私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

ワークショップ2 罪悪感-母との関係-

2006-05-14 23:11:46 | カウンセリング
お母さんが不幸っぽい顔をしている。
お母さんが可哀想な人だから・・・・・・
というのが、「可哀想母の神話」だと言われました。

まさしくこれは私の思っていた母のイメージです。
「私はいらない子だった・・・・」
「私はいい子だった。」
私は、心のどこかでいつも母を助けなければいけないと思っていました。

そういう母の元で、娘が持ってしまうのが「根拠のない罪悪感」だと言われました。
この罪悪感は、まったく持つ必要のないもので、何もないのに、先に罪悪感を持ち、それに見合っただけの行動を引き起こしてしまうのだと言われました。
罪を犯したから罪悪感を持つのではなく、恥が先にあるのだと言われました。

母が不幸に見える
   ↓
罪悪感を持つ
   ↓
それに似合う問題を起こす

そして恥は性的なものであることが多いと言われました。

13歳くらいを境に、性的欲望というものを持つようになるのだと言われました。
初潮などを赤飯を炊くという伝統的なもので、その秘密を明らかにしてしまうのだと言われました。

私は、自分の生理が始まったことを母親に言えずにいました。
自分の想像と違っていて、何か病気になったのかもしれないと思い込んで、悩んでいました。
母親がそれに気付き、生理だと判ったのは、数ヵ月後のことでした。

欲望というものをどういう風に処理するかというと、年上の女性に憧れたりという対象愛に変えるのだと言われました。
まさに、私は中学1年生の時に、二つ年上の女性を好きになりました。
それまでは、同じクラスの男の子のことをなんとなく好きだったのに、女性に強く憧れ、自分はおかしいのかなと感じていました。

その後、私は性体験に対して興味を持ちました。
そういう体験を書かれた本を女の子同士で見ることが多くなりました。
その本を目にした母の感想は「気持ち悪い」でした。
母によると、そういう本を読むと気持ちが悪くなると言うことでした。

でも私は、その後、それと同じ経験をしてしまいました。
私の中で、罪悪感はますます大きくなりました。
それでも、抱きしめられること、セックスしている時は、相手が自分を大切にしてくれること、そこから離れられなくなりました。

私が、14歳でセックスを体験してしまったことは、色んな面で理にかなっていたのだなと思います。
一つ目は、性的欲望、興味を満たすため
二つ目は、自分の中にある罪悪感と均衡を保つため
三つ目は、自分の中にあった寂しさを埋めるため

何故、ひどい罪悪感を持ちながらも辞められないのか悩んでいたこともありました。
きちんとしたからくりがあったんだなぁと思いました。


悲しい顔をして娘を操作してしまうのが「毒リンゴ母」だと言われました。
かつて美人だということが条件なんだと言われ、笑ってしまいました。
私の母も、結構美人の部類に入ると思います。
「もっと太りなさい、拒食症児みたいだ。」
「眼鏡を掛けているくらいでちょうどいい。」
「胸が大きい女はバカに見える。」
母は、何の意味があって私にそんな言葉を掛けたのか判りません。

私は、もっと太りたいと思っていたし、自分を美しく見えるように化粧なんて出来なかったし、胸の目立たないメンズのDCブランドの服を着たり古着を着て、少年のような服装をしていました。

その母親から離れ、7人の小人と出会いその中から白馬の王子様が現れると言われました。
お母さんによって、満たされない愛は男の人によって与えられるのだと言われました。
間違っても、お母さんを失望させる道具として男の人を選ぶのではないと言われました。

私が選んだ男性は、いつも私だけを見てくれる人ではありませんでした。
最初から彼女がいたり、不倫だったり・・・・・・
その中で、私の罪悪感は、ますますひどくなりました。

私を大切にしてくれようとする男性を選び、自分をハッピーにしてくれる相手を選ぶのが大切なんだと言われました。
欲求と欲望は違うのだと言われました。
欲望は記憶なのだと、いつも傍にいなくても、その欲望で相手のことを大事に出来るのが成熟した女性なのだと言われました。

