お母さんが不幸っぽい顔をしている。
お母さんが可哀想な人だから・・・・・・
というのが、「可哀想母の神話」だと言われました。
まさしくこれは私の思っていた母のイメージです。
「私はいらない子だった・・・・」
「私はいい子だった。」
私は、心のどこかでいつも母を助けなければいけないと思っていました。
そういう母の元で、娘が持ってしまうのが「根拠のない罪悪感」だと言われました。
この罪悪感は、まったく持つ必要のないもので、何もないのに、先に罪悪感を持ち、それに見合っただけの行動を引き起こしてしまうのだと言われました。
罪を犯したから罪悪感を持つのではなく、恥が先にあるのだと言われました。
母が不幸に見える
↓
罪悪感を持つ
↓
それに似合う問題を起こす
そして恥は性的なものであることが多いと言われました。
13歳くらいを境に、性的欲望というものを持つようになるのだと言われました。
初潮などを赤飯を炊くという伝統的なもので、その秘密を明らかにしてしまうのだと言われました。
私は、自分の生理が始まったことを母親に言えずにいました。
自分の想像と違っていて、何か病気になったのかもしれないと思い込んで、悩んでいました。
母親がそれに気付き、生理だと判ったのは、数ヵ月後のことでした。
欲望というものをどういう風に処理するかというと、年上の女性に憧れたりという対象愛に変えるのだと言われました。
まさに、私は中学1年生の時に、二つ年上の女性を好きになりました。
それまでは、同じクラスの男の子のことをなんとなく好きだったのに、女性に強く憧れ、自分はおかしいのかなと感じていました。
その後、私は性体験に対して興味を持ちました。
そういう体験を書かれた本を女の子同士で見ることが多くなりました。
その本を目にした母の感想は「気持ち悪い」でした。
母によると、そういう本を読むと気持ちが悪くなると言うことでした。
でも私は、その後、それと同じ経験をしてしまいました。
私の中で、罪悪感はますます大きくなりました。
それでも、抱きしめられること、セックスしている時は、相手が自分を大切にしてくれること、そこから離れられなくなりました。
私が、14歳でセックスを体験してしまったことは、色んな面で理にかなっていたのだなと思います。
一つ目は、性的欲望、興味を満たすため
二つ目は、自分の中にある罪悪感と均衡を保つため
三つ目は、自分の中にあった寂しさを埋めるため
何故、ひどい罪悪感を持ちながらも辞められないのか悩んでいたこともありました。
きちんとしたからくりがあったんだなぁと思いました。
悲しい顔をして娘を操作してしまうのが「毒リンゴ母」だと言われました。
かつて美人だということが条件なんだと言われ、笑ってしまいました。
私の母も、結構美人の部類に入ると思います。
「もっと太りなさい、拒食症児みたいだ。」
「眼鏡を掛けているくらいでちょうどいい。」
「胸が大きい女はバカに見える。」
母は、何の意味があって私にそんな言葉を掛けたのか判りません。
私は、もっと太りたいと思っていたし、自分を美しく見えるように化粧なんて出来なかったし、胸の目立たないメンズのDCブランドの服を着たり古着を着て、少年のような服装をしていました。
その母親から離れ、7人の小人と出会いその中から白馬の王子様が現れると言われました。
お母さんによって、満たされない愛は男の人によって与えられるのだと言われました。
間違っても、お母さんを失望させる道具として男の人を選ぶのではないと言われました。
私が選んだ男性は、いつも私だけを見てくれる人ではありませんでした。
最初から彼女がいたり、不倫だったり・・・・・・
その中で、私の罪悪感は、ますますひどくなりました。
私を大切にしてくれようとする男性を選び、自分をハッピーにしてくれる相手を選ぶのが大切なんだと言われました。
欲求と欲望は違うのだと言われました。
欲望は記憶なのだと、いつも傍にいなくても、その欲望で相手のことを大事に出来るのが成熟した女性なのだと言われました。
そういう意味では、傍にいないといつも寂しくて堪らない状態だったと思います。
欲望という記憶を発達させることが大事なんだと言われました。
一緒に過ごした時間を思い出して、温かい気持ちになるということ、それを楽しむことが出来ること、それを育てていきたいなと思っています。
母親は胎盤みたいなもので、いつまでも引きずって歩く必要はないのだと言われました。
私の中では、少しずつ距離を置くことが出来てるかなと思っています。
母への気持ちが、恨みに変わって、そしてまた今は、大切に思えるようになっています。
私の中で、かなり母に対して妄想なり、幻想を抱いていたのかなと思います。
今は、いい所も、悪い所も少しずつ切り離して考えられるかなと思います。
恨みの部分を、いい年になってぶつけてしまったところもあるけれど、それに対して母も少しずつ変わってきてくれています。
いい母・理想の母が、そうではない母に変わり、その中で、やっぱりいいお母さんだったと思えることが嬉しく思います。
母のことを恨んでしまった時は、罪悪感を抱いてしまったけれど、私の中で母をもう一度認めることが出来た時から、私の中の罪悪感は少しずつ無くなってきたように思います。
私も、二人の娘を持つ身。
考えさせられました。
「いい母親でなければいけない」と考えた時点で、囚われているのだと言われました。
そういうことは考えなくてもいいのだと・・・・・
うーん、やっぱり難しいです。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
