東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

文京区湯島四丁目・麟祥院

2013-07-17 19:21:36 | 文京区
文京区湯島四丁目には、春日局に縁の深い麟祥院というお寺がある。寛永元年(1624年)、春日局の隠棲所として創建された。臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天沢山。徳川家光の乳母として知られる春日局の菩提寺である。本郷三丁目交差点から春日通り(この通りの名前も春日局に因んでいる)をいくと、東大本郷キャンパスがすぐ近くまで迫っていることと、その先にこの寺があることが分かる。徳川家の重要な寺院であり、江戸時代には寺域も今よりも広かった。
戦災により焼失しており、今の建造物は戦後に再建されたものと言うことになる。隣接する旧岩崎邸は焼失を免れており、その要因に米軍が戦後の接収を睨んで爆撃を避けたとも言われているのだが、その隣までは綺麗に焼けてしまっている。この寺の岩崎邸とは反対側に隣接していたのが、当時の本郷区役所であったのだが、ここも焼失している。

春日通りから、落ち着いた雰囲気の参道があって、その奥に山門があった。


この境内の一角で間借りして、始まったのが東洋大学。いまは白山にキャンパスがある。この大学の創始者、井上円了という方で、非常にユニークな人物として知られている。別名に妖怪博士とも。中野の哲学堂公園も、この人物によって作られたもの。その、発祥の碑。


本郷の喧噪の中にあることを忘れるような空間が、境内には広がっている。


本堂。


山門を入ると、左に鍵の手に折れて、その左側には鐘楼がある。隣接するビルの壁面も、雰囲気を壊さないように配慮されている。


奥は墓所になっている。この奥に、春日局の墓所もある。


ここでの発見は、この石碑であった。明治25年4月10日神田大火の慰霊碑であった。度々、このブログで言及している木村荘八の兄、木村荘太は神田橋にあった牛肉店いろはで生まれている。そこが、この大火で焼失したために、両国橋へ母親が移ってきて、そこで生まれたのが荘八である。荘八の随筆に書かれていた話だが、その神田の大火の痕跡がこんな形で残されていたことは知らなかったので、発見したときには驚いた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