そういう意味では、傍にいないといつも寂しくて堪らない状態だったと思います。
欲望という記憶を発達させることが大事なんだと言われました。
一緒に過ごした時間を思い出して、温かい気持ちになるということ、それを楽しむことが出来ること、それを育てていきたいなと思っています。

母親は胎盤みたいなもので、いつまでも引きずって歩く必要はないのだと言われました。
私の中では、少しずつ距離を置くことが出来てるかなと思っています。
母への気持ちが、恨みに変わって、そしてまた今は、大切に思えるようになっています。
私の中で、かなり母に対して妄想なり、幻想を抱いていたのかなと思います。

今は、いい所も、悪い所も少しずつ切り離して考えられるかなと思います。
恨みの部分を、いい年になってぶつけてしまったところもあるけれど、それに対して母も少しずつ変わってきてくれています。

いい母・理想の母が、そうではない母に変わり、その中で、やっぱりいいお母さんだったと思えることが嬉しく思います。
母のことを恨んでしまった時は、罪悪感を抱いてしまったけれど、私の中で母をもう一度認めることが出来た時から、私の中の罪悪感は少しずつ無くなってきたように思います。

私も、二人の娘を持つ身。
考えさせられました。
「いい母親でなければいけない」と考えた時点で、囚われているのだと言われました。
そういうことは考えなくてもいいのだと・・・・・
うーん、やっぱり難しいです。



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ワークショップ1 オープンカウンセリング

2006-05-14 20:25:56 | カウンセリング
二日間、斎藤学先生のワークショップに参加してきました。
その中で、自分なりに整理した感情を何度かに分けて書いていきたいと思います。

自己紹介の中で、私は、8年前に仕事をしながら家に帰られなくなったこと、6年前に起きられなくなって仕事を休んだこと、昨年の8月から問題行動のある旦那と別居したことなどを話しました。
抑うつ感が強くなって来て少しでも楽になれたらと思って参加しましたと話しました。

それに対して、「楽にならないと思うよ・・・・。」と先生。
混乱し悩みが深まるのがセラピーであり、宙吊りであることを確認するのがセラピーだと言われました。

なるほどなと思ってしまいました。
私は、カウンセリングを受ければ受けるほど、自分の問題が掘り出されていくし、今まで無意識に色々と行動していたことが、浮き彫りにされてきました。
楽になれると思っていたことが間違いだったのかもしれません・・・・・

みんなの前で、自分の問題点を話していくオープンカウンセリングを、今回は是非受けてみようと思っていました。
他の方の、カウンセリングを聞きながら、実にそれは自分の問題点が浮き彫りにされているような気がしました。
話を聞きながら、自分の話をされているのかと思うこともありました。

でも、いざ自分の番が回ってくると、緊張のあまりトイレに行きたくなりました。
この行きたいというのも、どちらかというと脅迫的です。
行かないとここで漏らしてしまうかもしれないという思いが、押し寄せてきて、行かなければならない気持ちにさせます。
この気持ちは、時々私を襲ってきます。
普段は、朝と寝る前にしかトイレに行かないくらい、トイレが遠いのに、行ったばかりであっても、その思いに囚われてしまいます。

結局、トイレに行く機会もなく、そのままカウンセリングを受けました。
何が問題なのかよくわからないけれど、抑うつ感が訪れてしまうこと。
抱きしめられたいという気持ちが常に心の中にあること。
14歳の時に、性交渉をしてからずっとそういう環境に身を置いて来たこと。
この人なら私を幸せにしてくれると思って、結婚したことを話しました。

先生「結婚してからは、不倫はしていないの?」

私「テレクラとか、チャットはしたことがあるけれど、実際にはありません。」

先生「そういう欲求は実際に体験しなくてもいいよ。」

私「抱きしめられたいという欲求はあるけれど、セックスしたいわけではないし、逆に好きな人ではないとセックスは出来ないことがわかっているから、誰かとセックスしたいとは思わない。」

