東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

ブラタモリ~神宮外苑スペシャルを見る

2012-03-30 21:52:43 | ブラタモリ
今回は神宮外苑。以前番組では明治神宮を取り上げたことがあったが、今回は外苑である。確かに、普段あまり意識せずにいるが、国立競技場や神宮球場、秩父宮ラグビー場など、一連の施設は明治神宮の外苑の中にあるということを改めて思い出す。この辺り、江戸時代には旗本の屋敷があったところ。そもそもが江戸城から甲州街道方面は非常脱出ルートなので、直轄の旗本や親藩大名の屋敷で固められているのだが、この辺りまでもそういった配備になっていた様だ。銀杏並木の辺りなどは、小さな旗本屋敷の並ぶところだった様子。明治維新後、広大な武家地が空き地となっていた。丸の内にあった陸軍の練兵場が移転してきて、青山練兵場になっていたのが明治の姿。その青山練兵場は、明治天皇崩御に際して、斎場となった場所でもある。

そして、そのような場所となったことから、明治天皇を祀る明治神宮が造営され、その外苑としてこの地が整備されることになっていったということなのだろう。この大喪の模様など、今となってはなかなか興味深いものがある。この時の模様は、後々の天皇崩御の際にも参考にされている訳でもある。

スポーツというか、相撲などは奉納という話が出ていたが、流鏑馬と言わなくとも、靖国神社の境内で競馬をやったというのも明治の話。堅苦しいことを言わずとも、お祭りとなれば、神社の境内には様々な露店から見世物まで繰り広げられるというのも、馴染み深いものだ。結果的には大帝と言われた明治天皇を祀る神宮の外苑だけに、行われるスポーツも釣り合いのとれるものになったと言うことか。

銀杏並木は東京で暮らす者には馴染み深いが、手間暇を掛けて木の大小を付けて景観を演出していたという話は面白かった。神宮の造営には100年を見越した庭園設計という話が出ていたが、外苑も掛けるべき手間が惜しまれていないものなのだと言うことなのだろう。そう考えていくと、表参道がせっかく神宮の参道として整備されていたにもかかわらず、今日のような有様にしてしまったのは惜しいことであったように思える。

そして、絵画館。正式には聖徳記念絵画館というのだが、私もさんざんこの前の駐車場に車を止めたことも一度ならずあるし、近くまで行っておきながら、中に入ったことがなかった。番組では、通常は見ることの出来ない二重ガラス天井の内側やら、絶景の屋上など、見せて頂けたのは良かった。なにより屋上からの眺めは素晴らしく思えた。

そして、中央線に沿ったあの道路が、外苑と内苑を結ぶ連絡道路であったというのも面白かった。しかも、歩道、車道の他に乗馬道まであったというのは興味深い。戦前の東京の中でも、白眉というべき景観であっただろうと思える。そして、それを破壊してしまったのが、これまた東京オリンピックの時に作られた首都高速道路であったというのも情けない。東京オリンピックに際しての高速道路建設については、本当に何でもありで完成しさえすれば許されると言わんばかりの作業が数多く行われている。そして、一時の熱狂のために非常に大きなものを失う結果に繋がったことを考えるべきではないだろうか。この道路、明治通りと交差してから神宮内苑に繋がるのだが、この辺りはどこか不思議な雰囲気だと歩いていて思ったことがある。代々木の予備校に通っていた頃など、その辺りは歩き回っていたのだが、そんな経緯の道だとは知らないままでいた。

そして、電信柱に残る徳川家の屋敷の跡。この電信柱の配電系統名というのは、なかなか面白いものなのだ。どうやらこの系統名というのは、最初に電柱が立って線が張られてから、よほど大幅な変更がないかぎりはそのままの名前を維持していくようだ。だから、町名になることもなく、通称でそう呼ばれていた土地の名前が残されていたりする。全ての電柱には、この配電の線名と番号が書かれている。自分の家の周りの電柱も見てみると、結構面白い発見があったりすることもある。

