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ゴッホの「星月夜」と重なる瑛九の「田園 B」


美術館、もしくは展覧会にはカメラを持っていきたい。たまに撮影OKの作品があるからだ。これも撮影OKだった。「田園 B」/pastoral Bと題したこの絵は、宮崎が生んだ前衛画家・瑛九の代表作のひとつだ。宮崎県立美術館蔵だからコレクション展で度々目にしてきた。この作品は、亡くなる前年の作品だ。60歳ぐらいで亡くなったと思っていたが、亡くなったのは48歳と若い。絶筆は、大作「つばさ」だ。
瑛九の作品を初めて知ったのはいつだったか・・・。私と同じ姓を持つ画廊の主からだったように思う。もう、ずっと前のことだ。画廊ではフォトデッサンを集めていた。それらを目にした時、カメラを使わずともこんな作品ができるのかと、すぐに引き込まれた。その後、シュール的な版画など記憶に焼き付けたきた。だが、点描で描かれた晩年の作品は、今まで自分の内に入ってくることはなかった。だが、今回カメラに納めた「田園 B」を眺めていて初めて、それに引き込まれている自分に気づいた。ひとつひとつの点は、輝く星々のようでもあり、生命がほとばしる宇宙のようでもあった。
「田園 B」は、月、星、太陽が、ふるさと宮崎の田園に映じて輝いている心象風景を描き出したものと言われる。だすれば、ひとつひとつの点は、生命ひとつひとつ、あるいはそれを構成している原子そのものかもしれない。ずっと見ているうちに、ゴッホの「星月夜(糸杉と村)」と重なってきた。ただ、田園・pastoralという言葉からは、田んぼの風景とは違う牧場的な風景を感じる。それが、田んぼに育った私の中に、今まで入ってこなかった理由かもしれない。
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「金原寿浩展 海の声」

少し気になる絵が、7月31日の宮崎日日新聞文化欄に掲載されていた。国会議事堂前に、黒いフレコンバッグがいっぱい並び、空にも浮かんでいるのだ。大きな記事ではなかったから目に止めた人は少ないかもしれない。国会前というのが強いメッセージ性を感じさせた。空に浮かんでいるというのも、福島第一原発事故後人々の上に降り注いだ放射能を思わせた。
ということで、行き着いたのが「原爆の図 丸木美術館」のHPに掲載されている動画。そこには絵画から受ける感じとは、真逆にも見える女装姿の作者がいた。ピンクっぽい金髪、そしてネイルリングにカラフルなパーカーという出立。よく見ると、ピンクの髪留めや左肩から斜めに伸びた細い紐の先にはバックだろうか・・・。想像していた作者の姿とはまるで違ったが、私が気に止めた作品というのは、「ちょっと置かせてね」というシリーズ中の一枚だった。大量のフレコンバッグを首都圏に持ってくるというシリーズだ。大きな絵と思っていたが、そうでもなかった。実際の絵は、動画から感じるものとは違うかもしれないが、もう少し描き込みがあってもいいかなと感じた。そのシリーズとは別なのだろうが、「雨を見たかい」という絵があった。空にたくさんのフレコンバッグが浮かんでいる絵なのだが、「フレコンバッグの中に入っているのは、単なる汚染物ではなく福島の人たちの財産であり故郷なんです。」という説明は、心に刺さった。
これらは、「3.11」がもたらしたものだが、「沖縄」を描いたものもあった。墜落したオスプレイをガジュマルが呑み込んでいく絵では、人間の手の形をした太い根がオスプレイをつかみ込んでいた。発想力・想像力には感服だ。

◎2021年丸木美術館「金原寿浩展 海の声」紹介
https://www.youtube.com/watch?v=7EKTHkqoQt8
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ペーパークレイ フィギュア展




