私の底について考えてみた。
確かに、こうして自分探しを始めたきっかけは別居だったけれど、自分にとっての底かというと、違う気がする。
まぁ、旦那との関係に対しては、底だったとは思うけれど・・・・・
もっと前、長男を出産する前・・・・・・
2回の流産を繰り返し、旦那の女遊び、単身赴任。
あの頃、どん底だった。
でも、マヒして、痛みすら感じにくくなっていたけれど。
長男を妊娠中に、今の仕事が足がかりになった。
産後も次女を卒園させる為に、自営の形を取ることを決心した。
でも、結局、仕事も舞い込み、講師の仕事も得た。
その中で、少しずつ自信を得て、変わっていったのかもしれない。
それまでは、理不尽な旦那に対しても、それなりに従っていたし、どんなに疲れていても、旦那よりも早く起き、送り出した。
化粧もせず、お洒落もせず、旦那の為に、子どものためにと身を粉にしていた。
その中で、少しずつ変わり始めた。
仕事のためではありながら、アクセサリーを身に付け、化粧もした。
アクセサリーに似合う、服も買った。
褒められることは苦手で、居心地も悪かったけれど、褒め言葉にもありがとうと言えるようになった。
それと同時に、褒められるに値する人になりたいと思った。
「仕事してくれなんて言っていない。誰が食わしてやってるんだ」
仕事を辞めたとたん、強気になった旦那に対しても、
「これだけはやらせて」と反抗した。
「子どもが小さいんだから、辞めた方がいいんじゃないの?」
そういう母に対しても、
「これがあるから、私はやっていけるの。
これがなかったら、駄目になるかも・・・・」
そう言って、この仕事を守り続けた。
たぶん、この仕事があったから、仕事という逃げ場があったから、どんなに旦那にひどく当られても、耐えていけたのかもしれない。
心をズタズタに切り裂かれても、仕事をしている間は忘れることが出来たし、自分の感情から逃げることが出来た。
それは、ますます旦那をいらつかせた結果になったけれど・・・・
仕事をしながら、少しずつ育ってきた自尊心が、こんな目に合わせる旦那のほうがおかしいと、思わせてくれたのかもしれない。
そうでなかったら、旦那にいくら苛められても、暴言を吐かれても、暴力を振るわれても、女遊びしても、浪費しても、育児放棄されても、私が悪いのだと自分を責め続け、ますます自分を追い込んでしまっていたかもしれない。
友達と付き合うことも出来ず、家に閉じこもり、旦那と子どもの世話だけをして、ボロボロになっていたかもしれない。
でも、仕事は友達を作り、外との世界を広げてくれた。
デザインを考え、空想の世界にいることは私を助けてくれた。
今の仕事は、大切な宝物だったんだなと思う。
子どもの頃から、物を作り続けてきた。
それは、私にとっての依存行為だったかもしれないけれど、そうしていることが私に取って必要だったし、私を守ってくれていたんだなと思う。
私にそれを与えてくれたのは、母であり、父だった。
二人とも、物を作るのが大好きだった。
そして、母の嫌っていた祖父(母の父)もまた、絵を描いたり、その祖父を育てたという、そのまた祖父も、有名な石仏を彫ったと母から聞いた。
母が幼い頃、祖父(母の父)に聞いた話で、祖父は、これを彫るのを見ていたらしいが、真偽は不明。
誰が掘ったものかは明らかにされておらず「日本最古の磨崖仏」として、現在も調査中の石仏らしい。
ただ、母の話が本当であるとすれば、日本最古ではなくなってしまう。
この石仏には、昭和6年建立説があって、彫ったとされる人の名が母の旧姓と同じなので可能性は大きいと思う。
いずれにせよ、そうやって何かに打ち込むものを受け継がれ「生き甲斐」として与えられてきたのだろう。
機能不全であることも連鎖していたかもしれないが、そういう宝物も同時に受け継がれてきたのだろう。
私は、子ども達に宝物の部分だけ与えていきたいなぁ。
でも、それは逃げ場であったからこそ、一生懸命に磨かれてきたのかもしれない。
そう思うと、こうやって育ってきたことも、決して悪いことじゃないかもしれない・・・・・・・
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メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
