山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

朽ちかけた看板

2010年02月26日 | 訓練、探索
北条氏の本拠地があったのが伊豆の国市の守山。
狩野川脇の道路向かいの守山西公園より守山山頂を目指すと、ちょうど中腹にこの看板があるのです。
聞くところによると、撤去されぬまま20年の歳月が流れいるみたい。


となると、前面には何が書かれていたかが気になるでしょう。


何が書かれていたかを説明する前に、
看板の建つ位置を、マップでご確認いただきましょうか。
青字(「看板」、「通交止」)と青、赤矢印は私が画像加工して書き込んだたものじゃぞ。
赤矢印の方向(南)を向いて看板は建っております。


ここへ辿り着いたとき、ちょうど山頂から下られるお孫さん連れの男性に遭遇しまして、いろいろとお尋ねすることができたというわけなのですね。

つまり、以下のカッコ内は男性から聞いた話をかいつまんだ受け売りです。

男性曰く
「これは旅館の看板だったんだよ、今はもうなくなっちゃったけどね。現在、北条氏邸宅跡を発掘調査している場所があっただろ。あそこに「水寶閣」という名称の旅館があったんだよ。もともとは中国(チャイナのことか、中国地方のことかわからず)の水寶ダムを造った社長の別宅だったんだが、ほらほら、あの鉄道王がワルイ表現でいうと、買収して旅館にしたんだよ!」(その後tutumi氏との談合の話や、岩崎弥太郎子息の別宅の話、伊豆で最初に水寶閣から千歳橋にかけてアスファルト舗装された道路が轢かれた話になった)

なるほどねぇ~!

そんなわけで、1953年の航空写真を拝借してみました。上図とは上下がさかさまです。
水寶閣は、赤点線で囲んだあたりにあったんですね。


その足で願成就院へ行ってみましたら、ほらほらありました。
「昭和二十九年九月 施主 水寶閣」と書かれてある石柱がね。


アップ画像です。


ちなみに水寶閣は平成3年頃、取り壊されたそうです。

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