たまたまのたまたまだった。知り合いの和紙絵展の案内ハガキを持って、西都市「まちなかギャラリー夢たまご」へ出かけた。西都市は宮崎市の隣町なのだが、わが家からはそう遠くもない。車で行けば、10分そこそこだ。ギャラリー隣接のデパート駐車場に車を止めて、まずデパート内をキョロキョロ。朝から結構にぎやかな様子。中央通路を歩いていると、長身の幼なじみ。声をかけたがマスクのせいで一瞬キョトンとしたようだったが、少しの間をおいて私を認識したようだった。帽子をかぶり、マスクをしているとすぐには分からないようだ。一通りの挨拶の後、色とりどり商品が並ぶメガネ屋さんやシューズ屋さんを過ぎて、外に出て目指すギャラリーへ。
そこで目に入ったのは、入口やウインドウ越しに見える時ならぬ人だかり。ちょっといつもと違う雰囲気を感じながらギャラリー内に入ると、カラフルで個性的な人形たちのオンパレード。展示机の上には人形がいっぱいなのだ。日頃目にするアニメキャラクターなどがあふれていた。どの人形も動きがあり、楽し気だ。写真もOKなので、一通り写真におさめたが、誰がつくっているのか気になった。会場を見回したが、名前の掲示はないので、会場にいた人に尋ねてみた。沢山の作品なので、当初学校かグループの作品かと思ったが、紹介されたのはたった一人の青年。作品は小さいが、数は1,000点ほどもあるのだ。名前をうかがうと、会場にあった小さな展示会案内を手にしたが、そこには名前はなく、開催期間と「第3回 ペーパークレイ フィギュア展」の文字だけ。そのため、ごそごそとポケットを探しはじめたので名刺かと思っていると、取り出したのは免許証。それをカメラに納めるわけにもいかないので、ゆっくり記憶した。
青年の名は曽我和志さんだった。聞けば、西都市在住で、北隣りの高鍋町に勤める会社員。小学校からつくり始め、仕事についた後も毎日4〜5点。最近は新型コロナのせいで会社が休みとなったため、よりたくさんつくってきたようだ。どの作品も特徴がよくとらえられ、とても自由に見えた。紙粘土を手にして、無心につくり続ける彼の姿が目に浮かぶようだった。



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黒蕨壮(くろわさびそう)彫刻展

「チョット休憩」


新型コロナのため県境を越える事もままならなかったが、解除されたため、久しぶりに遠出した。目的地は鹿児島霧島アートの森。我が家からは、高速を使わずに約2時間半だ。幾度となく通った道とはいえ、やはり街並は時折変化する。あるはずの家屋がなくなっていたり、新しくなっていたりだ。あるいは新しい発見があったりもする。我が家周辺の田んぼは、もう稲の穂が出始めているのに、30分も走れば、まだこれから田植えというようなところさえあった。

「黒蕨壮 彫刻展」は、期待に違わずいい作品展だった。「チョット休憩」という作品が頭の片隅にあったため、一度しっかり観たかった。「マイハウスⅡ」や「帰らなくては」などの大作の他、「肉食女子(スズメバチ)」や「草食男子(カブト)」などの暗示的小品も。私的には1986年前後頃の「マイハウス」シリーズ辺りの方がリアリティーを感じる。脱ぎ捨てられた作業服は、木彫なのにまるでそこに脱ぎ捨てられた衣服のような存在感があり、脱ぎ捨てた人の仕事や性格まで連想させる。「マイハウスⅡ」のダンボールの中から出ている足は、はいているズボンや靴そのままの圧倒的存在感であり、「これは木彫?」と思わせるほどの技巧だ。もちろんダンボールも木彫だ。2009年〜10年に制作されたという「あの手・この手」は、手をつなぐ縄まで木彫だ。中には指の先から縄が出ていたりする。発想そのものと裏打ちされた技巧が、この人の作品を支えているように感じたが、近年は、圧倒的質感が放つリアリティーより思惟的暗示感の方が出始めているのだろうか・・・。









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麻のれんの型染め


先日、型染めの糊入れを行った。一昨年に型を切り抜いたまま気乗りせず、丸めて机の片隅に立てかけたままだった。とりかかるまでに随分かかったが、気持ちよい秋晴れが続きそうなので一気に染め上げることにした。藍で染めようか、柿渋で染めようか迷ったが、季節が秋なので今回は柿渋でいくことにした。藍ならすぐだが、柿渋なら仕上げまでに1週間はかかる。今日はほぼ最終工程。仕上げは90×145cmほどの麻のれん。2つに分かれだ。型は大きさがあるため西洋型紙。西洋型紙は、柿渋型紙より切りにくいが、柿渋型紙では大きさが取れない。いつもなら型の表に紗をカシューで張るのだが、今回は型そのものが大きいので紗は張らず、代わりに網戸を使うことにした。
そのようなことで、前日に古いサッシの網戸の真ん中の桟をはずして水洗い。当日は朝早くから糊をつくり、コンパネの上に麻布を張り、その上に型紙と網戸を置き、そして糊を入れた。結果は上々。網戸は結構使えることが分かった。紗よりも滑りがいい感じもする。後は糊の載り具合を見ながら、乾いたら染め乾いたら染めの作業だ。5回ほど染め重ねた。さて、この次は媒染剤の鉄と反応させる仕事が残っている。いい色になって欲しいが、天気が少しあやしくなってきた。
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第2回 枕崎国際芸術賞展











