茶道史の神津朝夫先生から『淡交2月号』を恵送たまわりました。特集の「珠光-佗茶の祖」で「茶祖珠光について」をお書きになっています。〈珠光 しゅこう〉茶祖とされた珠光の実像は根本的再検討が必要とされ、応仁の乱ころに奈良に戻り、草庵にに住む遁世者になったようで、「珠光房」と呼ばれたりして、村田珠光などの俗姓は間違いだそうですね。頂いた金曜日にNHKのニュースで、奈良町の茶室を紹介していた1級建築士さんが「村田珠光むらたじゅこう」と言っていたのは、この本の後に市長が珠光茶会のインタヴューをされていますが、先に市民の啓蒙が大事ですね・・。




