東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

ブラタモリ~新宿・新都心編を見る

2012-03-16 22:42:09 | ブラタモリ
さて、今回のブラタモリは先週に続いて新宿。ところで、二週続けて新宿な上に、以前のシリーズでも水道編ということで新宿は取り上げられている。その意味では、新宿ばかり随分とやっている印象がある。日本橋など、以前のシリーズで一度やっただけというのも、少々寂しいところ。この辺り、是非とも今後のシリーズでは旧市街エリアを違ったアングルから掘り下げる様な展開も期待したい。

新宿のユニークさというのは、江戸四宿といいながら、他の三つの宿場が江戸市中とは分離された距離に位置しているのに対して、新宿だけが江戸市中の境界線に接するような位置関係を持っているという点が上げられる。これは、先週の番組中で説明されていた甲州街道の高井戸宿が半端に遠い距離にあったことで、内藤新宿が新たに設けられたという経緯とも絡んくるところ。そして、考えようによっては、江戸市中に隣接するところに新しい宿場を設ければ、これまでの三宿の例にならって飯盛り女を置くことは許されると読んで、浅草の新吉原の繁栄を指をくわえて見ていた商人が内藤新宿の開設を願い出たというストーリーもあり得たことだろう。実際、新吉原からの訴えで内藤新宿は一度は閉鎖されるまでの処分を受けている。江戸の市中から隔絶された地で営業していた新吉原は、公許であって、岡場所などの商売上のライバルに対しては公的に保護される存在でもあった。
旧宿場内のエリアにあるコインロッカー、そして窓の破れた店。


そして、四ッ谷大木戸から追分辺りまでの範囲だった新宿は、その西側に山手線が開通し新宿駅が出来、さらに甲武鉄道が開通し、その後には京王、小田急と私鉄も開業していく中で、西へと拡張しながら山の手一の盛り場となっていった。その明治末頃から始まって、関東大震災後に一気に勢いを付けていく新宿の興隆があった。という辺りまでが、前回のおさらいということになる。
新宿四丁目にて。


そして、今回は歌舞伎町。戦災で焼け野原になった新宿の復興、そこで歌舞伎座を招致してという目論見から歌舞伎町の名が付いたことは、私も聞いたことがある。結局、歌舞伎座の招致は実現せず、歌舞伎町は危険な匂いのする歓楽街となっていった。1980年代に学生だった私は、今の地下鉄東新宿駅近くでバイトをしていたが、新宿駅から昼間の歌舞伎町を抜けてバイト先まで歩いた。その頃には、まるで要塞のような暴力団関係の家などがあったのを覚えている。番組では触れられる話でもないのかもしれないが、やはり東京のダークサイドといえばまず思い浮かぶ町が歌舞伎町だった。歓楽街という言い方は表層的で、歌舞伎町にはもう少しコントラストの強い闇を感じる町でもある。
NTTドコモ代々木ビルを新宿四丁目より望む。


そこから、番組は西口へと移動していく。西口は、高度成長期以降に発展した町でもある。都心部のターミナルでは新宿の整備は割と早かったという印象で、私の物心着いた頃には、新宿西口は既に今の姿になっていた。
淀橋浄水場、その淀橋の名を付けたカメラ店が、ヨドバシカメラの始まりだった。当初のヨドバシカメラは、カメラと写真用品を扱う店だった。一眼レフが手に入る憧れという存在になっていた時代で、ディスカウント販売で知られるようになっていった。当初はある程度の知識のある者が買いに行く店で、初心者が行く店ではないといった雰囲気だった。私がヨドバシカメラを知ったのは高校生の頃で、1970年代後半のことだった。店頭で黄色い用紙に印刷された価格表が配布されていて、もらってきては隅々まで眺めたものだった。とはいえ、肝心の一眼レフの価格は入っていなかったと思う。徐々にヨドバシカメラは一般的な知名度を増して、いつしか家電量販店になっていった。その後に、行徳からはじまったSTEPとか、商品を段ボール箱のまま積んで、商品説明などは一切しない代わりに価格が安いという商法の店が出て来たが、その走りといえるのがはヨドバシカメラだった。

京王プラザホテルの開業が、昭和46年。私も、なにもない中に京王プラザだけがにょっきりと立っている異様な風景は覚えている。ただ、展望台を見に行った覚えもないし、行きたいと思ってもなかったようだ。あの辺りに行くようになったのは、住友三角ビルが出来た頃からだったと思う。京王プラザもオープンから既に40年経過しているとは、驚きだ。この高層ビル街の裏手が十二社。以前の水道編の時にやっていた辺りだが、熊野神社があったり、面白い所である。周辺も今はビルが建ち並ぶようになってしまったが、かつては長閑な郊外で、武蔵野の面影を持つところだった。

さて、そして高層ビル群の集中冷暖房設備についてやっていたが、東京ガスがこの一体を押さえていたのかと感心。新宿パークタワーという尖った屋根が特徴的な高層ビルは東京ガスのビルであることは知っていたが、一体の超高層ビルのほとんどがこのシステムで運営されているというのは初めて知った。

かつては副都心といわれていたものが、気が付けば新都心という名に代わり、都庁も今では新宿に位置している。西へと拡張していった東京という観点からいえば、確かに今の中心は新宿ということになるのかもしれない。とはいっても、東京の文化という視点に立てば、やはり旧来からの都心部を忘れるわけにはいかない。ブラタモリの第三シリーズも残り僅かなのかもしれないが、次回のスペシャル版、神宮外苑にも期待したい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