さて、再び妙正寺川を渡り、少し歩いていると、光徳院というお寺があった。立派な山門がまず目に入ってきた。
「当院は開山当時半蔵門にあったが、江戸城構築に際し、牛込市ヶ谷田町に転じ、さらに牛込柳町に移り明治43年にこの地に移る。」(光徳院サイトより)
創建などは不祥とのことだが、江戸城構築以前からの歴史があったわけである。そして、明治末にここに移転してきている。
そして、戦災の被害も受けているようだ。
戦後に再建されたようだが、立派な伽藍である。
本堂。
木造の良い風合いになってきている。
平成7年に落成したという五重塔。
端正な美しさがある。
境内の様子を墓地の側から見たところ。
墓地の側に光徳院を出て、その出た道の坂を上っていく。登り切ったところに入口があって、三井文庫の看板が出ていた。
かつては、以前歩いた品川区の戸越公園の辺りにあったわけで、後にこの地へと移転して来たもの。(品川からの道~碑文谷道その六:戸越(1))参照のこと。
妙正寺川に沿って、また坂を下ってみたりする内に、四村橋のところまできた。かつては、この辺りにオリエンタル写真工業の工場があった。銀塩写真の衰退と共に、今は姿を消している。そこからまたちょっと入った所に、鼓稲荷神社があった。
詳細不明の小さな神社。
妙正寺川に近い、町中にひっそりと鎮座している。
扁額。
そして、バス通りの坂道を登っていくと、新井薬師前駅。西武新宿線の駅。
なんというのか、やや微妙な雰囲気が漂っている。
「当院は開山当時半蔵門にあったが、江戸城構築に際し、牛込市ヶ谷田町に転じ、さらに牛込柳町に移り明治43年にこの地に移る。」(光徳院サイトより)
創建などは不祥とのことだが、江戸城構築以前からの歴史があったわけである。そして、明治末にここに移転してきている。
そして、戦災の被害も受けているようだ。
戦後に再建されたようだが、立派な伽藍である。
本堂。
木造の良い風合いになってきている。
平成7年に落成したという五重塔。
端正な美しさがある。
境内の様子を墓地の側から見たところ。
墓地の側に光徳院を出て、その出た道の坂を上っていく。登り切ったところに入口があって、三井文庫の看板が出ていた。
かつては、以前歩いた品川区の戸越公園の辺りにあったわけで、後にこの地へと移転して来たもの。(品川からの道~碑文谷道その六:戸越(1))参照のこと。
妙正寺川に沿って、また坂を下ってみたりする内に、四村橋のところまできた。かつては、この辺りにオリエンタル写真工業の工場があった。銀塩写真の衰退と共に、今は姿を消している。そこからまたちょっと入った所に、鼓稲荷神社があった。
詳細不明の小さな神社。
妙正寺川に近い、町中にひっそりと鎮座している。
扁額。
そして、バス通りの坂道を登っていくと、新井薬師前駅。西武新宿線の駅。
なんというのか、やや微妙な雰囲気が漂っている。
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