9/19午後、「認知症との出会いの記録」の小冊子の
朗読会があった。
ブログを通して、若年性認知症と診断されたninjinさん
(ハンドルネーム)とkanatumuriさんとの2年間の
交信記録。
ninjinさんは亜子さん、katatumiruiさん
は、大津さん、語りは伊与田さん。
全部読み終えたら、3時近く。参加者はじっと朗読を
聴いていた。
参加者の感想。
「日頃はこの人はこんな人とか、その人
の表面的にあらわれていることで、見て
いるけど、心の中の豊かさを感じた」
「認知症と診断されただけで、周囲の対応
がガラリと変わるのがキツイと言っていた
ね」
「コトバが出なくなっても、コトバになる
前の心があるんだなあと思った」
「目が見える、耳も聞こえる、機能が整って
いても、焦点が合っていなかったら、見え
ないし、聞こえない」
「発語が難しくなっても、家族はゆっくり
待ってくれたって言っていたね」
ninjinさんの言葉
「生きている間に何がおきるか、本当に
予想できませんね。私は、今後自分のある
意味の崩壊を見つめながら生きていくこと
になりそうです。若年性認知症という診断
をされました」
「12月13日を境に14日から別人のように
対応されるというおかしな事態が受け止め
がたく、それが心境的な落ち込みになって
います」
「意識出来るものの量(?)よりも無意識
に受け止めているものの方が、自分を作って
いるのかもしれませんね」
「言葉を組み立てることと、言葉にして
音を出すことがだんだんできにくくなって
います。頭の中で、さまざまな神経細胞が
分断されるスピードがはやくなっていく
ようで怖いです。ですが自分にそういう
現実はあるけれど、鶯のようにほーほけきょ
という言葉だけで、生きているものもある。
いい声でした」
「認知症だからわからない人、という扱い
をされることがありますが、子供たちと
奥さんたちはじっと待ってくれて、ああ
家族だなあと心底の安心が湧いてきます。
家族って、いいものですね」
「エネルギーの流れの方向は、どのように
向かっても真理の方向へ向かっているような
気がします。・・いいとか悪いとか判断の
しようのないもの・・そうとしかならない
もの・・」
(2年経過したお正月)
「脳という体の一部の働きで自分と言う
存在を覚知しているのだと改めて思います。
この病気にあらがわずに・・・と思って
いましたが、何とかならないものかと思う
ようになりました。ふっとおそってくる
空白、白という感じでも無いですが、怖い
なあ・・」
「自我を意識することで生きていることを
確認できるのだとすれば、ぽかっと失う
この瞬間が広がる先にあるものに意識せず
にはいられないような焦燥感に襲われて
います。新しい年明けというのに、今は
こんな感じです」
「ことばがでにくくなって、キーボードを
うつにもおもうようにできなくなりました。
だれかそばにいないとまちがいがおおくて、
きかいのそうさができまあせん。そういう
ことでおせわさまでした。もうおたずね
できません」
理想の暮らしを語る会は、老年期準備期間の60代~
70代のメンバーで2年前から毎月語りあってきています。
死が身近になりながら、自分の人生経験を大事にしな
がらも、人間本来の姿を探っていきたい。そのことが
老年期への準備の一つになるかも・・・