『東京・遠き近く」の最近取り上げてきた分で触れられていた鏑木清方の随筆を、読んでみようと思い立った。清方は明治11年の生まれで、昭和47年に93歳で亡くなられた日本画家。美人画、それも風景を伴ったような情景の中で描いた作品が多く、明治の古き良き東京の姿を描いたことでも知られる人である。そして、このブログでは「東京・遠き近くを読む(21)築地明石町を読む」から「東京・遠き近くを読む(24)鉄砲洲を読 . . . 本文を読む
たまたま読んでいた「北区郷土史二」北区の歴史を考える会編という本の中に、「近代における建物の変遷・東京も町屋の移り変わり」山口隆太郎著という一項があり、そこで明治からの東京の建築規制の変遷について書かれていた。ちょうど、前回に神田須田町の柏山邸のイベントについて掲載して、その建築時期について書いたところでもあり、丁度いいタイミングで参考になる件なので、ここにその部分だけ要約しておこうと思う。
東 . . . 本文を読む
前回に引き続き、「日本橋魚河岸物語」尾村幸三郎著青蛙房刊を紹介してきたい。描かれている町の姿と本の内容を合わせてというのも、なかなか難しい。本の中身については、是非一読されることをお勧めしたい。都内の区立図書館ならば蔵書されている可能性が高い様に思う。
本書の内容は以下の通り。
日本橋魚河岸物語目次
序章 魚河岸小史
一、魚河岸誕生まで 二、魚問屋発生記 三、魚問屋発達の経路 四、魚河岸反抗 . . . 本文を読む
今回は、関東大震災まで日本橋にあった魚河岸のことを書き記した本、「日本橋魚河岸物語」尾村幸三郎著青蛙房刊を取り上げてみる。今では、築地からの移転が注目される魚河岸だが、関東大震災までは日本橋にあった。関東大震災で焼失した機会に築地へ移転したのだが、江戸時代以来、町の中心にあった存在でもあった。江戸っ子気質というものが出来上がっていく中で、町の中心に魚河岸があったことは、やはり大きな意味合いがあった . . . 本文を読む
さて、今回はいつもと少し趣が異なるかも知れない。駒村吉重著の「君は隅田川に消えたのか~藤牧義夫と版画の虚実」講談社刊という一冊、そして藤牧義夫という人について、少し。
発端は先日の日曜日のことだった。夕食を終えてテレビをぼんやりと眺めていると、家人の変えたチャンネルがNHKのEテレ、教育テレビだった。日曜美術館という番組が始まった。普段なら食事も終わったからといって、ふっと席を立つところだった . . . 本文を読む
ブラタモリのネタ本になっている様だというところから、「幻の東京赤煉瓦駅」中西隆紀著平凡社新書刊を読んでみた。この本は、新橋から万世橋に至る東京市内に建設された赤煉瓦の高架鉄道を追うことで、明治期の東京の姿に迫ろうという労作である。多くの資料に当たって解き明かされていく話を、読んでいくのは楽しい。
明治5年の新橋~横浜間の鉄道開通以来、大正という時代を迎えるまで東海道方面の玄関口は新橋のままであ . . . 本文を読む
東日本大震災があったこともあり、この本も改めて注目されているようだ。「東京灰燼記」大曲駒村著中公文庫刊なのだが、これも今は絶版になっている。著者の大曲駒村(くそん)は川柳の研究家であり、俳句の世界で功績を残した人物である。明治15年に福島県の相馬で生まれた。昭和18年に亡くなっている。
その駒村が、関東大震災に遭遇し、その後の様子に至るまで彼が見聞した様を子細に書き残した記録がこの本である。地 . . . 本文を読む
さて、今回は書籍の紹介。池の端界隈~木村東介著青英舎刊を取り上げてようと思う。著者は非常にユニークな人物である木村東介で、湯島の羽黒洞の主人といえば、分かる人には分かる人物でもある。湯島の羽黒洞は、このブログの初期に文京区湯島の回に登場している。
羽黒洞は民俗美術商というほかにない存在なのだが、それには主人の木村東介という人物の強烈なキャラクターが大きな意味合いを持っている。明治34年山形の生 . . . 本文を読む
さて、大正っ子シリーズの紹介も今回が最後。大正・雑司ヶ谷~森岩雄著青蛙房刊である。このシリーズの面白い所は、旧江戸市中のエリアばかりではなく、こういった大正期に郊外から都市部へと変貌を遂げていったエリアについてもきちんと取り上げているところだと思う。今回の雑司ヶ谷は池袋にほど近く、変貌振りも大きなところである。それだけに面白いと思う。著者の森岩雄は、東宝の映画プロデューサーであり、脚本家であり、評 . . . 本文を読む
さて、今回は東京の裏面史というべきか、明治東京のスラムのレポート、「最暗黒の東京」松原岩五郎著岩波文庫刊を取り上げようと思う。
大抵のことでは驚かなくなりつつあるが、この本も目下絶版のようだ。この本は、二葉亭四迷の影響を受けて仮想社会の探訪を始めた著者が、明治中期の東京のスラムへと潜入してものにしたルポルタージュである。この当時の東京のスラムといえば、芝新網町に四谷鮫ヶ橋、下谷万年町が知られた . . . 本文を読む