東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「漢文のすすめ」とその舞台~その六(新宿区西落合)

2014-10-03 19:27:19 | 新宿区
「漢文のすすめ」の舞台を歩く、とりあえず今回で終わりである。この西落合を最後に、原田氏は群馬県の前橋へと転居されてしまうので、追跡もここまでと言うことになる。

 西落合に行く前に、少し寄り道を。
「このころのことであったと思うが、一年に一度ぐらい、諸橋先生が近藤先生、原さん、川又さん、大島・佐々木と私の編纂関係者を九段下(靖国神社に向かって左側)にあった「維新号」という中華料理店に招待してくれた。この店は内部に装飾が少しもない殺風景な店であったが、「味は私が北京留学中に味わった本場の味と同じだ」ということであった。」(昭和十~十二年頃のこと)

 この「維新号」という店は、今も続いている。ただし、場所が変わっている。この九段下というのは、かつて今川小路町といったところで、この昭和初期には神保町三丁目になっている辺り、昭和16年の地図だが電車の停留除名に今川小路の名が残されている。明治32年に創業したという店である。終戦までこの地で営業していたが、終戦後は昭和22年に銀座へと移転して料理店からおまんじゅう屋へと転身してみせた。
 この中華まんじゅうは、終戦後の時代から大ヒットして、多くの人々が銀座へいっては買い求めた。この店では、たっぷりとした肉まんにとんかつソースを掛けて提供した。私の祖母が最初にこの味を覚え、母を連れて行き、その後は父が銀座の会社に勤めていたこともあって、私も子供の頃から中華まんといえば維新号と擦り込まれていたし、ソースを掛けて食べるものと思っていた。


 これはその向かい側にあった九段下ビル。昭和2年に完成した復興期の建築で、元の名を今川小路共同建築と言った。平成24年に解体されてしまったが、維新号と向かい合っていた歴史の証人でもある。


 今も銀座で営業している維新号。赤坂や新宿にも赤坂維新号として店を出しているが、銀座が今も比較的庶民的な雰囲気を残しているのに対して、赤坂や新宿は戦前以来の高級中華料理店になっている。


 さて、原田氏は天沼の遠人村舎で『大漢和辞典』の編纂に携わっていた。
「天沼の遠人村舎は昭和十一年十二月末で閉じられた。その少し前、諸橋先生は西落合に邸宅を新築し、庭に瀟洒な茶室を造ったが、その茶室が編纂室になったのである。」

 その作業が一段落した頃、昭和12年4月に父君を亡くされている。その後に、結婚したという記述がある。
「そうしているうちに私も結婚した。岡山県出身の義兄の世話によるもので、妻の雅子は倉敷市生まれである。辞典の仕事に都合がよいように先生宅にごく近い、淀橋区西落合一ノ三二に小さい家を借りて住んだ。落合第三小学校のそばである。今の前橋市の家もすぐ近くに小学校があり、どうも私の住むところは学校に近いところになるらしい。」

 これは当時の西落合の地図である。諸橋邸の位置が分からないのだが、赤丸が原田邸である。そして、すぐ近くに落合第三小学校がある。


「西落合地域は、かつて葛ヶ谷と呼ばれ、大正14年より昭和11年にかけて、耕地整理が行われ、現在の碁盤の目のような街並みが整理されました。区では、この葛ヶ谷耕地整理の資料に示された道路名称のうち、31路線について道路通称名として決定しています。 新宿区」
まさに、この地域の近代化整備が行われたところで、諸橋教授も原田氏も転居してきている訳である。


 旧原田邸の辺り。元々はこの左手へ道が続いていたのだが、戦後に区画を統合して落合第二中学校が作られていて、様子が変わっている。


 旧原田邸側から落合第三小学校を望む。一番奥に見えているのが、小学校である。


 新宿区立落合第三小学校。


 周辺を歩いていると、自性院というお寺があった。立派な山門。


 境内は広々としている。本堂などの建物は、比較的新しく建て直されたもの。


 新しい大きな本堂。


 新青梅街道に参道が延びている。そこには猫の文字の入った石塔。猫寺として有名という。


 正面の参道からの眺め。猫の大きな像が飾られている。


 この新青梅街道沿い、数軒だがこの辺りの耕地整理と宅地化が行われた時代に建てられたと思われる商店が残されている。緑青が美しい看板建築は、木版画のイワサキ。その左隣は上からサイディングが貼られているが、ほぼ同じ作りではないかと思われる。


 その並びにも、きれいにリフォームされたばかりの木造の商家造り。表装美術白雲堂と書かれていた。建物もしっかりしているが、とても上手く持ち味を活かしてリフォームされている。


 こんな形で、古い建物が長く使い続けられていくのは、素晴らしいと思う。良い雰囲気。


 昭和18年6月ころに、原田氏は応召により欠員の出た群馬師範への誘いを受け、前橋へと転居されていく。そこからの話は、是非本書を読んで頂ければと思う。『大漢和辞典』の編纂という大事業にまつわる話と、明治、大正、昭和という時代の中で人々がどう生活していたのかということの断面を見ることが出来るという点で、本書は重層的な面白さを持っていると思う。


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1 コメント

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謝々 (通りすがり)
2018-02-11 17:07:05
「大漢和辞典」に時々お世話になっている者です。
こちらで「漢文のすゝめ」を教わり、今朝からで、読み易く半分程読み進んでおります。p89 には存じ上げている先生のお名前もあったりでした !
また改めて、ゆかりの舞台も確認出来たりで、愉しい読書になりそうです。
有難うございました。
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