螺髪(らほつ)に群青色が残る釈迦如来像
久しぶりに「木喰五智館」に出かけた。遠来から客が来ると、案内する場所のひとつだ。ただ、今回はじっくり見るために独りで出かけた。
もう10年以上も前、友人が鹿児島出身の画家を、野の苑につれてきた。宮崎にはほとんど興味はないようだったが、丸1日使って私のおすすめスポットを案内した。1日といっても、使える時間は約6時間ほど。案内したのは、佐土原人形工房、西都原、綾の照葉樹林の3カ所。宮崎のエキスと勝手に呼んでいる近場のトライアングルだ。西都原では、古墳群に加えて、すぐ近くにある「木喰五智館」も加えた。
「木喰五智館」には、木喰上人が作った5体の如来像がおさめられている。これらの像を最初に見たのはいつだったか覚えていないが、とても驚き、釘付けになった。まだ「木喰五智館」が出来る以前のことだ。誰からか、「廃仏毀釈の折りに、難を逃れるために住民が民家に隠しておいた」と聞いていた。そのため、脇に抱きかかえるほどのものだろうと思い込んでいたのだが、実物はそんなに小さなものではなかった。
1996年(平成8)に「木喰五智館」が新たに建設され、現在、まん中に3mを超える大日如来像、両脇に宝生如来、薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来の座像が並ぶ。いずれも3m近い大きさの寄せ木造りの木像だ。当初は光背があり、5mもの大きさがあったという。現在光背は無いが、釈迦如来像には螺髪(らほつ)に群青色が残り、当時の姿を思いうかがうことができる。目を凝らせば、唇に少し赤見があるようにも見える。どの如来像にも独特の微笑みを感じるが、心持ちによっては、口を「への字」に結んで、むっすりしているよに見える。不思議な微笑みだ。
木喰上人がこれらの如来像作成に着手したのは1792(寛政4)74歳のことだ。池に大木を浮かべて作ったと言われるが、身も心も大変な力を要したに違いない。
冒頭の画家、気がつくと涙を浮かべていた。案内してよかった。「木喰五智館」と共に案内した近場のトライアングル=宮崎のエキスに触れたようだった。鹿児島へ帰る際、すっかり宮崎ファンとなっていた。
左寄り宝生如来、薬師如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来像