神奈川県立近代美術館鎌倉で行われている「生誕100年・藤牧義夫展~モダン都市の光と影」を見てきた。昨日鎌倉まで行ったのだが、その余韻を噛みしめたくて、一日おいてしまった。
藤牧義夫は明治45年に群馬県館林市で生まれた。昭和の始めの東京に出て来て、当時盛り上がり始めていた新しい版画のムーブメントの中で、独創的な感覚で作品を作り出した作家である。そして、昭和10年9月に忽然と姿を消してしまい、その後の消息が分からない。僅か24歳だった。その詳細については、是非とも先にこのブログでも紹介した「君は隅田川に消えたのか~藤牧義夫と版画の虚実」駒村吉重著を読んでみられることをお勧めする。これを読めば、藤牧という人の姿や、その作品がどこか身近に感じられて、そしてその作品を見てみたいと思うようになることだろう。
神奈川県立近代美術館鎌倉
場所は鶴岡八幡宮の境内と言っても良いような場所。鎌倉駅から若宮王子を行くと、鶴岡八幡宮の左側へ回り込んで行ったところに入口がある。
休館日:月曜日
開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
観覧料:一般700円、20歳未満と学生550円、65歳以上350円、高校生100円
私は丁度到着したのが昼時で、良いタイミングで会場に入ることが出来たと思う。とにかくじっくり見たかったので、三時間近く会場で過ごした。平日とはいえ入場者はそれなりにいるので、休日だとこれほどゆっくり見ていられないだろうとも思えた。13歳の時に藤牧は、父を亡くしている。藤牧は父を非常に敬愛しており、その死に際して父への想いや記憶の全てを形にして著そうとしたかのように、「三岳全集」「三岳画集」という二つの手製の本を彼は制作している。その実物の展示もあったのだが、思っていたよりもそれは小さく、そして見るとそこには藤牧の父への愛情がこめられていることがしみじみと感じられる。その中身はパソコンが置かれていて、画面が自動で切り替わっていくことで見られるようになっていたのだが、その全てをじっくりと見てみたいと思った。そして、何よりもこれを13歳の藤牧義夫が制作したと言うことに唸った。とても少年の作とは思えない。そして、何よりも既にこの時に藤牧義夫は、紛れもなく藤牧義夫であったことを感じられて、興味深く思えた。様々な年代の父の絵を描いており、そのタッチも様々だったり、父の趣味であった盆栽の全てを写生したりというのは、後の藤牧作品にも通底するセンスが既にそこにあったことを感じさせる。
昭和2年、16歳になった藤牧義夫は故郷館林を離れ、東京へとやって来る。そして、浜町にあった図案工房に住み込み、図案工としての修行を積んでいく。その図案の模写も展示されていたが、非常に細かい図案を性格に模写しており、その集中力の高さに感心した。彼のそういった部分は、元々の素養の中にもあったのだろうと思える。そして、図案の修行は彼のテクニックを磨いていくことになったのだろう。昭和5年頃には、彼が行方不明となるまで暮らした浅草区神吉町、今の東上野の下宿で暮らすようになったという。現在の藤牧義夫の下宿のあったところ。
彼が東京にやってきた時代は、正に震災復興がほぼ出来上がりつつあった時であった。元々館林で生まれ育った彼には、江戸以来の明治の東京への拘りもなく、素直に町が丸ごと新しく出来上がっていったモダン東京の姿に美を見出している。その作品を通して昭和初期の東京を感じとることが出来る。
昭和7年作の「朝(アドバルーン)」(パンフレットより)
そして、代表作、上野広小路を松坂屋百貨店から見下ろした構図の「赤陽」昭和9年作。この大胆にして細心な線に魅了された。
さらに、彼の異色さがよく分かるのが、隅田川両岸絵巻と呼ばれる作品である。これは無彩色の線画で、隅田川の両岸を描いている。という説明では十分ではない。両岸を自由に往き来しながら、全てのスケッチが連続して描かれている。その一部がパンフレットに掲載されている。
昭和9年作「白描絵巻(隅田川絵巻)」(商科大学向島艇庫から三囲神社まで)
非常に緻密なタッチで、正確な線で描かれている。この絵巻が四巻在り、その内二巻が広げられて展示されている。また、別室でプロジェクターによって絵巻四巻の全てを映像で見ることが出来る。これも全て見終えるまで、私は見ていた。これを見ていると藤牧義夫という人が、紙の上に見えている世界を写し取っていくことが喜びであることが感じられる。かつては、彼の失踪に絡んでノイローゼ説なども流されていたというのだが、絵を見ているとそうは思えない。喜びと共に、彼はこの作品を作り上げていったのだろうという気がする。
ネット上でも彼の作品の画像を見ることは出来るし、前記の書籍にも一部の作品は掲載されている。だが、やはりその実物をまとまった形で見ることが出来る機会は貴重だと思う。自分自身、それほど展覧会を多く見る方だとは思わないが、これほど力を入れてみてきたのも珍しいと思えた。また、これほど充実感を得られた展覧会もあまりないだろうと思えた。会期は3月25日まで。是非、その眼で藤牧義夫の作品を御覧になることをお薦めする。
藤牧義夫には、失踪に贋作問題と、謎が多い。そしてその真相が何処にあるのかに思いを巡らせることもあるのだが、何よりももっと多くの作品を造っていたら、どれほど凄いものを作っていたのだろうかと思う。絵巻を作成して新たな境地を得て、さらにそこからどんな飛躍をしていったのか、彼のことだからきっとその先でもまた新しいことをやって、思いもよらなかったような発想の作品を生み出したのではないのかと思う。そう思うと、忽然と消え去った藤牧義夫を惜しむ気持がこみ上げてくる。
