東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

ブラタモリ~街の樹木・植物を見る

2012-02-10 22:08:29 | ブラタモリ
毎回楽しみにしているブラタモリだが、土地を掘り下げる階とテーマで掘り下げる階があるのだが、テーマのほうはやはり難しい物棚と思う事が多い。今回は街の樹木植物ということで、スタートが東向島の駅の辺りだった。タモリ氏は番組内で花鳥風月に興味が惹かれると男も衰退期だなんて言って、久保田アナに吉原じゃないんですからという会話があった。この会話は世田谷深沢のシーンだったけど、この東向島駅、元々の駅名は玉ノ井駅であった。永井荷風の墨東綺談の舞台となった町である。花街というよりは赤線という呼び名のほうが相応しい気もする。かつての私娼窟であった町。戦災で焼け、赤線廃止から長い年月が経ち、今ではその面影はほとんど残されていない。小説に描かれた入り組んだ道は今も変わらない。

玉ノ井の起源は、浅草十二階下にあった銘酒屋が言問い通りの開通に伴って移転してきたのが始まりだという。十二階下の銘酒屋というのは、このブログでよく取り上げている大正っ子シリーズの中でも魔窟とか書かれていて、歓楽街浅草の中でも異様な雰囲気を持っていたところのようだ。ある時に忽然と無くなったという書き方をされているが、風紀上の問題からここへと移転してきたのだろう。関東大震災後には浅草では再建が許されずに、ここに来た店もあるという。

そして、一瞬ちらっと路面電車の車両が画面に映ったのが、東武博物館。東武鉄道の車両が保存展示されている。外には、日光を走っていた路面電車と東武の看板だった日光特急に使われていたDRC車の一部が置かれている。館内にも車両を含めて東武鉄道の歴史を知ることのできる展示があって、見応えのある施設である。

さて、この辺りにはもうひとつ、鳩の街と呼ばれた赤線があった。戦災で玉ノ井が焼失し、焼け出された業者が移転してきたことが始まりだという。玉ノ井が駅名からも姿を消していったのに対して、鳩の街は昭和の香りの残る商店街として、その名を前面に出して町興しをしている。向島百花園に行くのなら、この辺りも歩いて見るには丁度良い。

東京大空襲で大きな被害を受けた地域だけに、区立寺島第二小学校のもみの木が戦災をくぐり抜けて未だに大切にされているというのは、興味深く見た。

さて、街の樹木ということで、町屋の外に並べられる鉢植え。町屋というのは、道路に直接建物が面して建てられている家を指していう。当然庭などはないわけで、それ故に建物に沿って鉢植えをこれでもかと言わんばかりに並べてあるのが下町の景色であった。とはいえ、これも徐々に少なくなっている。中央区月島あたりでも、この三十年でずいぶん少なくなっている。

とはいえ、こんな景色は今でのあちらこちらに健在。


ちょっとでも隙間があれば、木を植えてしまうのもあり。時間が経てば結構立派に育つ。


その鉢植えの種類を説明してもらえたのは、やはりテレビならでは。千両や万両は知ってはいたが、あれほど種類があるとは知らなかった。江戸時代の面白さの一つが、やはり趣味性の高さといえる。平和な時代が長く続き、経済の発展が町人文化を生み出したのだが、購買層が生まれたことで、植物だけではなく金魚やらウサギやら、いくつものブームが江戸時代には巻き起こり、加熱しすぎて幕府から禁止されると言うことを繰り返している。品種改良も著しく進み、非常に高度なことが行われていた。

番組中では出てこなかったが、江戸市中への植木の供給源として有名なのが染井村である。駒込駅から山手線の外側へ向かう台地上の道筋沿いが染井村の跡で、江戸時代には数多くの植木屋が軒を連ねていた。都市化が進行するに及んで、埼玉県の大宮や安行辺りへと移転して今も盛業中の店も多い。ソメイヨシノの発祥の地でもあり、かつての植木屋の大店の跡も公園になっていたりする。また、前回の「ブラタモリ~東京タワー・芝を見る」の中で触れた芝の苔香園というのも、江戸以来のこういった園芸趣味の延長線上で明治~大正期に栄えた店である。

今回は二カ所のロケで、世田谷深沢の都立園芸高校が取り上げられていた。徳川家光の盆栽というのは、なかなかその存在すら知らなかったので、これもテレビならではだと感心した。時々、早稲田通りから新青梅街道へと出かけることがあるのだが、都立の面白そうな高校があったよなと思っていたが、こちらは都立農芸高校だった。都立高校のなかには、毛色の変わったユニークな学校があって面白い。

街路樹といえば、イチョウの話が出ていた。銀杏はともかく、イチョウの落ち葉は量が多くて、落葉したところに雨が降ると非常に滑りやすくて危険である。バイクだと致命的なスリップに遭遇しかねないので、油断大敵である。以前、そんな状況で徐行しながらブレーキを軽く触った瞬間、前輪がスリップしたことがある。あっ!と思った瞬間のことだったが、路肩の段差にタイヤが当たって転けずに済んだ。それ以来、落ち葉は怖いと肝に銘じている。

桜新町が、大正の初め頃に分譲住宅として開発されたという話は興味深かった。世田谷はじめ、郊外の住宅化は明治末頃から徐々に進行していたのだが、これが一気に加速してブームになっていくのは関東大震災の後のことである。私鉄の開通で交通網が整備されたことでその基盤ができていくとは言え、大正初期の段階では分譲もなかなか苦労したのではないだろうか。その辺りの突っ込んだところもいつかやってくれれば面白いのだが。

そして、桜の木。桜の木は成長が早い。目黒川沿いや石神井川沿いの桜も、今ではすっかり立派になって番組で話していたように川に向かって垂れ下がるようで、見事なものになっている。とはいえ、どちらも植えられたのは1985年頃のことだと思う。植え立ての頃のひょろひょろの苗木だった姿を思い出すと、今の姿には感慨深い。でも、意外と早くに育つ物であるのも確か。


そして、梅屋敷とか花屋敷というものが、市中や周辺に結構あったという話。これは今でも大田区の京浜急行には梅屋敷という駅名が残っている。また、かつては文京区の団子坂の菊人形とかも有名だった。植物+アルファで見物を盛り上げる工夫というべきか、見せ物も人気だったので、上手く融合したともいえるように思う。こういったレクリエーションは江戸時代にも色々あったようだ。

さて、次回は江戸の運河とのこと。そのテーマなら日本橋かと思うのだが、江東区方面がメインの様子。どんな切り口になるのか、楽しみにしたい。


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