東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

東海道品川宿を歩く~その二十九:海晏寺、泊船寺

2014-11-25 18:38:26 | 品川区
東海道品川宿を歩く、青物横丁からジリジリと先に進んでいる。旧東海道は商店街になっているのだが、この辺りまで来ると少し静かな雰囲気になってきている。お店の数も減って、住宅と会社事務所が増えてきている感じ。そんな中、街道沿いの旧家。


その先で交差する道があり、山側へ折れると石柱が二つあった。左は、「太政大臣岩倉公御墓所参拝道」、右は「鮫洲正観世音菩薩道場」と書かれているようだ。海晏寺の名が入っている。この道は海晏寺の参道であった道。


その傍らに、朱塗りされた石積みの祠。幸稲荷神社。詳細は不明。


真っ直ぐ行くと第一京浜国道に突き当たるので、それを渡った所に海晏寺がある。ここも大きなお寺である。


山門というよりは入口といった風情だが、周りのレンガ塀が目を惹く。


「曹洞宗
・開山:鎌倉時代の建長3年(1251)に北条時頼が、鎌倉の建長寺の
 蘭渓道隆を迎えて開いたと伝えられる。
 その後、時頼の息子の時宗の時代に新たな堂が造られ、
 阿弥陀仏が安置されたといわれる。
・創建当時は臨済宗の寺であったが、戦乱による焼失ののち、
 天正18年(1590)に曹洞宗の寺として再建された。
・江戸時代には、紅葉の名所となり、浮世絵にも多く描かれた。」(しながわ観光協会サイトより)


本堂も比較的新しく、広大な境内も舗装されていて、どこか取り付く島のない雰囲気。禅寺らしいと言えばそうとも言えるのかもしれない。


本堂前から第一京浜を振り返ったところ。境内が広々しているのが伝わるだろうか。浮世絵に描かれた海晏寺の姿は、このリンクからどうぞ。(錦絵で楽しむ江戸の名所


目に入る時代を感じさせるものは、この鐘楼。古刹だけあって、立派なもの。岩倉公の墓所へは行かなかったのだが、調べてみるとあまり気軽に入れる雰囲気ではないらしい。


その海晏寺の前の看板建築。第一京浜沿いである。


会社事務所として使われている様だが、ペンキが塗られているものの往年の面影を良く残している様に見える。


その直ぐ先の海晏寺の横手を、大井町方面に向けて坂が上っていく。
「旧仙台坂(くらやみ坂):江戸時代(1603~1867)に、この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから、東大井四丁目と南品川五丁目の間のこの坂は仙台坂と呼ばれていました。しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり、、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。」と言う案内が建てられていた。


この旧仙台坂を挟んだ道の反対側が、泊船寺である。
「永徳2年(1382年)海中より出現した阿弥陀如来を本尊として、大庵龍光が開創したとされる寺。松尾芭蕉とも親交があったことから、境内に牛耕庵(泊船堂・芭蕉堂)を建てたと伝えられています。」(品川区サイトより)


大井町方面から続く台地の縁で、第一京浜はその下側を走っている。この辺りは、品川らしく船や海の文字の付くお寺が多い。


そして、再び第一京浜国道を越えて、京浜急行の高架線の下を潜っていくと、泊船寺の墓所があった。元々はずっと繋がる寺の境内であったのだろう。京浜急行が通り、国道が造られていったことで、随分と変わっていったことが忍ばれる。


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