9月に入ると1mほどにも伸びた畑や土手の草刈り、はたまた秋野菜の準備などで忙しい。そんな中、ぽかんと1日空いた。ということで、日帰りで行けそうなところを探した。
その結果が枕崎だ。「鹿児島 現代美術」で検索した結果、「第2回 枕崎国際芸術賞展」がヒット。枕崎と言えば薩摩半島南端の町だ。一度訪れたことはあるが、「鰹節、枕崎台風」が思い浮かぶくらいで記憶には乏しい。だが、空いた貴重な1日、とにかく行ってみることにした。
急いで出かける準備を済ませ、東九州自動車道のインターへ。10時近くだ。東九州道は片側1車線。対向車線との間は、この前までポールで仕切られていただけだったが、事故が相続いだ。そのため部分的にワイヤロープで仕切られていた。これだけでも安心感は増したが、やはり片側1車線は狭く走りにくい。分かりにくい宮崎自動車道との合流地点を過ぎれば、あとは鹿児島まで2車線で楽々。途中、桜島サービスエリアで休憩。ここで、鹿児島から先の走り方を情報センターの女性に尋ねた。これが大正解。カラー印刷された地図に掲載されてなかったのか、コピーされた2、3種類の地図で新しい南薩摩縦貫道を教えてくれた。「鹿児島おごじょ」親切なりだ。

南薩摩縦貫道は快適だった。知覧付近では茶畑がずらり。その茶畑には何本もの防霜ファンがくるくる。冬場に地面の温度が下がると霜が降りる。霜は茶葉を痛めるので、ファンを回して高い温度の空気を送り霜を防ぐのだそうだ。だが、くるくる空回りしているファンをみると、発電に利用できないものかと、つい思ってしまう。

風光明媚な茶畑群を過ぎれば、すぐに目指す枕崎。だが、ここで迷った。ナビでは、会場の「枕崎市文化資料センター南溟館」はすぐ近くなのに、あっちに行ったり元の所にまた出たり。最後はナビを無視して、目検討で小高い場所を目指すと、無事到着。12時はとっくに過ぎていたため、まずは腹ごしらえに駐車場脇の展望所へ。ここがよかった。眼下には枕崎市の街並み。その向こうは太平洋だ。風は海から街を抜けて展望所へ吹き上がり、平屋根がつくる日陰とともに体に気持ち良かった。持参してきた弁当もぺろり。






前庭と玄関へ続く道に常設展示の野外作品


さてここからが本題。枕崎市で、このような展示会が開催されていることは、まるで知らなかった。第2回である。聞けば1回目は3年前。ということは、トリエンナーレということか。会場の建物は木造平屋で、メインの部屋は半円形。前庭と入口へ続く脇には、現代的野外彫刻作品が常設してあり、何となく展示会が目指している方向がわかった。
会場は土足禁止のため、まずスリッパに履き替え受付へ。会期:7月21日から9月16日。大人1,000円、高校・大学生800円、中学生以下無料。JAF割引など尋ねたが無し。ということで1,000円支払い最初の部屋へ。壁面には、大きくはないが、様々な平面作品が並び、中央に立体作品が展示してあった。奥の半円形の部屋には審査員の作品を中心に平面作品。そこを出ると、エントランスホール的広い空間。ここには壁面に平面作品。窓側に立体作品が展示してあった。

審査員は保科豊巳氏、千住博氏、曲徳益氏の3氏。保科さんの「黒い光」は、和紙(キャンバスかも)に墨がしみ広がり、その上の金も墨ににじみ、小さな宇宙の感じ。計算しつくせない自然のにじみが組織化されていた。千住さんの「断崖図」は、抽象山水画的で、幽玄で奥深く、日本的美ここにありという感じ。曲徳益さんの「Juxtaposition J 1901」は絵の具を直接キャンバスに置き、ヘラで広げたような現代的作品。アクションに意味を持たせた作品なのだろうか。尚、3氏の作品は、造形作家カネコマスヲのブログに掲載されている。


