東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

東海道品川宿を歩く~その三十五:立会川~その二

2014-12-01 17:54:54 | 品川区
東海道品川宿を歩く、立会川の続きである。まずは前回紹介した仲町稲荷神社へ続く道が、旧東海道から分かれているところ。元は諏訪神社があったことは書いたが、その参道であった道である。角には、煎餅の大黒屋の店がある。たけのこせんべいが名物という。目黒の名物だったたけのこという話で、興味深い。品川と目黒というのは古くからの結びつきがあるようだ。目黒を取り上げるときに、たけのこの話はまた出て来ることになるだろう。


旧東海道から京浜急行立会川駅へ向かう道が分かれているところ。その角には、小池たばこ店。木造モルタル仕上げの看板建築で、二階から上がモルタルで仕上げられている。そして、右手側が旧東海道なのだが、この建物は立会川駅へ向かう道に向けて店舗が造作されている。二階がバルコニー風になっていて、ユニークな外観。


真横から見たところ。直線的なデザインが施されている。建具類が木製のものが使い続けられているのも、良い雰囲気だ。


立会川駅前通り繁栄会という商店街になっている。珈琲ルアンは、閉店していて店の前が茂っている。


甘味処仲家。モルタル仕上げの看板建築。


さて、立会川の駅名にもなっている、その川が直ぐ先に流れている。浜川橋という橋が架けられている。少々クラシックな趣で、昭和12年竣工と銘板があった。


水道管を渡していた跡だろうか。


親柱には、立派な照明が取り付けられている。
「浜川橋
 立会川が海に注ぐこの辺りの地名の浜川から名付けられたこの橋は、またの名を「涙橋」ともいいます。この橋が架けられたのは、徳川家康が江戸入府後の一六〇〇年頃と思われます。現在の橋は、昭和九年(一九三四)に架け替えられたものです。
 涙橋の由来
 慶安四年(一六五一)、品川にお仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で涙を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。
 平成十三年三月三十日 品川区教育委員会」


この別れを立ち合いといって、立会川の名もそこから生まれたという説もあるそうだ。


立会川の上流方向を望む。この川、水質汚染で有名になっていたのだが、JR総武線馬喰町駅~東京駅間のトンネル内への湧水をパイプで引いてきて、放水している。そのお陰で水質改善が進んだという。東京駅周辺の地下水位は、近年の地下水の利用規制が効いて水位が非常に上がっているという。東京地下駅は地下にアンカーで繋ぎ止められていて、それがなければ浮かび上がっていってしまうほどだという話は聞いたことがある。

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