東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

ブラタモリ~国分寺・遺跡編を見る

2012-01-20 18:48:19 | ブラタモリ
ブラタモリ、今回は国分寺とのこと。正直言って、多摩方面はあまり得意ではない。とはいえ、国分寺は関東では非常に古い歴史の話になるので、楽しみにして見た。早速、国分寺跡ということで、広大な敷地に立派な寺院が建設されていたことが分かった。
また、面白いと思うのは、この年代の武蔵の国府をこの辺りに置いたと言うことは、整備した陸路を中心とした考えであったことが窺える点だろう。家康の江戸入府に際して、江戸城を築城し町を築いた背景には、船運による輸送を前提にした町づくりがあった。この間の船運のレベルの向上がいかほどに凄いものであったのかを示唆していると思う。

やはり時代が変わっていくことで、地勢の見方も変わってくると言うことなのだろう。そして、その変化によって武蔵の中心地が移っていったからこそ、国分寺の遺跡が今日まで残されていくことに繋がったとも言える。東山道の道筋が今も残されているというのも、見に行ってみたいという気持になった。国分寺市には、武蔵国分寺跡資料館という施設が出来ているので、この見学をあわせて行くと良さそうに思える。

鎌倉時代に分倍河原の合戦で焼失してしまい。その後に新田義貞の寄進により再建された武蔵国分寺は、今も直ぐ近くに現存しているという。今は都市化が進んで、通勤圏で電車が走る地名のついた合戦があったというところで面白い。この合戦は、鎌倉時代の終焉を告げるようなもので、足利氏による室町時代の幕が開いていく先駆けの頃のことであったと言えるだろう。

なかなか都心部でもないと、一時間充分な話のネタを拾うのは難しいのではと思っていたが、やはり国分寺の話が終わってしまうと、歴史的な背景のある話は続かないようだ。この辺りは、旧江戸市中以外の区の郷土資料館を見て歩くと感じることで、とりわけ大きな街道もなく、農村地域であったような所はトピックを探すのに苦労しているのを感じる。

国分寺跡の敷地内で、三億円事件の際に強奪された車が発見された場所だったとのこと、なるほどと思う。この事件については、私も当時小学校低学年だったが、衝撃的だったことは良く覚えている。

そして、府中には東芝の大きな工場があり、町の名前に東芝町というのすら存在している。国分寺には日立製作所の研究所があり、広大な敷地の研究所のお陰で貴重な武蔵野の森が保存されているというのも、興味深いところだった。年に二回は一般公開されるというので、タイミングが合えば見てみたいものだと思う。それにしても、こういった大きな敷地の施設が点在しているのも、広大な武蔵野が長閑な農村エリアだった時代があればこそとも思う。

さて、今回は少々書きにくいので、脱線して話を広げてみる。国分寺が作られたのは750年近辺のこと。東京最古の寺は、浅草寺である。こちらは628年の創建と伝えられている。さらに一世紀前というのも凄いものだと思う。この当時の浅草周辺は、海岸線が今とはかなり違っていたらしい。もっと内陸に海が入り込んでいて、浅草は海沿いに神奈川方面から千葉へ行くには必ず通過するポイントであったようだ。そんな交通の要衝であったことから、浅草寺が古くから建立されたらしい。江戸開府以前の浅草というのも、なかなか想像するのが難しいけど、興味深いところ。

さて、番組は鉄道模型と和菓子の店などを覗いて面白そうだけど、当ブログ的には書きようのない展開になってしまった。次回は鉄道総研とのこと、元々鉄道好きだったから興味深いテーマではあるものの、ブラタモリだがタモリ倶楽部だがといった感じもしないではない気もする。


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