先生「そういう関係の人を17歳から57歳くらいまで5・6人、傍において置けばいいんじゃないの?」

私「時々、自分がとても嫌で、消えてしまいたくなるんです。」

先生「消えればいいじゃない・・・・」

私「時々、出張で家を離れることがあって、そうしたら家に帰らずに、今までの自分を捨てて違う自分を生きてみたくなります。」

先生「出張とかじゃなくて、他の目的で消えてみればいいんじゃないの?」

私「自営なんで、そういう意味では、仕事以外にカウンセリングを受ける目的で東京に行っているかもしれません。」

先生「誰にカウンセリング受けてるの?」

私「○○先生。」

先生「○○はいい男でしょ。○○に貼り付いちゃえばいいんだよ。」

私「実は、かなり依存しているみたいで、これでいいのかななんて思っているところもあるのですが・・・・」

先生「夢には出てこないの?」

私「出てきません。二度しか会っていないし、そこまで顔を覚えていないし・・・・」

先生「写真貰えば?で、時々、今月の写真とか映像を送ってもらえばいいんだよ。」

なんだか、結局、今自分の色々と感じている問題点に辿り着かされてしまいました・・・・・。
抱きしめられたいという思いや、依存したい気持ちは、アナログである必要はないと、デジタルでもいいのだと・・・・・。

その場では、なんとなく納得したのですが、私の中では、駄目な自分を見せることが恥ずかしかったり、カウンセリングに依存することで重いと感じられたくないこと、今までの恋愛において、自分が好きになったら相手から嫌われてしまうと思っていたこと、どこまで張り付いてしまったもいいものか考えてしまいました。
相手が遊んでいる人なら、自分も遊んでいるふりを、一生懸命仕事に取り組んでいるのなら、一生懸命頑張る様を見せていくことしか出来ずにいました。

斎藤先生の言われる、貼り付くというのは、貼り付いて適当な距離感を保つことを学ぶことなのか尋ねてみました。
結局、そうしたところでどうしようもないんだって気が付くことが大事なんだと言われました。
そうしているうちに、他でもそういう関係が築けていけるからと言われました。
「17歳くらいの若い男の子を見つけて関係を持ってみるのもいいよ・・・・」
先生の仰る極論。
本気で受け取っていいものか・・・・・?

でもカウンセラーとの関係は、そういうものなんだと、そうやって自分を育てていくものなんだなと思いました。
今まで、カウンセラーにしがみつきたい気持ちが強かったのですが、前回のカウンセリングで気持ちを汲んでいただいてからは、そのしがみつきが薄れていったように思います。
それと同時に抱きしめられたいという気持ちも消えていました。

カウンセラーからも、
「男性でも身体の関係だけを求めずに、関係を保てる人がいる人がいるから、そういう人と付き合っていけばいいんじゃないの?」と言われました。
そういう意味では、今、時々メールを交わしているKさんとの関係がそうなのかもしれないなと思いました。

カウンセリングを受けて、特に新しいことを指摘されたわけではありません。
でも、今、本当にこれでいいのかなと思っていたことを踏みしめていただいたのかなと思います。
斎藤先生の、必要な情報を求め、不必要な情報を切っていく様は、見事でした。
服装や、声のトーン、その人の手の動き、それらすべてが情報なのだと仰っておられたのですが、最初の問題定義とそれらの情報で、すべてを読み取られしまった気がします。

私は、座った時すぐに、10歳くらい若く見えることを指摘されました。
後で思ったのですが、8年前の私は今よりもずっと老けて見えていたかもしれないなと思います。
化粧もせず、お洒落を楽しむことも出来ず、罪悪感で自分を縛り付けることしか出来ずにいました。

それからの8年間は私にとって変革時期だったかもしれません。
鬱になり、仕事を辞め、今の仕事に辿り着きました。
もしかしたら、あの頃が底で、もう一度その時から生き直しをしたいと思っているのかなと思いました。
まだまだ、この部分は、もっと後になって明確になってくるのかなと思いました。




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