2017/APR/20 11:59、453 W Broadway New York NY 10012、USA、13°Cloud




I'm here./3 I'm here./6


記憶の器 Ⅰ


審査員の作品は別として、展示作品で記憶に残った作品が何点かあった。
第1に「2017/APR/20 11:59、453 W Broadway New York NY 10012、USA、13°Cloud」という、やたら長い題名の作品。表現しないことを目的につくった結果、水たまりの水をひろってそのまま紙に定着させる方法に行き着いたのだそうだ。発想からして自由だ。何事も数値化される現代にあって、その元となるありのままの世界。ありのままを数値化せずに、そのままに写し取ることに成功していた。このことに、惜しまず拍手を贈りたい。ありのままは奥深い。
2つ目は「I'm here./3 I'm here./6 」という2つの作品。特に前者。根っこには土が着いている様まで表現されていて、まるで植物標本のようだ。しかし、植物標本の無味乾燥さとは違い、植物の営み・記憶が焼き付けられ、植物自身が「私はこう生きてきた」と主張しているように感じた。作者は、「レイヤー板における技法上のわずかばかりの複雑さを内包しつつも、その複雑さという混沌に秩序を与え、選択肢を限定し、こうでなければならないと思われるシンプルな表現を試みています。」と述べている。結構、ミリ単位で計算し尽くされた作品なのだろう。
立体作品で、記憶にとどめたのは「記憶の器 Ⅰ」という作品。ペーパークラフトのカニを記憶装置のチップとして組み合わせ、複雑な美的表現の深まりを作り出そうとしたそうだ。複雑な美的表現の深まりの表現に行き着いているかどうかは別として、肌感覚的にはカサカサと乾燥した感じを受けた。火葬された人骨から受ける感覚と同質のものを感じさせたので、生命の記憶みたいなものが表現できれば、新たな境地へ飛躍するかも・・・。

他にも見所のある作品が多かったが、子供たちが団体で入ってきたところを見計らい観覧を終えた。しかし、この子供たち、思わぬプレゼントを残してくれていた。出口に並び揃えられた子供たちの運動靴が、まるで美術作品そのもの。ということで写真にパチり。名残惜しさを残して会場を出ると、ギラギラした真夏の太陽。そして、どこからともなく鰹節を蒸すにおい。枕崎はやっぱり鰹節の里・枕崎だった。


子供たちの靴


美しい開聞岳


帰りは開聞岳入口を経て池田湖方面へ。遠くから眺める開聞岳はなだらかで女性的であり、特に浜辺とともに望む姿はとても美しかった。開聞岳をあとにして池田湖方面へ向うと、左手に阿多カルデラの大きな西壁が現れ興味津々。指宿地方は火山のオンパレードなのでゆっくり観察したいところだが、これは別の機会に譲ることにして、池田湖到着。シンボルのイッシー像とオオウナギを見納めにして、枕崎行きを終えた。
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ウィリアム・モリス展


現代はものにあふれている。100円ショップに行けば大概のものは手に入る。これでもかこれでもかというように、ものが増え続けている。そしてゴミも・・・。それも、人類史を超える寿命を持つ核のゴミまで・・・。

名前にひかれて「ウィリアム・モリス展」へ出かけた。宮崎県立美術館だ。ウィリアム・モリスという名前は、「アーツ・アンド・クラフツ運動」という言葉とともによく知っていたが、実際に作品を見るのは初めて。
18世紀後半にイギリスから始まった産業革命の結果、社会には工場で大量生産されたものがたくさん出回るようになった。そのため職人は職を失い、手仕事の美しさも失われていった。それではダメだとして、アーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動)の中心にいたのがモリスだった。そのため、「モダンデザインの父」と呼ばれる。日本の時代で言えば、おおよそ幕末から明治の初め頃に活躍した人だ。