確かに、こうして自分探しを始めたきっかけは別居だったけれど、自分にとっての底かというと、違う気がする。
まぁ、旦那との関係に対しては、底だったとは思うけれど・・・・・
もっと前、長男を出産する前・・・・・・
2回の流産を繰り返し、旦那の女遊び、単身赴任。
あの頃、どん底だった。
でも、マヒして、痛みすら感じにくくなっていたけれど。
長男を妊娠中に、今の仕事が足がかりになった。
産後も次女を卒園させる為に、自営の形を取ることを決心した。
でも、結局、仕事も舞い込み、講師の仕事も得た。
その中で、少しずつ自信を得て、変わっていったのかもしれない。
それまでは、理不尽な旦那に対しても、それなりに従っていたし、どんなに疲れていても、旦那よりも早く起き、送り出した。
化粧もせず、お洒落もせず、旦那の為に、子どものためにと身を粉にしていた。
その中で、少しずつ変わり始めた。
仕事のためではありながら、アクセサリーを身に付け、化粧もした。
アクセサリーに似合う、服も買った。
褒められることは苦手で、居心地も悪かったけれど、褒め言葉にもありがとうと言えるようになった。
それと同時に、褒められるに値する人になりたいと思った。
「仕事してくれなんて言っていない。誰が食わしてやってるんだ」
仕事を辞めたとたん、強気になった旦那に対しても、
「これだけはやらせて」と反抗した。
「子どもが小さいんだから、辞めた方がいいんじゃないの?」
そういう母に対しても、
「これがあるから、私はやっていけるの。
これがなかったら、駄目になるかも・・・・」
そう言って、この仕事を守り続けた。
たぶん、この仕事があったから、仕事という逃げ場があったから、どんなに旦那にひどく当られても、耐えていけたのかもしれない。
心をズタズタに切り裂かれても、仕事をしている間は忘れることが出来たし、自分の感情から逃げることが出来た。
それは、ますます旦那をいらつかせた結果になったけれど・・・・
仕事をしながら、少しずつ育ってきた自尊心が、こんな目に合わせる旦那のほうがおかしいと、思わせてくれたのかもしれない。
そうでなかったら、旦那にいくら苛められても、暴言を吐かれても、暴力を振るわれても、女遊びしても、浪費しても、育児放棄されても、私が悪いのだと自分を責め続け、ますます自分を追い込んでしまっていたかもしれない。
友達と付き合うことも出来ず、家に閉じこもり、旦那と子どもの世話だけをして、ボロボロになっていたかもしれない。
でも、仕事は友達を作り、外との世界を広げてくれた。
デザインを考え、空想の世界にいることは私を助けてくれた。
今の仕事は、大切な宝物だったんだなと思う。
子どもの頃から、物を作り続けてきた。
それは、私にとっての依存行為だったかもしれないけれど、そうしていることが私に取って必要だったし、私を守ってくれていたんだなと思う。
私にそれを与えてくれたのは、母であり、父だった。
二人とも、物を作るのが大好きだった。
そして、母の嫌っていた祖父(母の父)もまた、絵を描いたり、その祖父を育てたという、そのまた祖父も、有名な石仏を彫ったと母から聞いた。
母が幼い頃、祖父(母の父)に聞いた話で、祖父は、これを彫るのを見ていたらしいが、真偽は不明。
誰が掘ったものかは明らかにされておらず「日本最古の磨崖仏」として、現在も調査中の石仏らしい。
ただ、母の話が本当であるとすれば、日本最古ではなくなってしまう。
この石仏には、昭和6年建立説があって、彫ったとされる人の名が母の旧姓と同じなので可能性は大きいと思う。
いずれにせよ、そうやって何かに打ち込むものを受け継がれ「生き甲斐」として与えられてきたのだろう。
機能不全であることも連鎖していたかもしれないが、そういう宝物も同時に受け継がれてきたのだろう。
私は、子ども達に宝物の部分だけ与えていきたいなぁ。
でも、それは逃げ場であったからこそ、一生懸命に磨かれてきたのかもしれない。
そう思うと、こうやって育ってきたことも、決して悪いことじゃないかもしれない・・・・・・・
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