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奥底に語りかけてくる仮面や木彫りの像(国立民族学博物館)



太陽の塔


宮崎から大阪へは早朝のジェット便。約1時間余りの空の旅だった。多忙を重ねた時期だったので、フライトもホテルも知り合いに手配してもらっていた。上空から日本最大の古墳・仁徳天皇陵や大阪城を楽しみながら、伊丹空港へと着いた。途中、眼下の豆粒ほどの人家や高層ビルを見ながら、人間は何と地球を食いつぶしているのだろうと思わずにはいられなかった。人家や建造物に囲まれてわずかに残る緑の所にさえ、ソーラーパネルがところ狭しと並べられているのを見ると、とどまるところを知らない人間の欲を感じた。明治からまだ150年、これから100年後はどういう世界になっていくのか・・・。自ら生みだすゴミの中に滅んでいくのかもしれない・・・。そんな思いを抱かせるフライトでもあった。

しかし、フライト自体は何事もなく離陸時も着陸時も全くスムーズ。着陸後すぐに、モノレールで万博記念公園を目指した。目的は二つ。ひとつは岡本太郎氏が残した「太陽の塔」を間近に見る事。内部も公開中だが、こちらは抽選が必要なので最初から無理。もうひとつは、同公園内にある大阪日本民芸館を訪ねること。浜田庄司氏の大皿を楽しむことだった。
そのためには、入場チケットが必要だ。幸い、記念公園には日本民芸館チケットで入園できるように書いてあった。そこで民芸館に入るつもりで、チケットのボタンを押した。が、間違って国立民族学博物館の方を押してしまった。出てきたチケットを前に「しまった!」と思ったが、後の祭り。「民」の字が入っていたために間違ったのだが、まあいいかと思い直して、民芸館のチケットも買い求めた。さてどちらから入るべきか・・・。後の余韻の事も考え、最初に民族学博物館の方へ。 しかし、これがすごかった!。

仮面ひとつとっても実に様々。人の顔の面もあれば動物をかたどった仮面まで。大きさも普通サイズから、「これ本当に仮面?」と思わずにはいられないような人の背丈ほどの大きな仮面まで。その他、木彫りや石彫、ビーズの織物等々・・・。それらが語りかけてくるものは、生命や死や自然への恐れ・畏怖など、何か人間が持つ原初的・根源的なもののようであった。これらを前にすると、「現代美術」は、表現領域や表現方法の拡大こそ獲得してきたが、大事なものを忘れてきているようにも感じた。

当初目指した民芸館では、1階で「藍絞り展」が開催中だった。藍が持つやさしさや柔らかさはここでも健在だった。そして2階に目指した浜田庄司氏の作品。厚めの大皿に釉薬の流描による大胆な模様は、期待通りのものだった。加えて、うれしいことに数点の芹沢銈介氏の作品にも出会う事ができた。「画集等で観ていた作品はここにあったのか・・・」という具合だ。しかしそれらを越えて、民族学博物館の展示物は、頭に残ってしまった。








いずれも国立民族学博物館で
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