山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

ひょうたんから駒かも

2011年01月28日 | 訓練、探索
ある調査のため、クリスマスイブの前日に荒増から藤原越えをしたんです。
しかしこれが、とある書物の読み違い(解釈違い)だったと気づいたのは、帰宅してからのことでした。

ですが、転んでもただでは起きないのがこのアタシ。

もしかすると!ってな具合の、ひょうたんから駒的な大発見をしたのかもしれません。

出発地点は例の箇所からです。


そして峠分岐へ。これは振り返った画像ですが、右方向からやってきて、手前の撮影方向へと下るのが峠を越えるだけなら順当な道筋です。
左方向は、藤原山頂上か、または庚申堂へと至る道となります。
とある調査のためですから、この付近を行ったりきたり、あるいは尾根伝いに右往左往しましたが。


ところが、どこを探しても目的物は見当たりません。
それもそのはずです。
書物の読み違いによる見当外れの場所を捜索していた訳ですから。

で、あきらめて蓮台寺側へ下りました。
三体のお地蔵さまが佇む地点は、峠から下ってそう遠くはありません。
(本来の捜索目的はこれではありませんヨ)


大正六年六月二十四日製のお地蔵さまです。


その後ろに、文化年間の摩滅したお地蔵さまも佇んでいます。


拡大しますと、「文化戊辰(五年)稲生沢 商人中」と刻んであるのが確認できます。
「1809年に稲生沢村の商人仲間が浄財を出し合って建立されたお地蔵さま」だってことくらい、シロウトにだってお分かりいただけるでしょう。
つまり、1809年当時この峠の往来そのものが、地元商人達が商売を営むうえでの重要経路であった証でもあるわけです。


でこれが、そこから50m下った地点にある謎石積みです。
ある筋によりますと、広台寺の前進である桂昌庵があった場所ではないかとの説を唱える人もおりますが、この石積みって・・・


もしかして・・・・

先ほどのお地蔵さまの年号ともうひとつの発見から、ある仮説が閃いたのです。
さて、その仮説とはいったい・・・
(つづく)



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