私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

恋愛2

2006-05-21 23:27:30 | 日々つれづれ
一つ前の記事を書くと、フラッシュバックって言えばいいのかなぁ、過去の感情が蘇って苦しくなった。
一人、お風呂の中でボロボロ泣いた。
今、そんな気持ちじゃなかったのに、寂しくって辛かったあの頃を思い出して、涙がこぼれた。

子ども達を寝かせて、同じ時期に、恋愛ではなく心の吐き出しをしていたノートを見ながら、尾崎豊の「壊れた扉から」を聞いている。

あの時のコンサートツアーで、私は2列目で、いつもならどんなことが合ったって、もう一人の自分が冷ややかに私を監視しているのに、その時ばかりは、もう無我夢中で酔いしれて、我を忘れて踊りまくって乗りまくってたなぁ・・・・・
私が、ライブハウスに通うようになったのは、それからだったかもしれない。
ライブで音楽に身を任せている時が、唯一、自分から逃げられたのかもしれない。

なんだか、タバコが吸いたくなった。
ライブハウスでは、いつもタバコを吸っていた。
私がタバコを吸うのは、ライブハウスか、バス停からの帰り道か、深夜だった。
友達の前では、吸うこともなかったし、そうする場所もなくなって、今はまったく口にしていないけど。

以前、自分の居場所だったのかもしれないって書いたことがあったけれど、自分から逃げられる方法だったのかもしれない。
死にたいって思うのは、嫌なことから逃れたいためでも、誰かから逃げたいわけでもなくて、自分から逃げ出したいからって、思ったことがある。

私は、こうやって自分から逃げ出していたんだなと思う。
そして、そこでは違う自分を演じていたから。
たぶん、きっと私の消えてしまいたい思いは、そうすることで満たされていたのだろう。

無くなってしまいたい。
そんな風にカウンセラーに話したことがあるけれど、あの頃も、今までの人生すべてリセットして、新しい自分に生まれ変わりたいと思っていたのではないか。
シュルシュルと溶けて無くなってしまいたい。
そんな願望は、心の中に宿り続けてる。

この想いを胸の痛みは、ずっと心から消えないのだろうか?
上手く付き合っていくしかないのだろうか?
恋してその人に依存し続けることで、この胸の痛みは恋愛によるものだとずっと思っていた。
本当は、痛みの方が先にあったのに……

斎藤先生のワークショップで、罪悪感が先にあって、それに似合うだけの罪を犯すと言われていたけれど、胸の痛みも同じだ。
みぞおちにいつも何かが詰まっているそんな感覚。
それは、小学1年生の時から合ったはず……
しょっちゅう胃が痛いって、保健室へ行っていたもの。

その痛みに似合うだけの、悲しい出来事を味わってきたのかなぁ。
悲しい状況に、わざと身を置いてきたのかなぁ。
嫌だな、そんなの。
それよりも、痛みを忘れてしまう夢中になっているほうを選択したいなぁ。
いや、それも同じか。結局はそれに依存していることになるかな。

どうすれば痛みから解放されるんだろう。
諦めることかなぁ。
これが私って思うことかなぁ。
痛みと共存することかなぁ。



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