東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

JRダイヤ改正記念:昔の東京駅「ブルートレインと上野東京連絡線」

2015-03-14 17:44:19 | 千代田区
本日からJR各社はダイヤ改正で、北陸新幹線の開業と上野東京ラインの開通が大きな話題になっている。その一方では、寝台特急ブルートレインとして永らく親しまれてきたわけだが、トワイライトエクスプレスと北斗星の定期運行が終了した。そんなことで、私の遠い昔に撮影した鉄道関連の写真の中から、東京駅に纏わるものを幾つか選び出してみた。撮影したのは1972年から1973年に掛けてのことで、私は小学生だった。家のカメラオリンパスペンEE-Sを持ちだして、ハーフサイズで次々とやってくる列車を撮影しに行ったわけである。今で言う撮り鉄だけど、もちろん当時はそんな言葉はなかった。

最初はEF65531号機の「あさかぜ」。後ろには湘南電車の113系が見えている。ベンチレーターが丸形の初期のもの。EF65の500番台も東京区の顔役として、特急牽引を誇らしげにこなしていた。


これは最後尾のナハネフ22。東京方の最後尾なので、これは品川客車区への回送のため機関車を切り離して、反対側へ機回している最中のカット。


これは「はやぶさ」。EF65509号機を到着後に回送用に機回してきたところ。私にとっては「はやぶさ」といえば、まずこの列車が思い浮かぶ。鹿児島本線経由西鹿児島と東京を結んでいた。


カニ20の「はやぶさ」の顔付き。間もなくこちら側に機関車が連結されて、品川客車区へと引き上げていく。東京駅のこちら側は、特急、急行ともに荷物車の連結があればその扱いがあるので、荷扱いの設備があった。


そして、こちらは「富士」である。日豊本線経由の東京~西鹿児島間を結んでいた。隣に見えているのは、横須賀線。これも113系で丸いベンチレータの初期型と押し込み式が混在しているのが分かる。


20系は電源車であり、荷扱いをするカニ20が下り方の先頭に連結されている。カニは三枚窓で、ナハネフ22はパノラミックウインドウになっていた。JRが夜行列車に冷淡で、廃止することばかり優先してきたのは残念な事だと思う。バスや飛行機の競争はもちろんだが、それ以上に利用者の利便性や都合を考えた施策というよりは、自社の利益優先という体質になっていることを感じる。


ホームの端で、単機で待機するEF58と横須賀線の113系。スカ線はアイボリーに濃紺、湘南電車はオレンジとグリーンという塗色なのだが、スカ線は上部の紺色が側面では湘南色の塗り分けよりも幅広く紺色になっていて、アイボリーの面積が少なめになっている。同系色のEF58と向き合うように止まっている。この後、1976年に東京地下駅へ横須賀線は乗り入れるようになる。


いつしか「踊り子」という名前が定着してしまったが、伊豆急下田行きの特急は、「あまぎ」だった。車両は日光形と言われた157系。当初準急用として製作された車両で、ドアが前後二箇所デッキ付き、そしてクロスシートながら窓は下降式で開閉可能というスタイルの車両だった。急行形よりもデラックス、特急形よりも少し劣るという、微妙な位置付けで製造された数も少数だった。この頃は、東京~伊豆急下田間の「あまぎ」、季節運転の上野~万座・鹿沢口間の「白根」を担当していた。そして、貴賓車のクロ157を間に挟んだ5両編成で、御召し列車の任務も担うという電車であった。これは、今は無い回送線で待機している姿。ホームのない回送線がこの頃は存在していた。客車列車の機関車の付け替えなどに利用されていた。


そして、ここからは上野東京連絡線の特急である。東北新幹線の工事が始まるまでは、上野と東京の間の線路は繋がっていた。もっぱら、上野口の列車の一部が東京駅に乗り入れる形になっていた。これは、平~東京を結んでいた特急「ひたち」が15番線に到着したところ。「はつかり」でデビューしたキハ81型で、この頃は秋田に配置されていた。羽越線経由の「いなほ」で秋田から上野に来て、その日の夕方に「ひたち」で平へ。平で一泊して、「ひたち」で東京駅まで運転し、その日の午後に「いなほ」で秋田へ帰るという運用だった。常磐線は全線電化されており、「ひたち」は全区間架線の下を走るディーゼル特急だった。ちなみに、この時は当然「ひたち」は一日一往復のみ。上りは東京行きで、下りは上野始発だった。


これは583系の青森行き「はつかり」である。隣に京浜東北線の103系電車が見えている。上野口の列車の東京乗り入れというと、奥の新幹線ホームの隣で発着しているケースが多かった様に思うのだが、これは7番線である。


このアングルだと、東京駅らしい。四角い屋根の東京駅丸の内駅舎ももう過去のものになってしまった。


そして、これは長野、直江津方面の信越線特急の「あさま」である。181系で碓氷峠を越えるために、東京よりの先頭車は電気機関車と連結するクハ180になっている。絵に描いたように、東海道新幹線0系と並んでいる。碓氷峠が廃線になり、特急「あさま」もすっかり幻になるとは、この頃には夢にも思えなかったものだ。


最後は中軽井沢行きの季節特急「そよかぜ」である。これも碓氷峠を通過するので、「あさま」と同じ編成を使っている。「そよかぜ」が登場した頃は157系を使っていたそうだが、残念ながら見たことがない。東海道新幹線開業で、東海道線の在来線特急の黄金時代が終わりを告げたのだが、この頃は上野発の上信越、東北方面は凄まじい数の特急列車が運転されていた。東北、上越新幹線の開業まで続いていた。


上野~東京間を直通にして、品川まで常磐線が行くというのも、利便性の向上としては確かに有りだと思うが、終端駅を設定した運転をするよりもスルーさせて車両基地を廃止するという発想は、本当に利用者よりのものと言えるのか、少々疑問でもある。リニア開通までに品川をターミナルに仕立て上げていきたいという意図も見え隠れするようにも思う。都市計画や本当に利用しやすいターミナルの話など、オープンな場で議論されても良いと思うのだが、いつの間にかJRの密室で決まっていくような印象を受けてしまう。ダイヤの乱れに弱いとか、スルー運転に課題があることは、湘南新宿ライナーの頻繁な運休ぶりを見ていれば想像できるので、これもいささか心配だ。
北陸新幹線も、東京への一極集中を加速させるだけに終わらないものであって欲しいと思うのだが、これまでにできた新幹線でそうならなかったものは無いようにも思える。課題は多いのではないだろうか。

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