窯元日記復活

雲華焼と雲火焼・・・。


赤穗市立美術工芸館田淵記念館『令和3年度特別展 大嶋黄谷生誕200年記念展』で、なぜ赤穗で雲華焼を展示されるのか?おわかりになり難いかもしれませんね。時代は全く異なりますからね。奥田木白の生誕200年だった2000年の翌年に赤膚焼研究会を作って例会や冊子を作ってきました。ちょうど2004年(平成16年)に赤穗市立美術工芸館田淵記念館で「没後100年記念 企画展  大嶋黄谷」の展覧会があるというのを知ったのは研究会の会員で兵庫から関心もっていつもお越しになる皆さんでした。大嶋黄谷(文化4年<1821>ー明治37年<1904>)は嘉永元年<1848>から二年にかけて赤穂に滞在した今戸焼の陶工・作根弁次郎に陶技を習って嘉永5年には雲火焼と呼ばれる、我々が雲華焼と呼んでいる作品が出来たようです。で、研究会会長の村上泰昭氏と赤穂市に出かけて、兵庫の皆さんと合流ました。そして復元研究されている桃井香子さん長棟成光さんのお迎えを受け車を出していただいて、記念館と桃井さんの作業場を見学させていただきました。翌年(2005年)の6月の14回例会で郡山城ホールで村上氏と桃井氏に発表していただき、8月に「赤膚焼研究会通信12号」で報告させていただきました。いまPCでデーターを移したときに上手く印刷できなくなってしまったので、16ページ(雲華焼以外はカットして)をコーピーしましたが、3部作るだけで1時間かかりヘトヘト・・・。当時編集、印刷一人でやっていたので・・若かったから出来た?
すべて赤穗の担当者にお渡ししました。もうやらない!



郡山で発掘されたときの奈良新聞高瀬さんの丁寧な記事を付けておきます。
https://www.nara-np.co.jp/news/20171102090646.html


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