京都国立博物館 『西国三十三所 草創1300年記念 特別展
聖地をたずねて─西国三十三所の信仰と至宝─』の2回目。
聖地をたずねて─西国三十三所の信仰と至宝─』の2回目。
3階の展示場からはじまりますが、一乗寺の飛鳥仏はじめ壺阪寺、青岸渡寺の那智経塚の仏たち。隣の第2章の部屋では聖衆来迎寺の六道絵2幅(人道無常相、人道苦相)、六波羅蜜寺の江南絵画陸信忠の十王図も久しぶりに拝見。2階に降りて、那智経塚出土遺品群。奈良法起院<俊道上人像>江戸時代の画像だが、法起院てどこにあるのだろう?花山天皇や性空上人など、今までの西国三十三所展だとたっぷりあったところが、意外と少ない。左展示場では<粉河寺縁起絵巻>人が多いので、観音様のところだけ拝見。次のコーナーからは縁起が集められている。隣に行くと参詣曼荼羅。成相寺、長谷寺、清水寺、中山寺・・。結構楽しい。
1階に降りると大きな彫刻群があつめられている。清水寺の十一面はじめ粉河寺の十一面などゆっくり拝見。見応えがあります。奥の部屋も彫刻が中心で、頂法寺(六角堂)の如意輪観音が中央のケースに鎮座されています。最後の章の部屋では、岡寺や南法華寺(壺阪寺)の塼や長谷寺の法華説法図などは久しぶりでした。
見落としているものもあるでしょうから、後期ものぞいてみたいですね。
館のHPから→第3章 聖地のはじまり
西国三十三所の成立には、謎に包まれた部分が多く、なかなか確実なことは言えません。その中にあって、大きな役割を果たしたと伝承される人物として、徳道上人のほか、花山法皇や圓教寺の性空上人などがあげられます。彼らの姿を描いた肖像の紹介とあわせて、粉河寺の創立や本尊である千手観音の霊験を描いた「粉河寺縁起絵巻」をはじめ、それぞれの寺院の由緒や歴史を説いた縁起類を紐解き、聖地のはじまりをたずねます。
第4章 聖地へのいざない
修行僧や修験者たちを中心に行われてきた西国三十三所巡礼は、次第に階層的な広がりをみせ、彼らに伴われるかたちで武士や一般庶民も行うようになります。こうした人々による信仰に根ざした参詣は、天変地異あるいは兵乱により、荒廃した堂舎を再建するうえで大きな力を発揮しました。新たなる巡礼者をいざなうにあたり、各寺院の歴史や功徳をわかりやすく説明した参詣曼荼羅や勧進状など、重要な役割を果たした作品を紹介します。
第5章 祈りと信仰のかたち
西国三十三所の札所寺院は、聖観音・十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝(じゅんてい)観音・不空羂索(ふくうけんじゃく)観音のいずれかが本尊となっています。これら7種の観音が、六道思想の展開により生まれた六観音と一致するのは、観音霊場としての成立と関係するともいわれます。古来より今にいたるまで、貴賤を限らず、真摯な祈りをささげた多様な観音のすがたを絵画、そして彫刻を中心に辿ることで、信仰のかたちを追体験していただきます。
第6章 巡礼の足あと
西国三十三所の巡礼が階層的、さらには地域的な広がりを持つようになると、そこには別の側面も加わるようになります。行楽としての旅は最たるもので、さまざまな人々が集うようになり、活況を呈しました。それぞれの目的は違えど、本尊の観音に手を合わせて祈ることに変わりはなく、その営みが絶えることはありません。こうした巡礼の盛況とともに刊行された書物、または訪れた人々が実際に身につけたり、奉納した遺品にふれます。
第7章 受け継がれる至宝
観音霊場としての西国三十三所は、平安時代の12世紀前半には成立していたと考えられています。しかし、歴史や宗派が一様でない各寺院には、「観音」あるいは「三十三所」といったキーワードだけでは語ることの出来ない、固有の寺宝が数多く伝えられてきました。これらを伝えるのは、時代や環境の変化と向き合わなければならないため、容易ではありません。先人たちの努力により、受け継がれてきた至宝の数々をご覧いただきます。
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