東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

旧川越街道~板橋、練馬、和光~その十五(成増〈二〉)

2014-09-01 18:26:45 | 板橋区
さて、川越街道を先へと進もう。東武東上線成増駅の先は、白子川の谷へ向けた下り坂になる。ここでも新道が開かれて街道は様相を一変させている。武蔵野台地を白子川が削り取った谷は急峻で深いものになっているのだが、新道を開削するに当たって、台地の端に切り通しを造って傾斜を緩やかにして道路を造り出している。その坂の上で、再び旧道と新道は別れる。左側が新道で、右側が旧道である。


新道の様子。右側の上を旧道が通っている。


旧道沿いは、仕舞た屋になっている感じの商店であった雰囲気の建物が数軒並ぶ。成増駅にも近い所なので、マンション建設なども盛んに行われている。


旧道を進むと、新道との高低差が段々大きくなっていく。旧道沿いはこんな感じ。いかにも旧街道といった雰囲気はない。


途中で道路の反対側に渡れる橋が架けられている。その上から新道を見たところ。埼玉方面を見ている。


そして、旧道も下り坂にかかる。路面には滑り止めの舗装が施されている。


ほぼ下りきった辺り、新道と旧道の間のスペースに小さな祠が置かれている。
「新田坂の石造物郡
 この案内板の前の坂道は、江戸時代の川越街道です。板橋宿の平尾(板橋三丁目)で中山道と分かれた川越街道は、上板橋や下練馬の宿を経て川越城下へ通じていました。街道はこの付近で白子川の作る谷へ下りるために急坂となり、新田坂と呼ばれていました。ここに保存されている石造物四基は、新田坂周辺から集められたものです。道祖神は、区内唯一のもので、文久三年(一八六二)に建立されました。もともとは、八坂神社の入口付近にありました。常夜燈は、文政十三年(一八三〇)に建立されたもので、成増二丁目34番地の角に立っていたようです。「大山」と刻まれていることから道標も兼ねていたのでしょう。川越街道と別れて南へ向かう道は、土支田方面へ通じていました。稲荷の石祠と丸彫りの地蔵は造立年代は不明ですが、どちらも大切に保存されています。昭和五十九年度、四基の石造物は区の有形文化財に登録されました。
 平成十一年三月 板橋区教育委員会」


まずあるのは、丸彫りの地蔵。今も大事にされている様子。


そして、常夜燈。成増二丁目34番地の角というのは、この少し先の辺りと思われる。


常夜燈の支柱には、「大山、石尊大権、大天狗、小天狗」と彫られている。


小さな石の祠。


そして、道祖神。自然石に道祖神と文字が彫られている。



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