東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

川越街道補完編(十九)上板橋から本蓮沼へ

2016-01-24 19:22:18 | 板橋区
さて、川越街道よりも北側、東武東上線上板橋駅の先の踏切を越えていくと、突き当たりのように細い道に出る。見回すと、幾つもの細い道が集まっている。古くからの道が二股に分かれるところでもあったようだ。


その分岐点に庚申塔が祀られている。「かみなか庚申塔」というらしく、1803年のもの。子育て、交通安全祈願という今風の願掛けをされている。


小さな祠が、この一角に置かれているのも、どこか面白い雰囲気。この部分だけが周辺の宅地化された町から取り残されているかのようにも見える。

比較的シンプルな文字の刻まれているもの。新田、中台村講中とある。足下は見えないが、三猿があるのだろう。


そこから、北東方向にずんずん進んでいく。しばらく進んでいくと、先に首都高の高架橋が見えてくる。川が暗渠化された道の上に高速道路が造られたという、良くあるパターン。前野町の熊野神社の裏手に、木の茂る一角がある。なんだろうと思って、近づいてみた。


丁度、ホームセンターの前で、たまに買い物に来るとことなのだが、見落としていたところ。


不動明王遷修記念碑とある。中前野講中と彫られている。不動明王だから、神社というわけではなくて、信仰する人達で大事に祀ったということだろうか。


石灯籠には、豊島区雑司が谷町三丁目とある。


富士塚のように、火山性の石を積み上げて石造を祀っている。


不動明王像。参詣する人がそれなりに多いことが窺える。地元で大事にされているのだろう。


そして、高速道路の下を潜って、中仙道に向けて登っていく。途中で、道端に庚申塔。これもシンプルなものだけど、道標にもなっているもの。


富士大山道、新井薬師道とある。大山詣りは昔から盛んだったようだし、富士山も冨士講の盛り上がりを見れば、重要であったことも分かる。その上、新井薬師というのも、存在感が大きかったのだなと言うわけである。


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4 コメント

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お元気ですか (sadomaru)
2016-04-14 06:04:12
板橋在住の愛読者です。
克明な記録を楽しみにしています。
このところ3か月もの間、更新されていませんが、体調を崩されたのでしょうか、案じています。
一日も早い再開を望んでいます。
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ありがとうございます。 (kenmatsu-fs)
2016-04-14 22:05:55
昨年来、生活パターンが仕事の都合で変わったことなどで、なかなかブログのために避ける時間が限られてしまうようになりました。そのため、新しい取材なども滞りがちで、更新が出来ていません。
拙いブログを楽しみにして戴き、その上ご心配までして戴き、申し訳なく、ありがたく思います。
一通り、興味のあるところは歩き尽くした感もあるので、また違った切り口で再開できるよう、頭を絞ってみようと思います。今少し時間が掛かるとは思いますが、再開できる日をお待ち下さい。
ありがとうございます。
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再開を楽しみに (やま)
2016-05-02 21:30:00
お元気そうで安心いたしました、東京北区生まれで埼玉在住の一読者です。
非常に興味深い内容を毎回アップして下さり楽しみにさせていただいていました。
貴ブログおかげで町並みの今昔や路傍の庚申塚に興味を持ち、街歩きの楽しみ増えました。感謝しております。
新たな切り口で再開される予定とのこととても楽しみにしております。
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ありがとうございます。 ( kenmatsu-fs)
2016-05-05 15:36:06
やま様
過分なお言葉で、恐縮です。
再び御期待に添えるかどうか、自分で楽しめる形を見つけたいと思っております。
よろしくお願い致します。
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