東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

中央区の銅板貼り建築~その三

2014-10-12 18:45:34 | 中央区
中央区の銅板貼り建築、今回は八丁堀、新富町、入船、湊、そして佃嶋、月島とまとめてみた。八丁堀周辺は再開発が進行していて、ほかにも残されていた建物があったのだが、撮影しないままになっている。今の時点でどれだけ残っているのか、かなり心許ない。新富町はバブル期以降に町中ビル化が進んで、相当に様相が変わってしまった。入船も同様で、湊は一番バブルという時代に傷付けられた町だと思う。爪痕がそのままに残っているという点では、湊を歩くと心が痛む。佃にしても、一番元からの佃島エリアは比較的変化が少ないのだが、新しく(といっても明治以降だが)埋め立てられたエリアはマンションの林立する町になってしまった。月島も同様である。
八丁堀の路地に残る銅板貼りの店舗。既に営業はしていない。かつてはその先の並びが食堂だった。八丁堀三丁目。


新富町周辺もかつては木造家屋は多く、生活感のある町だったのだが、今はオフィスビルが建ち並ぶ町に変貌した。カレーハウス・アイチヤ。新富町一丁目。


典型的なマンサード屋根の見本のような看板建築。井筒屋という文字看板が見える。三階建ての様だが、屋根裏部屋であるというのが形の上で直ぐに分かる。かつては数多く、このスタイルの建物があったのだが、今では数少ない。新富町二丁目。


新大橋通を越えて、入船へ。この辺りも、かつては印刷関係の町工場と、築地に関連した水産加工の町工場があった町だったのだが、今はどちらも数少ない。銅板貼り建築だが、建物自体はそれ以前の出桁造りの系統という感じで、重厚な造り。リフォームしてモルタル仕上げにしたものと思うが、上手くアップデートして大事に使われている様に見える。角地なので、側面にも窓があるのが表情豊か。入船一丁目。


隣接して湊二丁目がある。これも出桁造りの計棟で正面に銅板を貼った家。屋根上に換気様の飛び出しがあるのが珍しい。側面の最上部にも明かり取りの窓が開けられている。撮影時点で無住になっているように見える。撮影は2010年だが現在は取り壊されており、現存しない。湊二丁目。


隅田川に近い湊一丁目。日本不動産株式会社の文字看板が見える。大振りな木造二階家で、会社用に建てられて使われてきたものの様だ。1980年代に撮影した時から変わらずにある。湊一丁目。


その向かい側、銅板貼りの看板建築である。これも2010年撮影。建物は現存しているが、大幅なリフォームが施されており、同じ建物とは分からないくらいに変化している。湊二丁目。


生活感のある路地。植木が並んでいるのが、下町らしい雰囲気。


湊というよりは、元々の鉄砲洲であったエリアが一番バブルの爪痕が生々しく残されているところである。今も虫食い上に町が食い荒らされたように駐車場になっている。そんな中では数軒まとまって街並みを維持しているところの一角。銅板貼りの二階家。湊二丁目。


この並びは1980年代からあまり変わっていない。酒屋の岡商店も当時から変わらず営業されている。湊二丁目。


そして、隅田川を越えて佃へ。清澄通りから入った所。中島商店の文字看板が見える。その上には小さな文字で、石油、油脂、雑貨と書かれている。佃二丁目。


その向かい側には、酒屋の爽庫として使われている銅板貼りの看板建築。店舗として使われていないお陰で、かえって引き戸などは昔のままの雰囲気がよく残っている。佃二丁目。


これは銅板貼り建築ではないのだが、この辺りに残る昔ながらの建物だった。1982年に営業している頃にも撮影したことのある建物だが、東日本大震災で傷んだようで心配していたが、取り壊されてしまった。今は更地になっている。佃二丁目。


清澄通り沿いの茶月。月島もバブル期の荒波を受けて街が大きく変わった。銅板貼り建築も数少なくなっている。月島四丁目。


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