近にありたいと考えてきた。

 

垣根をなくし、オープンな感じにして、合同墓地”倶会一処”には寝釈迦仏
を手彫りした。「誰でも、受け入れできますよ」
寝釈迦の下にお骨が入れば、いずれ自然に還れます。
年2回の永代供養で見守ってくれます。
 


「海洋散骨は違法ではない」という範囲で認められてい
と柳川さん。

実際していること。遺骨を預かる~臼で粉にする~
カヤックで沿岸3キロのところで散骨する~そのときの
写真など届ける。
青森でも鹿児島でもできる。カヤックをそこまで運んで。
51歳で、会社を辞め、海送舎を立ち上げ、専従している。
「もうかりません!」「生活もできません」
カヤックが好きで、若いときから遺言に海に散骨して
ほしい」と書いてきた。妻が、「あんたが死んだら、
できないじゃない?」といわれてはっとした。
そこから、彼の人生は転換したのかな?

お二人の話のあと、聞いていた人との懇談があった。
「死んだら、あとは残った人に”まかせる”っきゃないよね」
「いや、そうともいえない。逝こうという人はこうして
ほしいということは、残った人への愛情の現われかも
しれない」柳川さん。


「残った人が、逝った人とどうつながっていくかという
こともあるね」
「女房が亡くなった。ずっと泣いていた。最近、女房と
話をするようになった。泣かなくなった」




「なんかの形で先祖を供養するというのは、自分一人で
いきているわけじゃないと自覚するいい機会ですね」
ゆはず住職。



講座のあとも、コミュニテイカフェで懇談が続いた。

9月公開講座は、9月10日(土)13:30~15:30、
鈴鹿カルチャーステーションにて。
”自分らしく生きる、素敵に最期を迎える
ーー老いて死ぬということは、私の周りのつながりが
  欠かせないよね
 ゲスト あした葉会 伊世利子さん


 

月例会おもろいなあ

2016-07-03 11:25:52 | 月例会レポート

いつのころからだろう?

月例会って、何かを決めるとか、話し合うとか、そういうこと

あるときはやったらいいけど、毎月寄り合った人で、その月

あったことやそんな暮らしの中で感じたこと、思ったこと、気楽に

出し合える場になったらいいなあ、なんとなくなってきたのは・・・

 

7月2日は、梅雨の晴れ間、けっこう暑かった。

鈴鹿カルチャーステーションの部屋はわりかし、過ごしやすかった。

敏正さんが、「では、それぞれの、この一月のこと、出し合いますか?」と

キッカケを作ってくれた。

 

鈴木英二さん、夜は、もう起きていられず、食事のあと早めに寝て

しまうけど、深夜に眼が覚めて、深夜の暮らしがあるんです、と。

それが、どうもえらいらしい。

 

中井さんは、人が死んだらどうしてほしい、というとき、いろいろな

選択肢があり、何でかしれないけど、そこをいろいろ調べている。

「死んだときのこと、だいぶ分かってきた」

自分が死んだ時、どうしてほしいという遺言を録音していて聞かせて

くれた。

余川さん「中井さんって、しあわせなひとだなあとおもう、ほんと!」

 

大平さんは、体調が良くなってきていて、何かやりたいという意欲が

湧いてきていると。

子どもの貧困のこと、老老介護のこと、元気になると「なんとかならないか」

って、気持ちがでてくるんだよね。

 

余川さんは、夫婦ともども病院通いだったなあと振り返った。

 

照子さん。「暮らしのふとしたときに、母のことが出てくるときが

あるのよね」

何か壊したとき。

「形あるものは滅す」って、母がいってたわよね。

何かで、急に忙しくなったりする。

「百日時化ていても、出船は忙しい」って、母の言葉、思い出すの。

こういうの、おもしろいなあ。

 

康子さん。88歳の父と弟と出かけたときの話。

家族の間の気持ちのやりとり、亡くなった母への思い。

 

森原さん、子どもの育ちについて。保育園で、月曜日に子どもが

荒れるという記事を読んで。これって、どう見たらいいんだろう?

 

敏正さん。長女の子ども、3歳・2歳・赤ちゃん。次女の子ども、

3歳、1歳。最近はすこし落ち着いてきて、時間があるときは、

敏子とカラオケに行き始めている。

 

「じゃあ、このへんで、あと何かありますか」と敏正さん。

余川さん「今度、入院するんだけど、息子がいろいろやってくれ

たんだけど、ぼくが父としてどう思ったらいいか、いろいろ思う

ことがあってね」

余川さんの父上は、幼いころ亡くなられて、父親がいない状態で

育ったという・・・

 

そうだなあ、一人ひとり、毎日の暮らしでは、つつがなくこなして

暮らしているように見えても、その心のうちというところでは、

いろいろなドラマがこれまでもあったし、これからも、今もあるだろう

なあ。

事柄の解決はできなくとも、自分の気持ちがどんなだろうって、すこし

間をおいて、見えるようになったらいいなと思いました。

 

敏正さんが、句会に参加した金治さんが死に掛けたあとだったけど、

参加できて元気が湧いて来た、という話を聞いて、この会がそういう

場になってきてるのがうれしいといっていました。

そんなに、ぼくも思います。

今度は「父の心、母のこころ、親心」みたいな感じで、それぞれの

心のうちで思っていること、出し合ったらおもろいかなあ。