気がついたら、孫の入学式も過ぎて、桜も散っている。
12日、四日市・桑名そして地元鈴鹿・亀山の50代、
60代、70代、80代が、鈴鹿カルチャーステーションに
寄り合った。
自宅を地域に開放してお年寄りの寄り処をはじめた
人たち(桑名)、看護が要るようになるまでの暮らし方を
サポートしている人(亀山)、若い子育て世代のお母さんたちを
サポートしている人(鈴鹿)
社会福祉協議会を拠り所に老人の暮らしを支える
活動をしている人(鈴鹿)食生活のアドバイスを
しながら、ご近所の親しいつながりを作っている人(四日市)、
そして健康生きがいづくり三重の会の有志(鈴鹿)
この会は昨年10月、ちょとした茶飲み話から
はじまった。「定年退職して、なんの取り柄もない
オレはどう生きる?」という不安を出していた定年
前の人のつぶやき。
これに、中井正信さんやぼく(宮地)が反応したんだっけ。
毎月第二土曜日の午後、ボツボツ語り合ってきた。
中井さんは、何を思ったのか、各地で活動している人に
会いに行き始めた。
今回の会合になってしまった。
中井さんは、「老いと看取りの社会史」の著者、
新村拓さんの一節を読んで、「こんなとこ、どうかな」
と問いかけた。
--老人とは加齢に伴い、身体的・社会的・経済的な
変化を身に受けたものであるから、他に依存して
生きるようになったとしても、それはごく自然な姿である。
他によって支えられながら生活しつつも同時に他に
働きかけていく部分こそが、老人にとって重要な役割と
考えるべきであろう。
総務省の調査・・・「できるだけ他人に頼らずに独立した
生活を送るように心がけること」が65%だった。
これでは寂しいものである。
・・・老いも一つの個性と捉え、それを生かす工夫もまた
必要なことである。
同時に、たとえ障害や病をもった老人であっても、自分の
意思で選択した環境の中で生活できるような支援体制を
つくる必要がある。
「依存するって、なんだかマイナスのイメージだよね」
「そうそう、甘えるというのも・・・」
「一人で生きるって言っても、実際はどうなんだろうね」
「死にかけたことがあるけど、そのときはすべて他の人
にお任せだった。生きているってことは、こんな人との
かわりの中で、生かされていることかもしれない、って」
「これって、老人だけのことではなく、生きているという
のは、実際どうなっているのか、それを知っていくことから
はじめるのかな?」
何かをするかどうか、というよりは、こんなこと語り合える場に
したいですね。
毎週第二土曜日の午後、鈴鹿カルチャーステーションで
会いましょう! (宮地)