東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

山王日枝神社

2011-12-20 19:07:22 | 千代田区
江戸、東京の神社と言えば、神田明神に続いて山王日枝神社を上げないわけにはいかない。江戸の守護神と言えば、この二つの神社がその代表格であり、徳川家より特別に手厚く大切にされてきた存在である。町人エリアである町の多くが神田明神の氏子で、将軍家を筆頭に武家地と江戸市街南側を氏子としてきたのが日枝神社と言えるだろう。


創建年代は不詳とのことだが、太田道灌による江戸築城の際に川越日枝神社を勧請したと言うから、15世紀のことであったのだろう。太田道灌の築城による旧江戸城は、現江戸城の敷地に呑み込まれてしまい、その痕跡が残っていないという。徳川家康の江戸入府に際して、江戸城内紅葉山に遷座し、その後城外の麹町隼町に遷座していたという。今の国立劇場辺りだったのだろうか?明暦の大火で焼失し、現在地へと遷座したという。江戸城の裏鬼門に位置する。

日枝神社は将軍家の庇護を格別に受けてきたことで知られる神社で、この神社の祭りも江戸城内で将軍の拝謁を許された天下祭と呼ばれる。神田明神と交代で一年おきに大祭を行うものだった。天下祭には、この他に根津神社の祭も加わるがこれは一度だけだったという。明治維新によって、将軍家の守護神でもあった日枝神社はどうなることかと思われたが、江戸城の鎮守ということで、宮城の守護神としてその後も大切にされた。この辺りは、祭神の平将門を巡ってゴタゴタした神田明神とは運命が分かれたようだ。

今日では、山王日枝神社というと赤坂溜池の外堀通りからのアクセスが正面であるかのようだが、元々の正面はその反対側の皇居、江戸城側ということになる。往時は外堀通りは溜池と呼ばれた巨大な壕が現在の赤坂見附交差点付近から続いていた。溜池の水は今の虎ノ門の特許庁前辺りで段差があって、滝のように水が流れ落ちていたという。明治百話には、溜池での心中の話やら、この水の流れ落ちるところで鯉が滝登りをしていて、それを日がな見物する人がいた話などが出てくる。この界隈の話が豊富で面白いのだが、脱線気味になるので話を戻す。
東日本大震災の数日後で鳥居の周囲が立ち入り規制されていた。「山王鳥居」の特徴、鳥居の上に合掌のような破風が乗せられているのが分かる。


地下鉄永田町駅から徒歩で国会裏へ行き、議員会館の間の坂を下っていくと、日枝神社の正面からアプローチしていくことが出来る。この辺りがなかなか面白くて、国会議事堂の直ぐ裏手の正に東京の、いや日本のど真ん中と言えるようなところで、酒屋や蕎麦屋のある一角があって、何とも不思議なところだと思う。振り向けば首相官邸も直ぐというところである。ここから進んで行くのが日枝神社の正面からの参道になる。

また、現在も境内に星丘会館という建物があるように、この地は星ヶ岡と呼ばれてきた場所でもある。そして、かつては北大路魯山人の会員制料亭としてその名を知られた星岡茶寮は、かつての寺社地であった隣接するキャピタル東急のところに存在していた。

惜しむらくは、昭和20年に空襲で社殿始め周囲も焼失している。とはいえ、境内にいると、これほどの都心部でありながら木々に囲まれ静かな雰囲気に包まれることが出来る貴重な場所でもある。


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