東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

千代田区神田紺屋町、神田東紺屋町、神田北乗物町、神田富山町

2011-05-19 16:37:33 | 千代田区
さて、今回はJR神田駅の東側で昭和通りよりは西側という辺り。町名は多いけど、この辺りは古い町名が残されているせいで、エリアとしてはそれほど広いわけではない。当時の写真を見ても小さな会社の事務所といった風情で、どちらかというと地味な町並という印象がする。この辺りは戦災にはあまり遭わずに済んだようで、昭和初期の建物が多い町が残されていた。面白いのは、紺屋町が南北に別れていること。これは歴史的な経緯でそうなっているそうだ。その間に北乗物町が挟まっている。順番としては、南側から北へ縦断していくような感じになっている。撮影日は、1982年1月31日。現在の画像は2011年5月18日と20日。

神田紺屋町10番。ここも今は8番に統合されている。庄之助最中というのは、相撲の行司の木村庄之助を勤められた方が創業した和菓子屋で、この紺屋町には今は無いが、神田駅西口に二店舗営業されている。その向こうには村上四郎商店という看板が見え、医療機械、医療用品卸と読める。その手前は瀧硝子器店と薄くテントの文字が読める。今は大きなビルが建っている。


神田紺屋町8番。脇道を入っていって、振り返った景色。魚栄は魚屋さんだったのだろう。商店の並ぶ生活感のある町並が今では不思議に思える。道の左側に(株)ツボワカというやすりを扱う会社が健在。


神田紺屋町15番。次の角を出て振り返った左角。国井ゴム株式会社。その隣は染料の渡辺商店。こんな感じのモルタルの看板建築が多い。これが町の景色を地味にしている要素になっている。今はクニイビル。


神田紺屋町17番。その交差点の右角。藤澤硝子株式会社神田営業所だろうか。通りの奥に見える水戸工業は現在もこの辺りで目立つ存在。ここも新しいビルになっている。


北乗物町8番。その反対側の角。このカットのみこの町名。呉服の稲田屋、神田薬品、駒村計量器、石橋化学工業と並ぶ。この辺りは、薬品関係の会社が目立つ。ここも今は大きなビルになっている。横の通りの内田商店は健在。


神田紺屋町37番。北乗物町を通り抜け、左に少し進んだところ。草深時計店神田店とある。三軒並びのモルタルの看板建築だが、真ん中だけ建て直し中。後ろに見える興産しんきんのビルは2011年5月現在取り壊し中。


神田紺屋町37番。元の通りに戻り、一ブロック進んだところ。名もない地味なモルタル塗りが並ぶ。こういった町並を見ていると、銅板張りの看板建築の方が華があると感じる。こちらは圧倒的に地味。今は、斉木第三ビルというビルになっている。


神田東紺屋町27番。その角を右に曲がって一ブロック進むと、東紺屋町。これも一カットのみ。今も変わらず、住所を看板に掲げている野村利雄商店。左隣のスリーワンモーターの新東科学も変わらないのが嬉しい。野村商店はこの辺りでは珍しい銅板張りの看板建築。


神田富山町24番の蕎麦屋尾張屋。大正九年創業の老舗の富山町店。本店は須田町にある。今は建て替えられているが、健在。


三十年前でも休日にはひっそりとしている様子が窺えるが、それでも生活感のある商店もある町だった。今はビルが増え、商店の影は薄い。建物としてもあまりキャッチーではないモルタル塗りが多かったので、全体にもあまり強い印象が残らないのだが、こんな町の景色こそが一番普通の景色であり、消え去ってしまえばそれっきりのものだと思う。

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