東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

目黒を歩く~その十一:正覚寺(一)

2015-05-01 19:17:25 | 目黒区
さて、駒沢通りと山手通りの交叉するところ、少し駒沢通りの坂を上り掛けると、重厚な山門が見える。正覚寺、日蓮宗のお寺である。


山門前には日蓮宗の寺らしく、題目塔が建てられている。


実相山正覚寺と土台に刻まれ、題目と右側面には開運鬼子母神とある。鬼子母神といえば、雑司ヶ谷、そして入谷が有名だが、池上本門寺の門前にもあった。日蓮宗の門徒にとっては、守護神でもあるそうだ。


立派な山門、訪問したのは、2015年1月12日。松飾りもまだ残されていた。


元和五年(1619)に創建されたそうで、当初は現円融寺、当時は法華寺の末寺であったそうだが、不受不施派の弾圧禁教によって法華寺は天台宗円融寺になり、この寺も身延山久遠寺末となったという。不受不施派は池上を中心にしていたので、この寺もその切り崩しにあったわけだ。


今は山手通り側が葬祭場の出入り口にもなっているのだが、こちらの駒沢通り側の方が趣がある。


境内の全景。大きなイチョウの木が茂っている。


高く聳えたイチョウ。幹周りは巨木と言うにはまだまだ。


武蔵国荏原郡目黒村と刻まれた忠魂碑。


この寺の開基という、仙台伊達藩四代藩主綱村の生母である三沢初子の像。伊達騒動をモデルにした歌舞伎「先代萩」の政岡のモデルという。この像は、「名優六代目尾上梅幸の弟子尾上梅朝をモデルにして昭和9年(1934年)に建てられた、3メートルを超える三沢初子の銅像。」(目黒区サイトより)


境内には、手水舎もある。広々とした境内なのが分かる。


「橋本牧場畜牛供養塔 中目黒3-16-6
 目黒には明治中頃から昭和初期にかけて数多くの牧場があり、地域の人々に新鮮な牛乳を供給していました。しかしそれらも目黒の都市化とともに姿を消し、今日では全くその姿をとどめていません。橋本牧場は明治20年(1887)頃から大正12年(1923)まで上目黒4丁目あたりに3千坪(約1万平方メートル)ほどの敷地で存在した牧場で、畜牛供養塔は経営者の橋本寿吉氏により牧場廃業時に敷地の片隅に立てられたものです。その後、開発等により慰霊碑は移転を繰り返しましたが、平成19年に現在の場所に安置されました。区内に牧場があったことを物語る数少ない貴重な資料です。
 平成21年8月 目黒区教育委員会」
右側が供養塔。上目黒四丁目は、東急東横線の北側で、中目黒と祐天寺の間。


境内には瘡守稲荷も祀られていた。



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