お母さんが可哀想な人だから・・・・・・
というのが、「可哀想母の神話」だと言われました。
まさしくこれは私の思っていた母のイメージです。
「私はいらない子だった・・・・」
「私はいい子だった。」
私は、心のどこかでいつも母を助けなければいけないと思っていました。
そういう母の元で、娘が持ってしまうのが「根拠のない罪悪感」だと言われました。
この罪悪感は、まったく持つ必要のないもので、何もないのに、先に罪悪感を持ち、それに見合っただけの行動を引き起こしてしまうのだと言われました。
罪を犯したから罪悪感を持つのではなく、恥が先にあるのだと言われました。
母が不幸に見える
↓
罪悪感を持つ
↓
それに似合う問題を起こす
そして恥は性的なものであることが多いと言われました。
13歳くらいを境に、性的欲望というものを持つようになるのだと言われました。
初潮などを赤飯を炊くという伝統的なもので、その秘密を明らかにしてしまうのだと言われました。
私は、自分の生理が始まったことを母親に言えずにいました。
自分の想像と違っていて、何か病気になったのかもしれないと思い込んで、悩んでいました。
母親がそれに気付き、生理だと判ったのは、数ヵ月後のことでした。
欲望というものをどういう風に処理するかというと、年上の女性に憧れたりという対象愛に変えるのだと言われました。
まさに、私は中学1年生の時に、二つ年上の女性を好きになりました。
それまでは、同じクラスの男の子のことをなんとなく好きだったのに、女性に強く憧れ、自分はおかしいのかなと感じていました。
その後、私は性体験に対して興味を持ちました。
そういう体験を書かれた本を女の子同士で見ることが多くなりました。
その本を目にした母の感想は「気持ち悪い」でした。
母によると、そういう本を読むと気持ちが悪くなると言うことでした。
でも私は、その後、それと同じ経験をしてしまいました。
私の中で、罪悪感はますます大きくなりました。
それでも、抱きしめられること、セックスしている時は、相手が自分を大切にしてくれること、そこから離れられなくなりました。
私が、14歳でセックスを体験してしまったことは、色んな面で理にかなっていたのだなと思います。
一つ目は、性的欲望、興味を満たすため
二つ目は、自分の中にある罪悪感と均衡を保つため
三つ目は、自分の中にあった寂しさを埋めるため
何故、ひどい罪悪感を持ちながらも辞められないのか悩んでいたこともありました。
きちんとしたからくりがあったんだなぁと思いました。
悲しい顔をして娘を操作してしまうのが「毒リンゴ母」だと言われました。
かつて美人だということが条件なんだと言われ、笑ってしまいました。
私の母も、結構美人の部類に入ると思います。
「もっと太りなさい、拒食症児みたいだ。」
「眼鏡を掛けているくらいでちょうどいい。」
「胸が大きい女はバカに見える。」
母は、何の意味があって私にそんな言葉を掛けたのか判りません。
私は、もっと太りたいと思っていたし、自分を美しく見えるように化粧なんて出来なかったし、胸の目立たないメンズのDCブランドの服を着たり古着を着て、少年のような服装をしていました。
その母親から離れ、7人の小人と出会いその中から白馬の王子様が現れると言われました。
お母さんによって、満たされない愛は男の人によって与えられるのだと言われました。
間違っても、お母さんを失望させる道具として男の人を選ぶのではないと言われました。
私が選んだ男性は、いつも私だけを見てくれる人ではありませんでした。
最初から彼女がいたり、不倫だったり・・・・・・
その中で、私の罪悪感は、ますますひどくなりました。
私を大切にしてくれようとする男性を選び、自分をハッピーにしてくれる相手を選ぶのが大切なんだと言われました。
欲求と欲望は違うのだと言われました。
欲望は記憶なのだと、いつも傍にいなくても、その欲望で相手のことを大事に出来るのが成熟した女性なのだと言われました。
そういう意味では、傍にいないといつも寂しくて堪らない状態だったと思います。
欲望という記憶を発達させることが大事なんだと言われました。
一緒に過ごした時間を思い出して、温かい気持ちになるということ、それを楽しむことが出来ること、それを育てていきたいなと思っています。
母親は胎盤みたいなもので、いつまでも引きずって歩く必要はないのだと言われました。
私の中では、少しずつ距離を置くことが出来てるかなと思っています。
母への気持ちが、恨みに変わって、そしてまた今は、大切に思えるようになっています。
私の中で、かなり母に対して妄想なり、幻想を抱いていたのかなと思います。
今は、いい所も、悪い所も少しずつ切り離して考えられるかなと思います。
恨みの部分を、いい年になってぶつけてしまったところもあるけれど、それに対して母も少しずつ変わってきてくれています。
いい母・理想の母が、そうではない母に変わり、その中で、やっぱりいいお母さんだったと思えることが嬉しく思います。
母のことを恨んでしまった時は、罪悪感を抱いてしまったけれど、私の中で母をもう一度認めることが出来た時から、私の中の罪悪感は少しずつ無くなってきたように思います。
私も、二人の娘を持つ身。
考えさせられました。
「いい母親でなければいけない」と考えた時点で、囚われているのだと言われました。
そういうことは考えなくてもいいのだと・・・・・
うーん、やっぱり難しいです。
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