KENSEI みえの会

会員間の連絡用ブログ

認知症について考える  --理想の暮らしを語る会

2015-09-25 08:26:16 | わたしの活動レポート

 

9/19午後、「認知症との出会いの記録」の小冊子の

朗読会があった。

ブログを通して、若年性認知症と診断されたninjinさん

(ハンドルネーム)とkanatumuriさんとの2年間の

交信記録。



ninjinさんは亜子さん、katatumiruiさん

は、大津さん、語りは伊与田さん。

全部読み終えたら、3時近く。参加者はじっと朗読を

聴いていた。


参加者の感想。

「日頃はこの人はこんな人とか、その人
の表面的にあらわれていることで、見て
いるけど、心の中の豊かさを感じた」

「認知症と診断されただけで、周囲の対応
がガラリと変わるのがキツイと言っていた
ね」

「コトバが出なくなっても、コトバになる
前の心があるんだなあと思った」

「目が見える、耳も聞こえる、機能が整って
いても、焦点が合っていなかったら、見え
ないし、聞こえない」

「発語が難しくなっても、家族はゆっくり
待ってくれたって言っていたね」


ninjinさんの言葉

「生きている間に何がおきるか、本当に
予想できませんね。私は、今後自分のある
意味の崩壊を見つめながら生きていくこと
になりそうです。若年性認知症という診断
をされました」

「12月13日を境に14日から別人のように
対応されるというおかしな事態が受け止め
がたく、それが心境的な落ち込みになって
います」

「意識出来るものの量(?)よりも無意識
に受け止めているものの方が、自分を作って
いるのかもしれませんね」

「言葉を組み立てることと、言葉にして
音を出すことがだんだんできにくくなって
います。頭の中で、さまざまな神経細胞が
分断されるスピードがはやくなっていく
ようで怖いです。ですが自分にそういう
現実はあるけれど、鶯のようにほーほけきょ
という言葉だけで、生きているものもある。
いい声でした」

「認知症だからわからない人、という扱い
をされることがありますが、子供たちと
奥さんたちはじっと待ってくれて、ああ
家族だなあと心底の安心が湧いてきます。
家族って、いいものですね」

「エネルギーの流れの方向は、どのように
向かっても真理の方向へ向かっているような
気がします。・・いいとか悪いとか判断の
しようのないもの・・そうとしかならない
もの・・」

(2年経過したお正月)
「脳という体の一部の働きで自分と言う
存在を覚知しているのだと改めて思います。
この病気にあらがわずに・・・と思って
いましたが、何とかならないものかと思う
ようになりました。ふっとおそってくる
空白、白という感じでも無いですが、怖い
なあ・・」

「自我を意識することで生きていることを
確認できるのだとすれば、ぽかっと失う
この瞬間が広がる先にあるものに意識せず
にはいられないような焦燥感に襲われて
います。新しい年明けというのに、今は
こんな感じです」

「ことばがでにくくなって、キーボードを
うつにもおもうようにできなくなりました。
だれかそばにいないとまちがいがおおくて、
きかいのそうさができまあせん。そういう
ことでおせわさまでした。もうおたずね
できません」

理想の暮らしを語る会は、老年期準備期間の60代~

70代のメンバーで2年前から毎月語りあってきています。

死が身近になりながら、自分の人生経験を大事にしな

がらも、人間本来の姿を探っていきたい。そのことが

老年期への準備の一つになるかも・・・

 
 

9月例会老人社会の行方大いに語る

2015-09-06 07:51:55 | 月例会レポート

秋雨前線の影響で雨模様だったのが、にわかに晴れ渡った。

この日の朝は、地元の保育園の園児と親たち100人あまり、

はたけ公園で”ぶどう狩り”

「あまい!」と、親子で秋の稔りを味わっていた。

はたけにも入って、オクラを採った。

親子、満々足。

健生みえの会の面々も親子の受け入れを楽しんだ。

 

午後は、9月の例会。

「わあ、上野さん、ひさしぶり!」

南伊勢から上野徳也さんがやってきた。やっぱり、うれしいね。

さっそく、健康生きがいづくり協議会からの「健生ほっとらいん」

について、意見がとびかった。

全国各県にある、このような会をメーリングリストで、お互い

情報交換して、つながりを深めようということじゃないか、

健康生きがいづくりの社会的な活動をやっているところもあるし、

それほど積極的でないところもあるが、お互いをもっと知っていく

というのでは、参加していこう、など意見がでた。

「お互い、それぞれの県の健生を訪ね合うこと、もっとやっていきたい」

敏子さん、熱く語っていた。

 