展示作品を見ながら、浮世絵を思い浮かべることとなった。同時代に制作された椅子やランプの作品もあったが、見入ったのは壁紙。あしらわれていたのは、イギリスの自然の植物や鳥だ。唐草模様的に図案化された植物を下地に、くり返し配置された鳥の壁紙の他、柳がデザイン化された壁紙など。中でも柳の壁紙は、ゆるやかに曲線を描く茶の茎と、細長い葉っぱの濃淡の緑が流麗で美しかった。そして、それらの壁紙の刷りが素晴らしいのだ。紙に木版の色刷りだ。浮世絵の他にもこんなにすごい刷り物があったのだと思った。壁紙だから浮世絵よりずっと大きい。それらは競って買い求められたという。
浮世絵は版元があり、絵師が居て、彫り師が居て、刷り師が居て成立した。壁紙も同じだ。製造元があり、デザイナーがいて、彫り師や刷り師がいた。製造元の名には、モリス商会などが読み取れた。デジタル社会になり、職人の仕事ですら数値化される現代だが、人間の手が生み出すものは、どこか柔らかさや優しさがある。失ってはいけない世界だ。
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青木野枝 『霧と山』展 




青木野枝さんの作品が見たくて、「霧島アートの森」へ出かけた。青木さんの作品は宮崎県立美術館にも1点だけ展示されている。フラフープみたいな大小の丸い輪が幾つか組み合わさった大きな作品だ。丸い輪は一見すると、丸い棒のように見えるが、よく見ると鉄板が円形に溶断されたものだ。溶断後、丸い輪をひとつひとつ溶接して作品としている。鉄なのに、鉄が持つ重量感を感じさせず、滝をはじける水玉のような瑞々しさを感じさせてくれる。

今回は、会場が霧島の一角にあるだけに、「霧」と「山」がテーマの作品だ。展示会場に入ると丸い輪が組み合わされた円錐状の作品がすぐに目に入った。鉄板を円形に溶断された輪がたくさん溶接され、円錐状の山となっている。ところどころの輪には、ガラスがはめ込まれている。その作品をはさんで、背が高く厳粛で宗教的な感じの作品。上方から霧か滝をイメージしたのだろうか長い水色の波板が下げられていた。今まで感じたことがない宗教的な感じは、高さのせいかもしれない。私の感覚からすると、長い水色の波板より、薄い水色の布を垂らした方が鉄と相性がいいような気がした。とは言え、やはり都会的で女性的な感覚は感じていた。この感覚故か、青木さんを40歳前後の女性と勝手に想像していた。プロフィールをじっくり眺めてびっくり、私の想像は大きく外れていた・・・。
部屋を出ると、鉄とはうってかわった作品。石膏、麻布、新聞紙、鉄を使った山のような白い塊の作品が置かれていた。白い山、あるいは白く丸い岩のように見えたが、作品名は「曇天」。作品名にはなじめなかったが、作品の肌触り感はとてもよかった。多分、「自然」が持つ空気感が漂っているのかもしれない。

どの作品も触れたりすることは禁止だったが、写真はOK。作品数は思っていたより少なかったが、青木さんの感覚に触れて出かけた甲斐はあった。








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『坂本正直〜平和への祈り〜』展


「クリークの月」


「九州には三人の坂本という絵描きがいる」。友人が教えてくれた言葉だ。そういう言い方があるとは知らなかったが、一人は久留米の坂本繁二郎、もう一人は熊本の坂本善三、そしてもう一人が宮崎の坂本正直だ。坂本正直については、宮崎県外ではあまり知られていないかもしれない。しかし、もっと知って欲しい人だ。今回、県民ギャラリー(宮崎県立美術館)で開催された展示会を観て、改めてそう思う。約70点の絵と向き合うことができた。

最も記憶に残ったのは「クリークの月」と題されたシリーズ。『莫愁湖-馬はみていた』の一連の絵だ。遠目には藍の染にも似た印象で美しくも写っていた。月そのものは描かれてなく、画面の上方に夜の空と遠景。その下に月の光を反射している白い湖面が大きく描かれ、画面の約下半分は暗闇の中に馬の顔や人の手などが描かれている。暗闇の中の馬の顔はどこまでも静かだが、どこか寂し気だ。人の手などにまじって赤い点も描かれている。
ちょうど会場で案内役をしていた友人が赤い点について説明してくれた。肩章なのだそうだ。軍服の肩についているものだ。暗闇の中には、銃剣を突きつけられて水に消え行く人のような絵もある。あるいは、白い布を掛けられ地をかきむしる人の手のように見える絵もある。ただ、具象画ではないので判然とはしない。
「莫愁湖」を調べてみた。中国南京市郊外の湖だ。ということは、これは南京事件前後の光景なのか。資料を繰ると、坂本氏は、1937年7月招集後朝鮮半島経由で中国に入り、北京、石家荘など転戦し11月杭州湾に上陸している。南京事件は12月だからつじつまは会う。




