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コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

伊豆最古の隧道かも?

2010年12月20日 | 歴史ネタ
先ずは、吉田隧道碑からご覧いただきましょう。
碑には、絵トンネルまでが掘り込まれています。


といっても、用水のためものですが。


でも、なにがスゴイかって、碑文によりますと文化文政時代に隧道が掘られたらしいんです。
『吉田隧道は、一碧湖の水を取水して、吉田区に注ぐ用水トンネルです。
この隧道は、文化、文政年間に建造したものと言われて、建造後約約百数十年を経過しています。
昭和5年に起きた北伊豆地震により大陥没を起こし、通水が途絶えてしまいましたが、昭和7年静岡県により復旧工事が行われました。
その後は、吉田区民が、隧道内の排砂作業等の維持管理を行ってきましたが、昭和61年以降は隧道の痛みがひどく、通水も途絶えてしまいました。
平成9年より、県営ため池等整備事業において、吉田隧道の横に新しいトンネルを施工し、これにより吉田区に一碧湖の水が、注がれるようになりました。』
と記されています。


これが現在の取水堰です。
下請けで、実際に掘削を請け負ったのはこの会社ですね。
『静岡県 西松建設 一碧湖導水渠トンネル 525m 断面7.6㎡ 静岡県伊東市吉田地内 ずい道掘削
コンクリート巻立 14.02~15.04』


確かに、現在も一碧湖の水が取水されています。

が、こちらは文化文政の隧道ではありません。

50mほど離れた場所に、目的のものはありました。


調整バルブの役目をしたのでしょう。
蓋がされていますが、ここに板か角材をいれて上下させることで水量調節をしたのでしょう。


そして、その堰の向こう側に、金網に囲まれて隧道はありました。


となれば、反対側の出口も見たいのは山々だったのですが、このときは場所が特定できず、
帰宅してからじっくりとカシミールでの復習調査です。
ズバリここですね。


距離542mがはじき出されました。


天城隧道が明治37年完成

柏隧道が明治15年竣工

池地区の導水路でさえ嘉永年間の完成

まあ、芦ノ湖の深良用水に比べればすっと年代は下がりますけど、文化文政が正しければ、鉱山間歩を除いては伊豆最古の隧道かもしれません。


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2 コメント

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もぐったドー! (おじナベ)
2010-12-21 20:05:35
若かりし頃、近くに勤めいていた関係で、
吉田から沼池まで通ってことがあります。
その頃は吉田の人たちが年に1回点検のためにもぐるのに同行したのです。
まだ吉田に田んぼがたくさんあった頃のお話です。
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生き証人 (KAZU)
2010-12-22 20:41:17
そうでしたか!

あの隧道を潜られたことがあったとは!!!

今となっては、どうあがいても不可能なことです。

{うらやましい」と言ったらよろしいのか、「恨めしい」表現がが正しいか!!!

その時期の画像があったら、値打ものでしょう。

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