それぞれの夏の近況報告。

余川さん。この夏、生まれ故郷の武生に里帰りした。

「それが、これちょっと、みてほしい」といって、折たたんで

あったものを広げたら、越前市の観光ポスター。

「この家、ぼくが生まれ育った家だったんよ」

いちどう、ぐっと身を乗り出して、それぞれ感嘆をまじえて

感想を出し合う。


ーー300年前の面影

    緩やかなときの流れを感じる

    越前町家の奥深さ

ポスターのコピー、いいねえ。

余川さん「この家を誰が維持していくのか。痛んでもきている」

「お墓をどうするかというのもあるんだなあ」

実際となると、いいね、だけでは済まないですね。

それでも、余川さんにとっては、印象深い出来事だったんでしょうね。

 

辻屋夫妻の夏は3週間、小学生の孫2人を預かって、賑やかで

活気がある暮らしになった。と、いうのと同時にいなくなって、ホッと

している。とはいうものの、寂しい。やれやれ、こんなのはジジババの

特権だろうね。

 

中井さんは、地元の自治会の組長になって、会合に出ているが、

あんまり面白くない。

これから、地域に認知症の老人が増えてくることをかんがえて、

鈴鹿市がすすめている認知症サポート養成講座をやりたいと

相談しているという。

上野さん「そうなんだよね、サポート養成講座を受けた人が、すぐ

認知症になるというケースも出てくるだろうね。でも、認知症が

どんなものか、分かっているのが大きいんじゃないか?」

南伊勢で老人の通所介護施設をやっている上野さん。

 

「認知症というのを隠したらだめなんだよね。もっと、おおっぴら

になる空気で、みんなが自分のことをおおいに喋れる気風が

大事だよね」

敏正さん「ぼくのおふくろが介護施設にいたとき、なんかの拍子で

昔は味噌や醤油を量り売りをしていたね、という一言がキッカケで、

同室のお年寄りがそれぞれの体験を生き生きと語りはじめた、

そんな場面があった」

 

「だけど、それだけじゃ、すすまないんだよね」と上野さん。

「南伊勢は、三重県で一番、65歳以上の老人が多い。

全人口の50%だよね。でも、ぼくのところにきている

老人たちは90歳でもとっても元気。町にいる子どもの

ところに身を寄せた人のほうが、早く亡くなっているんじゃないか」

 

「これから国は介護が要る老人を病院から在宅にして、地域で

見ていくようにする方針だよね」

「言われているのは、老人の力を活用する地域社会ということ。

三重県では、桑名市方式というのをモデルに、そういうのを

すすめようとしているね」

敏正さん「いなべ市も、老人会で地域を活性化する施策をやっている」

老人社会の行方という大きなテーマになってきた。

 

敏子さん「中井さんが作った小冊子の表紙の題が”人間を人間に

するもの”と書いてあったのを見て、人間というのは、自分一人で

人間とは意識できなくて、他とのかかわりから、自分を知ることが

できる、そんなことおもった」と、熱く語ってくれた。

 

中井さんも、その小冊子の感想を語った。

「三つ思った。一つ、認知症と診断されてとたん、自分は昨日と

変わっていないのに、そういう人だと扱われたこと。

二つ、家族がそのままをうけとめてくれた、家族の温かさ。

三つ、症状が進行して、自我がポカッと消える体験、空白に

なる不安、人間とはどういうことかかんがえさせられる」

 

9月の例会は、いろいろな体験談が飛び交ったけど、その

なかのどれをとっても、それに焦点をあててみたら、深い

検討ができるんだろうなと思った。



付録

これは、この夏、宮地がJT生命誌研究館のサマースクールに

参加したときの体験談です。

ひそかに、みんなでこの研究館にいってみたいなあという

気持ちもあります。

長いので、暇なとき、見てください。

 

 http://blog.goo.ne.jp/miyati007/e/54a0a9ebf7b1b7ff1589b48d94f43e0a