「坂本正直氏さんが語る『私のなかの風景』(聞き手 木村 麦)」の中に「言いようのない光景」とされる一節があるので引用してみたい。

 私たちは、南京、蕪湖、安慶、漢口、大治、九江、徳安、長沙近くと転戦し、中国で三年半を過ごしました。
 最初の正月は南京でした。
 日本軍は南京を方々から攻めていました。私たちの前の方で地雷がさく裂したり、皆殺気立っていました。南京には夕方着いて莫愁湖の近くに宿舎を定めました。あちこちに火災が見え、城壁の周りの堀を渡って多数の中国兵が逃げてくるのが見えました。ざん濠のなかには脳の出た死体がありましたし、周りにも生きているのか死んでいるのか分からない人間が横たわっていて 精神状態も荒れていました。
 その晩、歩哨に立っていて、突然目の前に現れた中国人を撃ってしまうのです。それなのに歩哨を交替した後、平気で眠ったと思うのです。そのとき月が出ていたのですが、どのくらいの月だったのかは分かりません。それが「クリークの月」です。弔いのような気持ちで描いています。



「めしを食いつつ見ていた」

戦争をテーマに絵を描くのは大変なことと思う。まして自身の体験を元にした絵だ。消し去ることもできない記憶の奥底に焼き付いているであろう光景だ。「クリークと月」の他に、よく知られている絵に「めしを食いつつ見ていた」という絵がある。画面下には飯盒が描かれ、上方にはちぎれて飛んできている手が大きく描かれている。爆弾でやられた手が飛んできても平気でご飯を食べている異常な精神を描いたのだ。

作品の並ぶ一角に、手描きの説明があった。漢口での戦闘が終わり、山岳戦に入る前のことのようだ。




  戦争(人間の命) 

人間の顔と体がするめいかのように
なって ボクボクとほこりのたつ道路に
へばりついていました。
その上を ほこりをかぶった軍用自動車が、十何台通過しました。
わたし共 小行李の兵隊と馬は
道路わきに しばらく立ったまま
でした。
出征して一年たった兵隊の
神経は平常ではなかったことは
たしかです
戦場で つくられてゆく精神状態が
どんなものあるかを描きたかった
のです       (中支戦線で)
                    坂本正直


香月泰男はシベリア抑留体験を元に『シベリア・シリーズ』で、望郷と鎮魂そして希望を描いたが、坂本正直は「普通の人々が、戦場においては、人をただの『モノ』としか見なくなる異常な精神を描き止めた。」のだと思う。
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木力さんの『百歳ばんざい』











知人が指導する能面工房の展示会に出かけた。その能面会場の一角に、一風変わったというか、能面とは全く違う木彫りの面が展示されていた。当初、「何これ?」という感じが頭の中をよぎったが、さっと一通り見て、もう一回キャプションも見ながら、見直してみた。
その様子を見ていたのか、知人がすぐに作者を紹介してくれた。自分で創作木彫りをされているのだという。その工房の名は、『木力 MOKURIKI』。説明には「木材を、切ったり削ったり 創造を楽しんでいます。」とあった。

展示されている木面のタイトルは「百歳ばんざい」。それぞれモデルがあるようで、各キャプションには、県名と名前が書かれていた。最近は百歳を超える人も多くなったが、やはり百歳という年月は重く、その生き様は顔に最も良く現れるのだろうか。それぞれの生き様が木力さんの中で再解釈され、デフォルメされて木面に刻まれている。どの顔も生き生きとして“生”を楽しんでいるのがうれしい。この木面、あれこれ言うより見て楽しんだ方がよさそうだ。

私の第一印象は、宮崎県高鍋町の丘の上に立つ石像群「高鍋大師」と同じ印象を受けた。それは今も変わらない。多分、木力さんは、それぞれの生き様を表現しながら、刻むこと自体も楽しんでいるのだと思う。
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