藤牧義夫は明治45年に群馬県館林市で生まれた。昭和の始めの東京に出て来て、当時盛り上がり始めていた新しい版画のムーブメントの中で、独創的な感覚で作品を作り出した作家である。そして、昭和10年9月に忽然と姿を消してしまい、その後の消息が分からない。僅か24歳だった。その詳細については、是非とも先にこのブログでも紹介した「君は隅田川に消えたのか~藤牧義夫と版画の虚実」駒村吉重著を読んでみられることをお勧めする。これを読めば、藤牧という人の姿や、その作品がどこか身近に感じられて、そしてその作品を見てみたいと思うようになることだろう。
神奈川県立近代美術館鎌倉
場所は鶴岡八幡宮の境内と言っても良いような場所。鎌倉駅から若宮王子を行くと、鶴岡八幡宮の左側へ回り込んで行ったところに入口がある。
休館日:月曜日
開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
観覧料:一般700円、20歳未満と学生550円、65歳以上350円、高校生100円
私は丁度到着したのが昼時で、良いタイミングで会場に入ることが出来たと思う。とにかくじっくり見たかったので、三時間近く会場で過ごした。平日とはいえ入場者はそれなりにいるので、休日だとこれほどゆっくり見ていられないだろうとも思えた。13歳の時に藤牧は、父を亡くしている。藤牧は父を非常に敬愛しており、その死に際して父への想いや記憶の全てを形にして著そうとしたかのように、「三岳全集」「三岳画集」という二つの手製の本を彼は制作している。その実物の展示もあったのだが、思っていたよりもそれは小さく、そして見るとそこには藤牧の父への愛情がこめられていることがしみじみと感じられる。その中身はパソコンが置かれていて、画面が自動で切り替わっていくことで見られるようになっていたのだが、その全てをじっくりと見てみたいと思った。そして、何よりもこれを13歳の藤牧義夫が制作したと言うことに唸った。とても少年の作とは思えない。そして、何よりも既にこの時に藤牧義夫は、紛れもなく藤牧義夫であったことを感じられて、興味深く思えた。様々な年代の父の絵を描いており、そのタッチも様々だったり、父の趣味であった盆栽の全てを写生したりというのは、後の藤牧作品にも通底するセンスが既にそこにあったことを感じさせる。
昭和2年、16歳になった藤牧義夫は故郷館林を離れ、東京へとやって来る。そして、浜町にあった図案工房に住み込み、図案工としての修行を積んでいく。その図案の模写も展示されていたが、非常に細かい図案を性格に模写しており、その集中力の高さに感心した。彼のそういった部分は、元々の素養の中にもあったのだろうと思える。そして、図案の修行は彼のテクニックを磨いていくことになったのだろう。昭和5年頃には、彼が行方不明となるまで暮らした浅草区神吉町、今の東上野の下宿で暮らすようになったという。現在の藤牧義夫の下宿のあったところ。
彼が東京にやってきた時代は、正に震災復興がほぼ出来上がりつつあった時であった。元々館林で生まれ育った彼には、江戸以来の明治の東京への拘りもなく、素直に町が丸ごと新しく出来上がっていったモダン東京の姿に美を見出している。その作品を通して昭和初期の東京を感じとることが出来る。
昭和7年作の「朝(アドバルーン)」(パンフレットより)
そして、代表作、上野広小路を松坂屋百貨店から見下ろした構図の「赤陽」昭和9年作。この大胆にして細心な線に魅了された。
さらに、彼の異色さがよく分かるのが、隅田川両岸絵巻と呼ばれる作品である。これは無彩色の線画で、隅田川の両岸を描いている。という説明では十分ではない。両岸を自由に往き来しながら、全てのスケッチが連続して描かれている。その一部がパンフレットに掲載されている。
昭和9年作「白描絵巻(隅田川絵巻)」(商科大学向島艇庫から三囲神社まで)
非常に緻密なタッチで、正確な線で描かれている。この絵巻が四巻在り、その内二巻が広げられて展示されている。また、別室でプロジェクターによって絵巻四巻の全てを映像で見ることが出来る。これも全て見終えるまで、私は見ていた。これを見ていると藤牧義夫という人が、紙の上に見えている世界を写し取っていくことが喜びであることが感じられる。かつては、彼の失踪に絡んでノイローゼ説なども流されていたというのだが、絵を見ているとそうは思えない。喜びと共に、彼はこの作品を作り上げていったのだろうという気がする。
ネット上でも彼の作品の画像を見ることは出来るし、前記の書籍にも一部の作品は掲載されている。だが、やはりその実物をまとまった形で見ることが出来る機会は貴重だと思う。自分自身、それほど展覧会を多く見る方だとは思わないが、これほど力を入れてみてきたのも珍しいと思えた。また、これほど充実感を得られた展覧会もあまりないだろうと思えた。会期は3月25日まで。是非、その眼で藤牧義夫の作品を御覧になることをお薦めする。
藤牧義夫には、失踪に贋作問題と、謎が多い。そしてその真相が何処にあるのかに思いを巡らせることもあるのだが、何よりももっと多くの作品を造っていたら、どれほど凄いものを作っていたのだろうかと思う。絵巻を作成して新たな境地を得て、さらにそこからどんな飛躍をしていったのか、彼のことだからきっとその先でもまた新しいことをやって、思いもよらなかったような発想の作品を生み出したのではないのかと思う。そう思うと、忽然と消え去った藤牧義夫を惜しむ気持がこみ上げてくる。
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