東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

池上本門寺と周辺を歩く~その六:覚源院、厳定院

2015-03-15 20:14:02 | 大田区
池上本門寺の塔頭を巡っているのだが、一つ飛ばしてしまったので、ちょっと戻らせて頂く。車坂下から南之院に行く前に、その途中に覚源院があった。本門寺は戦災で焼失しているのだが、塔頭は無事であったところが幾つもあって、なかなか見応えのあるところが多い。ここもその一つ。立派な山門に目を惹かれる。


東京のまん中とは思えないような、落ち着いた風情がある。


「覚源院
室町時代(一三九三頃)の開創。当初は蓮池院とよばれ池上の西谷にあったという。天文二年(一五三三)大坊ほか七ヶ寺が火災に遭った後、東谷に移り、妙法坊とよばれるようになる。元亀四年(一五七三)再び焼失し本門寺祖師堂の東に移る。江戸前期、井出家の厚い外護を受け井出寺とよばれたが、元禄三年(一六九〇)本門寺の防火対策により西谷宝樹坊の跡地(現在地)に移転。宝暦年中(一七五一~一七六四)に井出為成の法号から覚源院と改称された。」


文化十四年十二月(1817)の銘のある水盤。


渋い雰囲気の本堂。池上のお寺には、縁起を書いたプレートが設置されていて、これはとても分かりやすくて良いと思う。内容に、本堂や山門の建立された時期なども分かるものは書いてあると、より興味深くなると思うのだが。


広布山の扁額。


細やかに細工が施されている。


本堂前の風景。


さて、そこから先へ進んでいく。南之院へ入る道の角にあるのが、厳定院。本門寺総門前の鬼子母神のお寺である。ここも山門が立派。しかも、山門の支柱が外側に出ているのが面白い。


「厳定院
正応二年(一二八九)本門寺二世 日朗聖人の直弟子、厳定院日尊聖人が開創。天文五年(一五三六)西谷の西之院のとなりにあった成就坊と合併、現在地に堂宇を構えたと伝えられる。成就坊の境内にあった弁財天を池上七福神として石造りの弁天宮にお祀りしている。大正九年(一九二〇)厳定院四十世 山田潮栄上人が「子育て鬼子母神」を勧請し、昭和六年(一九三一)本門寺惣門前に別院として鬼子母神堂が建立された。」


ここの本堂も重厚なもの。山号は慧光山。


庫裏も良い雰囲気の建物だが、訪問時には工事中だった。


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