東京体育館から鳩森八幡神社。東京体育館には古い建物だった頃だが、プールに泳ぎに通っていたことがあって、懐かしく思う。建て替えられてからは行ったことがない。建て替えられてオープンしたのが、1990年と言われるとさすがにそんなに経つのかと驚く。
鳩森八幡は神社は前を通ったことがある程度だが、東京に残る中では一番古い富士塚とは知らなかった。かなり数が減ったと言うが、それでも都内にはかなりの数の富士塚が残っている。神社の境内に残っているケースが大半だと思うが、豊島区高松の富士塚は住宅街の中に唐突にそれだけがあるというものもある。フェンスで囲われていて登れないのが残念だが、富士塚を調べて歩くというのもそれだけでも面白そうだと思う。7月1日には山開きでお祭りになるので、それも楽しい。

そして、多くの時間が割かれていたのが国立競技場。ここは私も想い出が多いところだ。正式には国立霞ヶ丘競技場という。それはこの辺りが霞ヶ丘町という町名になっているからなのだが、この辺りからの掘り下げもちょっと欲しかったようにも思う。東京オリンピックに関しては、私の一番古い記憶が聖火ランナーを中山道に親に連れられて見に行ったことと言う位で、他にはなにも覚えていない。国立競技場というと、サッカーにまつわる想い出が多い。始めてサッカーで国立が満員になったのを見たのは、1977年9月のペレのサヨナラゲームの時だった。その時に撮った写真。両チームのスタメンである。この頃は日本代表チームがクラブチームを相手にするのも当たり前で、一流国の代表チームが来日することなど考えられないことだった。日本代表の名前の中には、今は監督になっていたり、解説者になっていたりする人も多い。ペレが最後に在籍したのは、ニューヨーク・コスモス。ベッケンバウワーの名前も見える。


試合結果はこんなところ。そして、終了後は場内をパレードした。


1979年にワールドユースの大会が日本で行われて、この時にはアルゼンチンが優勝した。前年の1978年のワールドカップでアルゼンチンは地元で初優勝をしており、その代表をこれから担うスーパースター目前の選手がやってくると聞いて見に行った。それがマラドーナだった。さすがに凄いと思ったが、この時でも国立競技場は満員には程遠かった。普段の日本代表の試合では、スタンドから野次れば確実に選手に聞こえるような雰囲気だった。それだけに、Jリーグが始まった時に国内の試合なのにスタンドが満員になっているのをみて、凄いことになったものだとしみじみ感心したのを覚えている。

と、少々脱線した。今回は国立競技場であったが、神宮球場にはまたそれなりの色々な面白ところがあるのだろうとも思う。
さて、次回は江戸の食、今回同様にスペシャル版とのこと。そして次回で第三シーズンも終了とのこと。色々突っ込みつつも楽しみにしている番組なので、是非とも秋からは第四シリーズを開始して欲しい。そして、より充実した内容で深く掘り下げていって貰えればと期待している。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も見ました (小僧の神様)
2012-04-01 21:07:44
kenmatsu様

私も見ました。

外苑の意味がやっと分かりました。都内にいたことがあってもなかなか知らないものですね。だいたい、「神宮」っていう意味がわからない。番組では外苑を「神社などに付属する」という言い方をしていました。

これだけで2つ開眼です。(笑)

それにしてもさすがNHK。いままでも特例的にあちこち侵入?していましたが、一芸能人が聖火台に点火するとは思いませんでした。ズルイ~
返信する
RE:私も見ました (kenmatsu)
2012-04-01 22:29:46
>小僧の神様
どうもありがとうございます。
そうですよね、明治神宮が明治天皇を祀った神社だということを知らない人も、今なら結構いるだろうと思います。私だって、若い頃には関心がなかったから、意識してはいなかったし。
聖火はオリンピック以降も点火されていたことがあるように思うんですが、何の時に使っていたのかは覚えてません。でも、番組で点火までさせるなんて、大サービスだったですね。
返信する

コメントを投稿