さて、ゆかりの地探訪は、仇をとったとされる富士宮へ一気に飛びます。
建久四年五月二十八日は、朝から雨が降ったり止んだりしていました。工藤祐経を討つべく曽我兄弟が密談をかわしたとされるのが、ここ「曽我の隠れ岩」です。
あいにく我々は盛夏に訪れたため、雑草に覆われていて、隠れた大岩が判然としません。
上部へ廻れますが、ご覧のとおりの有様なんです。
音止の滝へ行くためには、曽我橋を渡らなければなりません。
なぜ曽我橋と命名されたのかは、もはや女史にだって理解できています。
音止の滝へ到着です。
が、音止の滝の由来は書かれてありません。
伝説はこうです。先ほどの大岩で曽我兄弟は密談をしょうとするが滝音にかき消されてしまい、お互いの話を聞き取ることができません。そこで兄弟は、「南無川津八幡」を一心に祈ったところ、兄弟の心情を哀れんだ滝が暫し音を止めてくれたと伝えられているのです。
もうお分かりですね。それで 「 音止の滝 」なわけです。
当日も爆音を轟かせていましたよ。
行かれる方のために、大雑把な位置関係を示した案内板もアップしておきましょう。
付近には、工藤祐経の墓などもあるのです。
そりゃ、もちろん行きましたよ。
まあ、見方を変えると、そもそも工藤祐経が統治すべき領土を伊東祐親に取られたことに端を発するわけですから、曽我兄弟のあだ討ちはお門違いと捉えられなくもありませんが。
まあ、昔のことですから 今更何を言ってもはじまりませんけど。
比較的新しく感じられたこの場所ですが、お墓というより供養のために建立されたもののな気がしてなりません。
うんちく案内板も掲示しておきましょう。
あだ討ちこそ、武士道の美徳なわけですね!?
そうだ!
武士道に限らず、初期のカンフー映画もしかりだと思うのは気のせいだろうか。
その3へ続く
建久四年五月二十八日は、朝から雨が降ったり止んだりしていました。工藤祐経を討つべく曽我兄弟が密談をかわしたとされるのが、ここ「曽我の隠れ岩」です。
あいにく我々は盛夏に訪れたため、雑草に覆われていて、隠れた大岩が判然としません。
上部へ廻れますが、ご覧のとおりの有様なんです。
音止の滝へ行くためには、曽我橋を渡らなければなりません。
なぜ曽我橋と命名されたのかは、もはや女史にだって理解できています。
音止の滝へ到着です。
が、音止の滝の由来は書かれてありません。
伝説はこうです。先ほどの大岩で曽我兄弟は密談をしょうとするが滝音にかき消されてしまい、お互いの話を聞き取ることができません。そこで兄弟は、「南無川津八幡」を一心に祈ったところ、兄弟の心情を哀れんだ滝が暫し音を止めてくれたと伝えられているのです。
もうお分かりですね。それで 「 音止の滝 」なわけです。
当日も爆音を轟かせていましたよ。
行かれる方のために、大雑把な位置関係を示した案内板もアップしておきましょう。
付近には、工藤祐経の墓などもあるのです。
そりゃ、もちろん行きましたよ。
まあ、見方を変えると、そもそも工藤祐経が統治すべき領土を伊東祐親に取られたことに端を発するわけですから、曽我兄弟のあだ討ちはお門違いと捉えられなくもありませんが。
まあ、昔のことですから 今更何を言ってもはじまりませんけど。
比較的新しく感じられたこの場所ですが、お墓というより供養のために建立されたもののな気がしてなりません。
うんちく案内板も掲示しておきましょう。
あだ討ちこそ、武士道の美徳なわけですね!?
そうだ!
武士道に限らず、初期のカンフー映画もしかりだと思うのは気のせいだろうか。
その3へ続く
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