写真は栃木県那須塩原市石林の乃木神社で撮ったもの。この写真はあまり家紋らしくないが、乃木希典大将も佐々木一族で「市松四つ目結い」を使用していた。
絞染の技法はインドから中国を経て日本に伝えられたと考えられるが、奈良時代には纐纈(こうけち)、きょう纈(きょうけち)、臈纈(ろうけち)が代表的な模様染であった。
そのなかのコウケチが目結染といわれる。布を糸で括って染料に浸すと、括った目のところだけが白く染め残る。
目結とは、この白く染め残った斑模様をさす。
一つ目結から十六目結まである。この「目結紋」は近江源氏の佐々木一族がこの紋を使用している。
この一族は近江佐々木庄を本拠とし、沙々貴神社を中心に栄えてきた。
宇多天皇を祖神としているので宇多源氏ともよばれ、沙々貴神社の氏子は「目結紋」を用いる。京極、朽木、尼子、三上、伊吹などの佐々木一族の諸氏。(明日に続く)
日本家系調査会
絞染の技法はインドから中国を経て日本に伝えられたと考えられるが、奈良時代には纐纈(こうけち)、きょう纈(きょうけち)、臈纈(ろうけち)が代表的な模様染であった。
そのなかのコウケチが目結染といわれる。布を糸で括って染料に浸すと、括った目のところだけが白く染め残る。
目結とは、この白く染め残った斑模様をさす。
一つ目結から十六目結まである。この「目結紋」は近江源氏の佐々木一族がこの紋を使用している。
この一族は近江佐々木庄を本拠とし、沙々貴神社を中心に栄えてきた。
宇多天皇を祖神としているので宇多源氏ともよばれ、沙々貴神社の氏子は「目結紋」を用いる。京極、朽木、尼子、三上、伊吹などの佐々木一族の諸氏。(明日に続く)
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