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災害遺構:国天然記念物「布田川断層帯」訪問






2016年の熊本地震を引き起こした「布田川断層帯」を訪ねた。案内は熊本市に住む友人。友人は益城町から資料を頂き、事前に下見をしてくれていた。頂いた資料には、国天然記念物「布田川断層帯」とある。
益城町にはまだ地震の爪痕が生々しい時分に、一度は訪ねている。その時は、高速道もあちこちで波打ち、橋に段差が出来ていて一台ずつゆっくり通らされたり、片側車線崩落のため渋滞につぐ渋滞だった。町の中に入ると、目に飛び込んできたのは家々の倒壊。凄まじい被害だった。
最初の地震は4月14日。M6.5震度7の激震。その28時間後の16日にもM7.3震度7の激震。14日のが前震、28時間後のものが本震とされた。同じ震度なのに、本震のエネルギー規模は前震の16倍という大地震だった。M7.3は、阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震と同じ規模だ。最近は全国各地で強い地震が相次いでいる。どこで強い地震が起きてもおかしくないのだ。阪神・淡路大震災以降の日本は地震活動期、あるいは激動期と言われるが、地震学者によっては、それまでが異常に静かで、普通になって来たとも言う。

そういうこともあり、被害状況だけでなく、断層そのものを観ておきたかった。「益城ジオ・文化遺産分布図」にはたくさんの場所が記されているが、全てを訪ねることは無理。
ということで、国天然記念物になっている杉堂・堂園・谷川地区の3カ所を訪ねた。まず訪ねたのが杉堂地区。布田川支流の潮井水源の地表地震断層だ。資料では長さ約8m、縦ずれ変位最大70cmとある。水源の上には小さな神社が傾いていたが、驚いたのは、その前にあった神木の倒壊。大きな榎が水源に倒れ込んでいるのだ。根元からの倒壊に地震のエネルギーを感じずにはいられなかった。石造りの鳥居も倒壊し、ばらばらになっていた。まっすぐ伸びていた神社への階段も横にずれ崩壊していた。すぐ側の大きな石碑も倒壊し、まっ二つになっていた。杉堂地区は徳富蘇峰の生誕地であり、関連の石碑かもしれなかったが、表側が下になっていて確認できなかった。





次に訪ねたのが堂園地区。畦や作物がクランク状になったため、TV等でもよく取り上げられた場所だ。畑に走った断層の痕跡は耕されているため観る事は出来なかったが、畦にはクランク状の痕跡がくっきり。資料によれば、地表180mにわたり断層が現れたようだ。横ずれの変位は最大約2.5m。農家の好意で、クランク状の畦はそのまま保存されているため、4〜5カ所の畦に大小の横ずれを確認できる。
ここには「大蛇伝説」が残っていた。過去にもここでは断層が地表に現れたのだろう。地表に現れた断層は大蛇の通った道として言い伝えられてきたのだ。畑の隣りには、アオサギやオオバンがいる堂園池があったが、地震直後の池は黒く濁ったという。この池は地表断層と平行しているので、断層と密に関係しているようだ。資料でもそうある。







最後は谷川地区。民家の敷地に「V字型」に現れた地表地震断層だ。凄まじい。保存のために断層にはブルーシートがかけられていたため断層そのものを目にすることは出来なかったが、断層は玄関先だ。母屋に平行するように現れた左横ずれ断層は長さ40m、縦ずれは最大約70cm。そしてその前方には、上空からみればVの字を書くように表れた右横ずれ断層だ。長さ35m、縦ずれ最大40cmとある。同じ敷地にV字の分かれ目を確認できるのは、国内でも極めて稀のようだ。敷地西側には大きな被害を受けた納屋があった。倒壊こそまぬがれたが、直下に断層が走っていたため大きな損壊を受けたのだ。建物、断層が走る庭、納屋を目にすると、ここに住んでいた方の恐怖を思わずにはいられなかった。上空からは見えないので、看板を撮影した。
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